筆記体とブロック体 | ささのブログ

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棚を整理したら、頂き物の手ぬぐいが出てきた。手ぬぐいをスカーフ替わりに首に巻くようになってもう20年近い。なので手ぬぐいを頂くのはとても嬉しいが、棚にしまい忘れていたということは、首に巻いてもシャツと合わない柄か、すでに同じ色の手ぬぐいがあるということ。特に、白系の手ぬぐいはスカーフとしては、「手ぬぐい感」がありすぎて使いにくい。

 

でもせっかく頂いたのだから、使う準備だけはしておこうと、ますは洗濯。1度洗っただけで、端はこの通り。手ぬぐいは売っているままに使うと、端がどんどん自己崩壊していく。なので、折り返してミシン掛け。端をそのままに使う人の理屈は、「包帯替わりになる、乾きやすい、衛生を考えて」などと言っているようだが、私は手ぬぐい自体を大事に使いたいので、必ずミシン掛けしてからでないと使わない。

 

 

いつも使っている音楽の練習場に黒板がある。最近はホワイトボードが増えているが、学校の教室では反射の問題から今でも黒板を使っているところがほとんど。小学校に入った頃は、当番制で休み時間に竹の定規で黒板消しをパタパタ叩き、付いたチョークを飛ばしたものだ。専用の掃除機が各教室に置かれるようになったのは、小学校の高学年に上がった頃だったような。

 

 

ふと、黒板になにか書きたくなった。最近、英語のdictationをやめてしまったので、久しぶりに英語の筆記体を書きたくなった。筆記体、アルファベットを続けてかけるようにしたもので、私の時代は、中学校では最初にブロック体で始めて、3ヶ月も経つと筆記体に変わった。教師が黒板に書く筆記体は、蛇が這っているようにしか見えず、「こんなの読めるか!?」と絶望的な気分になったものだ。だが、すぐに慣れて、スペルは筆記体でないと覚えられなくなった。

 

 

 

今の小中高校では筆記体はほとんど教えない。結果、ある年代から下の方々は、筆記体は書けないし読めない。「CocaCola」の筆記体のロゴがかろうじて判読出来る程度か。なので、現役の小中高校の子どもに、スラスラと筆記体を書くと、結構尊敬される。アメリカ人も若い人はほとんど書けないし読めない、とテレビで言っていて、ニューヨークのコロンビア大学に行ったときにスタッフに尋ねると、書けるかはともかく、読めない人はいない、と言われた。でもそれはコロンビア大学の学生の話…

 

 

私からすると、ブロック体でよくスペルが覚えられるものだ、と逆に感心してしまう。筆記体で覚えた世代は、一筆書きのリズムでスペルを覚えている。ブロック体だと、そのリズムが全く無くなってしまう。古い作家の直筆の原稿なども、苦も無く違和感なく読める。それは、筆記体をやっていない人からすれば、古文書を解読しているようなものか?「書くリズムで覚えられる」という武器があるので、筆記体、見直されるべきだと思うのだが。