今季2度目の大雪(臨時休校が目安)。

 

 年を重ねるたび、この雪かきがしんどくなるのを体をもって体感中。

 

 今回は、半分で断念し放置した!

 

 なぜか我が家は、吹き溜まりのところでご近所より俄然多く雪が集中する場所。

 

 除雪車も休校となれば優先順位が下がる、肉体労力は倍になり、落ち着いたころに

 

 除雪車が入り、その通った後にまた雪かき・・。という、

 

 敷地も広いところで、車も修理中で不在。なので余計雪かき面積が・・。と、

 

 ずっと自分1人でやってきた。気持ちももうここから逃げたい!とそろそろ限界で、

 

 お隣さんは共働きで、帰宅したら自宅前の光景に唖然としていたであろう。

 

 タイミングよく除雪車がきていて頼んだらしいけれど、すごいあっという間だよね。

 

 3~4回で終わったよね~。いいよな~~。と人力との差をマジマジと感じた。

 

 来年の冬は除雪なんてしないぞ!と、思うところ。

 

 

 

 

  4月に行われる任意団体の総会資料作成は、カルチャーの方は任期満了で退くので

 

 1つ肩の荷を下ろした解放感で自分の中で、解放された感が満載中。

 

 もう一つのいわゆる町内会の方が、1人ですべてを抱える状態になり、3年目なので

 

 なんとなく流れと上書き修正をしながらそれでも役員改選年にあたるので、結構今回は

 

 受難と言うか、なり手不足は否めなく役員やそれに伴う活動を縮小したり、合併したり。

 

 次期班長さん決めも難航しているらしく、取りまとめをしている身として、その報告を

 

 受ける際にも、班によってご近所付き合いの希薄差を感じるところで、話の内容を聞き、

 

 身勝手な方もいるんだな~ということや、たかが隣なのにその距離は、心の距離と比例して

 

 付き合いも薄ーくなるというか、わずらわしさと孤独の関係性のバランスだよな~。と、

 

 どこか客観視して分析しながら対応するのは、カルチャーで身につけた技法発動なのかという

 

 でっ、私が応戦するの?!という立場上の役割は、若輩者なんで無理!とその上の方達に

 

 委ねる姿勢で今のところ来ているが、初動がいけないんだよな~と、言い方ひとつ

 

 決別するか決定できるのか・・というのは、本人は自覚ないのであろう「変わらない」という

 

 性格?!じゃないな・・・。ちょっとここは不透明な部分だけど、広域で見ている分、

 

 どうしてここの班周辺のところはトラブルが集中しているのか、不思議なところ。

 

 会則変更が多いので、文言が悩ましいところ。

 

 

 

 

 

 

 お陰様で、観察時間があるところでYOUTUBEの変化も

 

 気になってその動画を初期当初から見続けるとする。とあるところで、

 

 ぇ??と思うところは、ある程度の登録者数とか収益の部分で安定した時に、

 

 第3者と言う名の、「素材さえあれば、私的に編集はできます!」という

 

 自分で全部やってきたからこその誰かに依頼する案件があり、仕事として成立するのであろう

 

 視聴者目線から言うと、その変化に気づくところだけれど、そもそものスタートラインが

 

 違うところでの差異は、あくまでも一部の方だけしか気づけないし、一部の方も指摘しない。

 

 ただ、私が見た初期当時からすごくクオリティが上がっているし、その編集の仕方も目線が

 

 原作者(創設)と違うよな~と、人気になるほど多忙を極めるところで、誰に委ねる担う振り分け

 

 が、ここの世界にもきたのか!と。

 

 ほうれん線も、味だとトラレタレタラうれしぃかもぉ。 

 

 

 今どきの動画を見ていて思う事。

 

 カメラマンは静止画から動画に移行したよな~。素人と言う名の主婦目線は、

 

 時代と共に趣味程度の記録係としての承認欲求がYOUTUBEという媒体というコンテンツの

 

 中での実験が成功した時、これから先・・というタイミングで自称プロ?!みたいな方が

 

 現れるのを昭和で言うなら「便乗」なのだが、とあるところで委託しました?!という

 

 表現方法が著しく違ってUPされている!!と、それは初期から見続けている方しかわからない

 

 感覚と事象。やはり編集能力と言うか、違った視点で再UP!と言う名の動画編集能力は、

 

 ただただ感心していて、その分その素材を持っているから「あとは、、お任せしますぅ~」

 

 という、カメラマンは母なのか・・という静止画時代のカメラマンから言わせると

 

 それって、実は母というカメラマン視点の撮影は、自然体とプロの中での葛藤が生まれ

 

 折り合いをつけ、割り切るところでの撮影って・・。私自身もどうしたものかと考えさせられる

 

 先駆者として後世に伝えるべきものが・・・。誤解だよw。という・・・。