皆さん こんにちは。

 

心に浮かぶ言葉を、墨で筆によって福音伝道しているです。

よろしくお願いします。

 

✨神の種を持つ、神の民を探し求めています。

 

主イエス・キリストを心から信じることによって、神が御命令された慈愛溢れる御言葉、自由の律法、掟、戒め喜んで従順に守り悔い改める行いによって罪が赦されこれまでの生活様式が改善され新しく生まれ変われ魂が救われることを伝えるためにブログを始めました。

 

現在艱難期であることは、世界中で起きている大災害、飢饉、悪疫、戦争等の状況から見ても理解できると思います。そして、もう直ぐ大艱難が来ます。

近隣で福音伝道していましたが、大艱難が始まるまでもう時間が少なく、なかなか神の民に出逢えず、毎日知恵を神に祈り求めていたところ、幅広い知識もなく浅慮な者ですが、長年培ってきた書写によって、ブログで読者に福音伝道が宣べ伝えられるように導いていただきました。

皆さんも長年培ってきたものや好きで続けていること等ありませんか。

それは、神からの賜物かもしれません。その賜物を父なる神のため、神の民のため、隣人のために活用しませんか。

 

皆さんは、自分の先祖はどこから来たのだろうか…と考えたことはありませんか。

 

DNA型鑑定等によっても日本人の四割近く古代イスラエル人の血統の可能性が高いと考えられます。また、古代イスラエル人が日本に渡来した証拠も現存しています。

 

こちらの☟キリスト道のブログ主の記事をご覧ください。

 

この記事の中で紹介されている、日本と古代イスラエルとの関わりについて、イスラエルの元駐日大使で、親日家で空手や居合いも嗜むエリ・コーヘン氏がイスラエルと日本の繋がりを言葉や文化の共通点やDNAの共通点について話されているYouTubeは必見です。

 

この記事や動画を視聴された方々は他人事ではなく、自分自身や身の回りに思い当たる節がないか考えてみてください。

そして、聖書を複数回通読しましょう。そうすれば、天地創造以来、神がどれほど人間を愛し守り続けてくださったか…神に愛された人間が、どれほど神を裏切り神を悲しませたかを知ることでしょう。そして、なぜ、現在このような悲惨な状況に人々が置かれているかが理解できます。

悔い改め続け主イエス・キリストの品性に完全に近づくという高い目標を掲げ、共に邁進していきましょう。

 

🔵神の種とは何か

 

🌿新約聖書 ヨハネの手紙一 三章九節 (参照)
神から生まれた人は誰でも、罪を犯すことはありません。

なぜなら、彼の中に神の種が残っているからです。そして、彼は罪を犯すことができません。なぜなら、彼は神から生まれたからです。

 

 

こちらの☞信頼できるキリスト道のブログ主の記事『聖霊の賜物について』 をご覧ください。

 

引用ここから一部抜粋〜

神から生まれた人というのは、神に属する人間のことで、新生した後は律法や掟を守るので罪を犯し続けることができなくなるのです。聖霊を受ければ、罪を犯すことの重大さが理解でき、律法違反をして平気でいられないので律法を守るのです。故に、真のクリスチャンは神を畏れるが故に神の律法を守ります。律法を守らない者は神を畏れていないのです。

引用ここまで

 

今までの考え方を直ぐに変えることができない方も多いと思いますが、真っ白な頭で、子供のような純粋な心で考えてみてください。

 

この記事を書かれたキリスト道のブログ主は聖書に依拠し、素晴らしい知識と知恵を持って誤訳訂正、解釈され、正しい底本の原語から翻訳され、無報酬で時間と労力を使って、多くの人々から疎ましく思われようとも主イエス・キリストの信仰の故に、熱意を持って天の父なる神のため、神の民のため、隣人のために働かれ宣べ伝えておられるので信頼してください。

キリスト道のブログ主の自己紹介の動画はこちらです。  

 

🔵『種』の漢字の成り立ちから、聖書の『奴隷』について共に考察しましょう。

 

 

目の上に入れ墨された奴隷が重い袋を持つ…から稲の穂の重い部分の『種』の漢字が成り立ったのですね〜知りませんでした。

 

聖書から思い出される奴隷は、出エジプト記でエジプトで奴隷だったイスラエルの民です。悪魔の種(王、支配者、権力者等)が心に宿るなら、過酷な重労働をさせられ、惨めな食べるためだけに生きている奴隷です。神の種が心に宿るなら、神の御命令を喜んで従順に御心のとおりに働く「(詩編七十八編二十五節 Man did eat angels' food)KJV」天使の食べ物である「マナ」をいただく僕です。そして、神は神の種に恵みの雨を降り注ぎ、成長するまで見守られ、良い実を成すように導いてくださいます。種が属する所によって、大きく環境や心の在り方まで変わってきます。これから信仰が試され、悪魔(王、支配者、権力者等)のどちらに従うかを決めなくてはならない時が来ます。

その時、個人の選択によって、霊的な神の刻印が額に、悪魔(獣)の刻印が額か右手に押されます。

 

詳しく解説されているキリスト道のブログ主の記事『神の刻印、獣の刻印と黙示録の獣』をご覧ください。

引用ここから一部抜粋〜

旧約聖書 イザヤ書 8章16節

わたしは弟子たちと共に

証しの書を守り、教えを封じておこう。

 

上記聖句の教えは律法を含んでいます。

上記聖句の英語では、「Bind up the testimony; seal the teaching among my

disciples.」です。sealというのは名詞ではmarkと同じように印の意味があり、動詞であれば印を押す、封印する、堅く閉じるという意味です。

主なる神の弟子たち(神の民)の間に神の律法と戒めを堅く据えるという意味です。即ち、神は、神の民に対して神の律法と戒めを守らせるということです。

似たような聖句を過去記事「聖書が教える真のイスラエル人」で引用しました。「我が律法を彼らの内側に置き、彼らの心にそれを書き記す。我は彼らの神となり、彼らは我が民となる。」(エレミヤ書三十一章三十三節拙訳)と同じ内容です。

神の民は、主イエスの信仰の故に神の律法と戒めを心に記されて守り続けます。

かつてのファリサイ派、現在のユダヤ教徒がモーセの律法を守るのとは質が異なります。

彼らは自力で救いを得ようとし、人間の言い伝えや伝統により必要以上の細則で縛り付けて自虐行為をして自己満足しているだけであり、何より主イエスの信仰が無いので論外なのです。

主イエスの信仰を持ちながら神の掟を守ることが神の印です。

主イエスの信仰と律法遵守の両方あって神の印なのです。どちらかが欠けてはいけません。

目に見えない霊的な刻印であり、神の名がある神の刻印が霊によって新生した神の民に押されます。

天の父なる神に通じる唯一の道である主イエス・キリストの信仰と神の掟を守っている者が神の民であり、信仰を持って試練や艱難にも耐えて神の掟を守り続けて霊によって新生した人が神の印を押されるのです。

将来、信仰が試される艱難が来て、にわかクリスチャンを完全にふるい落とす時が来ます。律法廃止論を唱えて神の律法や戒めを守らなかったり、途中で真理の道から逸れて背教したり、肉の思いに負けて罪を犯し続けているのに悔い改めたと勘違いしたり、棄教したり、新世界秩序(NWO)に従う人は神の民ではありません。

特に、安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)は他の偽りの宗教には存在せず、主なる神と神の民の間のしるしです。

引用ここまで

 

皆さんは、どちらを選ばれますか。

 

🔵聖書に通じる書の道

「書」を学ぶ上で、「清書」があります。字を正しく、美しく書き直すことです。

皆さんは、学校の書写の時間で清書をすることを習いました。

下書きを何度も繰り返し、正しい、美しい手本の字を書写しました。

そして、手本通り正しい、美しい字の作品に仕上げました。

書写を何度も繰り返し清書する行いが、聖書の悔い改めに通じると思います。

せっかく習字を習っていても乱筆や悪筆のままで、手本に忠実に書こうとせず、自我を押し通し悔いるだけで直そうとしないのでは字は上達しませんね。

 

聖書は人が生きていくために指針となる、神が人間に必要なことを人を通して語られたことが記された書物で、宗教の本ではありません。聖書に記されている神の御言葉は良い手本です。聖書を繰り返し読み理解し、主イエス・キリストの品性を模範(手本)とし、行いも生活様式もすべて改善し、共に成長していきましょう。

 

🌿新約聖書 ヨハネによる福音書 十三章十五節 (参照)

わたしはあなたに模範を示しました。それは、わたしがあなたにするのと同じように、あなた達もするようになるためです。

 

 

共に考え、日々悔い改め続けましょう。

皆さんに平安がありますように。

 

以上