皆さん こんにちは。
神の霊は様々な働き人に降り注がれています。
神の霊によって言葉で福音伝道した人達について考察します。
コリントの信徒への手紙一の十二章には、様々な神の霊の分与があり知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒やしの賜物、数々の力の働き、預言、霊の判別、種々の異言、異言の解き明かし等が与えられると記されています。
これらすべては、同一の神の霊が働き、一人一人に個別に神の御意志によって分け与えられ、体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様であるとも記されています。
神が授けられる霊はキリスト者それぞれ違い、様々な霊を持つキリスト者達が、主イエスの名の下に一つに集まり主イエスのために働いているのですね。
神が教会の中に置かれたのは第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、…等です。
*教会とは…マタイによる福音書十八章二十節にあるとおり、二人または三人がイエスの名によって集まるところであって、建物のことではありません。
🔵主イエスが選ばれた十二使徒
新約聖書 マタイによる福音書 十章一節〜四節 <TR日本語訳>
さて、彼はご自分の十二人の弟子たちを呼び出され、彼らに、汚れた霊どもに対する権威をお与えになった。それらを追い出し、あらゆる病気とあらゆる病弱にいやしの奉仕を行うためである。その十二人の使徒たちの名は、こうである。第一の者として、ペテロと呼ばれるシモン、そして彼の兄弟のアンデレ、ゼベダイの子のヤコブと彼の兄弟のヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと収税人マタイ、アルパヨの子のヤコブと、タダイと称せられた人であるレバイ、カナン人シモンと、イエス様を引き渡すことまでしたイスカリオテ・ユダである。
ユダは不正を働き自らの裏切りによって自殺し使徒職が一人欠員となり、十二使徒と同じ任務をするため必要な条件を満たしている者が選ばれました。
イエス・キリストがヨハネの洗礼を受けた時から始まり、弟子達から離れ天に上げられた日まで、いつも一緒にいた男達の中から、主の復活の証人であるのが条件で、くじでマティアが選ばれました。(使徒言行録一章十五節〜二十六節 参照)
この十二人以外で条件を満たしていない者で、使徒と自称する者は偽使徒です。
偽使徒について分かり易い動画はこちら☟です。
こちらの☞キリスト道のブログ主の記事『反キリストについて』や『預言者と偽預言者の違い』でも詳しく解説されています。
上記の伝道者達の福音宣教により、キリスト教は西方では絵画や彫刻等によってより広まり、東方では言葉等で広がったという説もあります。
絵画や彫刻等は視覚に訴える物で分かりやすいですが、誤ったイエス・キリスト像を植えつけたり、偶像礼拝に繋がり罪となって、神の律法違反で罰せられることになりかねません。
言葉は目には見えませんが、聞くこと、書き記すことによって御言葉が伝承され、聖書に導かれます。しかし、キリストの教えではない伝道を行うとそれが偽証罪になって、神の律法違反となり罰せられます。
神の御言葉通りに伝道しないと罪となり罰せられる。
正しい御言葉を伝道することが重要です。
主イエスや十二使徒の絵画等を見ると、立派な髭を蓄えています。これも、神の律法で守るべきことなのです。
🌿旧約聖書 レビ記 十九章二十七節 (参照) あなた達の頭の隅を丸めて切ったり、髭の両端を剃ってはならない。
こちらの☟キリスト道のブログ主の記事で詳しく解説されています。 引用ここから一部抜粋〜 人間の最高の模範である主イエスは男性であり、律法に違犯しはらへんかった罪無き神の子羊やさかい、当然主イエスは髭を蓄えてはったことは想像に難く無い。 男性は皆、主イエスに倣い、髭を蓄えるべきです。それすら出来へん人がなんぼキリスト者と言うたかて、自称に過ぎひん。服装も洋服なんかをやめることですね。主イエスは洋服なんか着はらへんかったし、そもそも当時は洋服なんて存在せんかった。 女性は髭は生えへんさかい、この限りではないが洋服はやめるべきです。 何も難しくないはず。髭は放っておいても生えてくるし、髭を生やすのに特別な技術も要らんし、洋服をやめるのも全然難しゅうない。 ただ世に合わせるのをやめ、周囲の人間を恐れるのをやめれば簡単に出来る。出来へん人は神を畏れず、人間を恐れており、そないな人は真のキリスト者やない。その者の心が天(神の御国)にではなく、地(この世)にあるからや。 引用ここまで
髭は大人になったら自然に生えてくるので剃らずに整えていたら良いですね。 和服は流行もなく長年着られるし、洋服より洗い物が少なくて済みます。 日本人が和服を着ていた時代は長いのですから、和服を着られたらその着心地の良さがよく分かります。是非、和服を着用してみてください。きっと、お似合いになりますよ。
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🔵古来日本にも、信徒たちが福音伝道によって、言葉や書物として聖書の御言葉がどこかに、姿を変えて伝承されているのでしょうか。
日本の古代の和歌について考察しました。
古事記のスサノオノミコト (建速須佐之男命)による日本最古の和歌です。
『やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを』です。
この和歌から三十一文字 五 七 五 七 七 となりました。聖なる数、七が三回です。
やえを神に変えてみます。
(聖書の神の呼び名で検索されると、「やえ」を神に変えた意味が分かります)
「八雲立つ、出雲 神 垣、妻籠み(夫婦が共に住む)に、神 垣 造る、その神 垣を」
神(やえ)も三回…三位一体の神を示しているのでは…と考えました。
人間の話す言葉とは違う、形式がある和歌を神の言葉としたのではないでしょうか。
出雲の国が清く清々しいので、そこに垣根を造り、天の神の雲が幕屋を覆う聖なる場所とし、神と人間が共に住む場所、臨在の幕屋を造った…これがこの和歌の意味ではないかと考えました。
🌿旧約聖書 出エジプト記 四十章三十三節〜三十四節 (参照)
彼は幕屋と祭壇の周りに囲い地を設置した。そして幕屋の囲い地に門を設置して覆いをした。そうして、モーセは働きを終えた。
その時、雲は会衆の幕屋を覆った。そして、主の栄光が幕屋に満ちた。
ヘブライ語からこの和歌を読み解かれた方もおられます。
🔵最古の和歌に込められた讃美とは『日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究』
引用ここから一部抜粋〜
不可解な言葉が連続する「八雲立つ」
八重垣神社 歌碑日本で最も古い歌であるだけに、もし、その歌詞の意味が理解できれば、古代の人々の思いに少しでも寄り添うことができるでしょう。しかしながら歴史が古い和歌だけに、その歌詞は難解であり、定説の解釈も果たして作者の意図を汲んでいるか、疑問が残ります。何にもまして、日本語としての不自然な言葉の響きが気になります。
例えば八雲に続き、3回も「八重垣」が繰り返される文脈は一見、短絡的であり、強引な言葉の羅列にも見えます。しかも結果として頭に「ヤ」がつく言葉が4回も連呼されているのです。これほどまでに「ヤ」にこだわるからには、何らかの強い意図が込められていたに違いありません。
また、雲を垣に例えてそれが重なり「八重(ヤエ)」になるという表現も不自然です。雲が実際八段に重なっているように見えたのでしょうか?それとも八色の雲が重なって空に現れたのでしょうか。虹ならば7色が限度です。また、八重ではなく、三重でも良いのではないでしょうか。なぜ、「八重」、「ヤエ」に作者はこだわったのでしょうか。
ヘブライ語で読み解く和歌のことば
須佐神社の美しい拝殿これらの疑問を解決するための鍵が、ヘブライ語にあることがわかってきました。まず、「八雲立つ」という言葉から検証します。出雲風土記や古事記によると、国引きをした神ヤツカミズが「八雲立つ」と語ったことから、「八雲立つ出雲」と詠まれるようになったと記されています。その言葉の原型は「ヤツメサスイツモ」です。一見、不可解な言葉ですが、ヘブライ語で読むと、元来込められていた意味が浮かびあがってきます。
まず、「ヤツメ」は八の目を意味すると言われています。しかし、ヘブライ語では全く異なる意味となります。まず「ヤ」は、神を指す יה(ya、ヤ)です。その語尾に、「大きくなる」を意味するצומח (tsomeakh、ツォメッ)をつけると、「ヤツメ」と同等の発音になります。するとヘブライ語で「ヤツメ」とは、神が大きくなる、という意味になります。
「ヤツメ」はその後、何故かしら「ヤクモ」という言葉に差し替えられることになります。そして「神が大きくなる」、という意味に類似する表現として、「神が立ち上がる」という意味になるように新たに言葉が選別されたようなのです。そのために用いられたヘブライ語は、「立ち上がる」「起き上がる」を意味するקום(kum、クム)です。神が大きく見えてくるということは、神が立ち上がり、その姿を見せることでもあります。よって、神が立ち上がり、その存在を示すことを言い表すことが目論まれたと想定されます。
そして「ヤツメ」の後には「サス」という言葉が続きます。これはצץ(tzatz、ツァツ)と発音し、「現れる」を意味するヘブライ語です。「ツァツ」の発音は、「サス」「タツ」に類似しています。
天岩戸神話の天照大御神これで文脈の流れが見えてきました。「ヤツメサス」の意味はヘブライ語で、神が段々と大きく見え、ついに現れることを意味します。これは正に岩戸の神話に記されているアマテラスのことを指しているのではないでしょうか。つまり、アマテラスが岩から少しずつ出現することを「ヤツメサス」と言い、そして岩間から現れて立ち上がる姿を強調して「ヤツメ」が「ヤクモ」になり、「ヤクモタツ」と歌うようになったと考えられるのです。
神によって導かれた地「出雲」
須佐神社岩戸の神話にちなんだ「ヤツメサス」という言葉の後には、出雲という地名が続きます。この「イズモ」という言葉は、「雲」が「出る」という文字で表記し、単なる当て字と考えられています。ところがこの漢字の組み合わせは、旧約聖書でイスラエルの民がエジプトから約束の地に導かれる際、神が「雲」となって「出現」し、常に民の先頭に立って群集を導いたことに関連していると思われます。
案の定、「イヅモ」という発音を持つヘブライ語が存在し、2つの関連した言葉でつながっています。ひとつはעצום(itzum、イヅム)であり、大きな、巨大な、偉大な、もしくは素晴らしいことを意味します。もうひとつはその言葉とルート語を共有するבעיצוםו(bitzumo、ビズモ)という言葉です。後者は「最先端」「ピーク」「クライマックス」を意味します。つまりイズモとは、神が常に先頭となって民を導き、その「最先端」に立った神が「巨大」な雲の姿をもって出現したことから、出雲と書き記したように思われます。
それ故、日本列島の中でも、国生みがはじまった淡路島から見て最北端にあたる出雲は、雲によって導かれたかのごとく、神が示された素晴らしく偉大な聖地であり、それらの背景をもって、出雲という地名があてがわれたと考えられます。その言葉の背景には、いつも神の存在があったのです。
「ヤツメサスイズモ」は讃美の歌!
「ヤツメサスイツモ」という一見不可解な表現の意味が浮かびあがってきました。それは、アマテラスが岩の間から徐々に出てこられ、その姿を現わした後、民の先頭に立って、イスラエルの民が雲によって導かれたように、大勢の群集を導いたことを語り告げる、讃美の歌だったのです。
引用ここまで
🔵和歌は聖書の神の御言葉を想像させる言葉を秘めて伝承され、未来の世の終わりに住む者達に天の父なる神を思い起こすように願って、御言葉を和歌に込められたのではないか…と考えました。
例えば、古今和歌集仮名序の冒頭の原文は、
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」です。
現代語訳は
「和歌は、人の心を種として、様々な言葉となったものである」です。
しかし、聖書から考えて…
「和歌(神の言葉)は人の心に種(神の種)として宿り、様々な不思議な力が宿るものとなった」と訳してみました。
思い浮かんだ聖句は…
🌿新約聖書 ヨハネの手紙一 三章九節 (参照)
神から生まれた人は誰でも、罪を犯すことはありません。何故なら、彼の中に神の種が残っているからです。そして、彼は罪を犯すことはできません。何故なら、彼は神から生まれたからです。
皆さんが良くご存知の百人一首の和歌から聖句と比較してみます。
思い浮かんだ聖句は…
🌿新約聖書 ペトロの手紙一 一章二十四節 (参照)
すべての生きている生きものは草と同じです。そして、人のすべての名誉も草の花と同じです。草は枯れ、花はそこから離れ落ちるからです。
🌿二十五節 (参照)
しかし、主の預言の御言葉は永遠に続きます。そして、この預言の御言葉は、救済の福音としてあなた達に宣言されました。
百人一首のかるた取りは上の句を読み、下の句を探しますね。
そして、百人一首全部の歌を繋ぎ合わせた『歌織物説ーWikipedia』があります。
引用ここから一部抜粋〜
- 百人一首には歌の名人・定家が何万何千という歌の中からよりすぐった百の歌だというわりには平凡な歌が多いことや、同じような言葉を用いた歌が多いことなどから、ある意図された並びが存在するのではないかと言われていた。
- 「歌織物説」とは、和歌の世界でさかんに行なわれていた言葉遊びを、百人一首の中に技術的なシステムとして組み込もうという考えのもとに歌を撰び出し、隣りに来る歌どうしが上下左右に何らかの共通語をふくみ合う形で結び合わされ、タテ10首、ヨコ10首の枠内に並べることが出来るというものである。
- そして、並べられた100首の歌と歌をつなぐ合せ言葉(山、川、紅葉、雲、花、桜、菊、鳥、鹿、瀬、滝、松、等々)を絵におきかえていくと、掛軸のような山紫水明の美しい景色が浮きあがることから「歌織物」と名付けられた。中略〜
- この、謎をはらんだ歌集の意味をときほぐす重要な鍵は、定家の自撰歌にあると筆者は考えており、それは「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」である。
- ここで「松」は待つの掛け詞であり、「凪」は泣きに通ずる。この歌は、誰か帰り来ぬ人に向って、藤原定家が悶々たる思慕の情を述べるのが百人一首の基本点だったという推測を成り立たせる。
- つまり、鎌倉幕府と戦って敗れ、隠岐と佐渡に幽閉され、帰り来ることを許されぬ二人の帝と、薨去してこの世には二度と帰り来ぬ薄幸の美女・式子内親王という、三人の「来ぬ人」に向って「あなたをお待ちして泣きながら身もこがれる思いだ」と訴える構図なのではないかと考える。
引用ここまで
天に帰られた主イエス・キリストの再臨を待ち焦がれつつ、復活と共に希望とし、新しいエルサレムを想像して、小倉百人一首(歌織物)は作られたのではないか…と想像してしまいます。
聖書の御言葉を身近に感じていただけたでしょうか。
🌿新約聖書 ヨハネによる福音書一章一節 (参照)
すべてのものの創まりに言葉がありました。そして、言葉は神と共にありました。そして、言葉は神でした。
よろしかったら、聖書を読んでください。そうすれば、真理が分かります。
皆さんに 平安がありますように。
以上