こんにちは
しばらく続いていた眠氣は
満月の日を境に過ぎ去っていき
最近はまた0時頃に寝て
朝の6時に起きるという
この春からのルーティンに戻りました
息子が朝7時半までには家を出るので
お弁当作りと並行して朝ごはん
今は主婦らしく洗濯、掃除などの
家事を済ませる日々…
引っ越しの片付けやお掃除からの
相乗効果もあってか
毎朝、玄関周りを水拭きするという
余裕を取り戻しております
いつまで続くかな?
Sarahサラです
さて、厳島講社大祭と御島廻りを終え
ようやく記録として記していきまーす
振り返ると昨年の5月にも
厳島講社の御島廻り神事とは別に
宮島の海岸線を歩いて一周する
イベントに参加してたんでしたね
あの苦い経験から一年
来年(今年のこと)は体力をつけて
再挑戦するぞー!
と、氣合を入れてたけど←すっかり忘れてた
息子の受験でそれどころじゃなくなり
日々の生活に忙殺されあっという間に
一年が経ってしまいましたよ…
あの時の無理が生じたのか
忘れた頃になって
右膝の筋に痛みを伴うようになりました
体重も落としましょうね
御島廻りと神烏さんに関連する過去記事
良かったら目を通してみて下さいね❣️↓
毎年決まって5月15日に厳島講社員向けに
執り行われる御島廻りには
3、4月と福岡でご一緒したTさんも今年は
久々の参加でした!
確か最後の時もご一緒しました
地元からは、宮島との縁が深い
Sさんも参加し、今年の春分の日に
沖ノ島の遥拝クルージングをしたメンバーが
自然と集まりました
Sさんとは前日の厳島講社大祭から
駆けつけ、お互いご神事に向け
氣を引き締めました
御本殿の前をヒヨドリさんが何度も
飛来していて、翌日もヒヨドリさんが
サインかの如く現れていましたよ
御神楽は巫女さん二人の扇による
浦安の舞がご奉納され
雅やかで優美な舞にうっとり
改めてじっくり聴き入ると
巫女さんが持つ扇と琴のポロローン
という音色や楽師さん達の唄い方に
今更ながら、あれ?と氣づきました
琉球王朝時代、高貴な方々が
おめでたい席で王様に捧げた
かじやで風に似ている…
と、感じ入りながら見ていました
楽器もそうですが、やはりインドや
中国から伝わってきているだけに
沖繩はその文化を本土よりも
いち早く受けているので
似ていてもおかしくはありませんね!
浦安の舞は比較的新しくて昭和の前半に
昭和天皇が短歌として
「朝海(あしたのうみ)」
という御題で世の太平を祈って
御詠みになられた御製だそうです。
天地(あめつち)の
神にぞ祈る朝なぎの
海のごとくに波たたぬ世を
厳島大神さまに
「この後、大元神社さまに三線を持って伺いますねー」
と心の中で声をかけました
今年は琉球という国が
本土に復帰し50周年という節目の日に
斉行された御島廻りでしたので
特に大きな流れを感じていました
昨年、大元神社さまの前で
お賽銭を回収しに来られた厳島神社さまの
職員の方とカンカラ三線のお話になり
神社の前で三線を弾く事を
特に咎められることもなかったので
むしろどうぞどうぞ…みたいな
大元神社さんでは季節の節目毎に何度か
歌三線をご奉納させていただいているのですが
どこに腰掛けようかと思案していると
Sさんに「拝殿の中にお入りなさい」
という指示があったようで
普段はその様な勝手はしないのですが
ここは素直に従って
板の間に楽譜や三線ケースを
広げさせていただき、二曲ほど
ご奉納演奏させていただきました
格子から光が射している様が美しかったです
滅多にだーれも来ません…
演奏が終わって、帰ろうとしたとき
素晴らしい光を降ろして下さっていました
とても強い光でした
喜んでいただき光栄です
続きます