何を言っても大丈夫な場がある方、
何を言っても大丈夫な人がいる方は
本当に幸せだと思う。
そんな場が一つでもあれば
そんな人が自分の近くに一人でもいてくれたら
人生って
本当に豊かなものになっていくって思います。
先月開催した禅タロットの勉強会のご感想を
ブログに書いてくださったのでご紹介します。
私にとっての、鎧。
「歳相応であろう態度」
「目上の人、先輩への態度」
「遠慮」
「空気読み」
「緊張」
いつからか、日本語の敬語の美しさに惚れ、
いつまでも上手に使いこなしたいと思うようになりました。
それが ” 大人になる ” というような意味もあって。
だから、
年上の人にはもちろん、初めましての年下さんも、
「見た目で年齢はわからないし、誰にでも敬意と遠慮」で、
丁寧な言葉使いを心がけていました。
ですが、これには裏があってね。
常に、人との距離感がわからなかった。
だから、傷つかない為に、傷つけない為に、
一定の距離を持ちたくて、
いつまでたっても「ですます」を続けていました。
「伊藤さん、タメなんだから敬語使わなくていいよ」と
相手が言ってくると、
ドキッとしちゃって、
「そうですねっ。だ、よね~・・・・・・ですね。」
いつも語尾が変だった^^;
笑顔で、まさみさんのお尻をサワサワ♪
右が、距離感がわからなかったとか抜かしてた本人。
「あいちゃんって、実は変わってるよね」
というメッセージが、親やまわりから届いて、
「変なのかな?」と感じて、
「これって、変じゃないかな?」と
空気を読みながら大人になりました。
でも、どうしても「変わったもの」を選びたいし、
「変わったこと」を発信したい。
ウズウズの渦。
先日参加した「禅タロットリーディングの勉強会」。
勿論、リーディングの勉強もできたんだけどね、
皆さんがよく口にする、「素の自分でいる」という意味が、
一日たって、ふとした瞬間にわかりました。
思うこと、感じたこと、やること、
自分が発信することに、誰一人、ひかないし、「NO」を出さない。
「私はこう思う」に対して、
「そう思うんだね」
「うんうん」という、認める、受ける姿勢がある。
話していいんだと思うと、
長々と色々と話してしまうのかと思いきや、
安心を感じるのか、
うまいこと制御できたり、
取り繕いや、ウソが口をつくと、
「ハッ」と違和感を感じるのです。
(そして、大抵バレてる(笑)
私の場合は、依存心も生まれない。
カードリーディングの会だから、
心のうちを見せ合うというのもあるのでしょうが、
参加者の誰もが、話を聴き、
受け止める姿勢でいるので、
「恥ずかしい」
「私、変かな?」が起きにくいのかもしれません。
ちなみに、
師匠たち、先輩方は、
私がふざけても、冗談を言っても、
真面目に話していることに、「ぶっ」と噴き出しても、
怒らないし、引かずに、結局笑ってくれる。
仏像って言ってみたり、
ライオンキングにしてみたり、
タロットの師匠れいこさん、ヒトラーモードもいいね♡
意外にふっくら、けいこさん
私を変えてくれたちえみさん
ほっとするきよみさん
直美さん
次回はまたお話ししたいです。
自然体切り取り、うまいのです。
写真、お借りしました^^
どなたも、きっと葛藤も自省もあるけど、実に広いです。
そういう人が集まるのか、
集まるからそうなるのか。
私も、
周りの目を気にすることなくいられる空間を作りたいな。
書きながら、
私にとっての「素の場所」は、
ここだけでなかったと気がつきました。
あとは、小学校やパート先も、そうなっていったらいいなあああ。
OSHO禅タロットリーディング講座を
受講してくださった方たちと
定期的に開催している勉強会。
自分が素でいられる場所、
安心してなんでも話せる場所、
感情が出てきても受け止めてくれる人たち、
そのときによって集まるメンバーは違うんだけど
いつも、この勉強会の空気感は
あったかいんですよね。
仕事として取り組んでいる方も
趣味でやってる方も
長くやってるかたも
最近始めた方も
みんな混ざってやる勉強会なんです。
まずは、禅タロットを使うことを
自分自身が楽しんでいること。
みんなでそれを楽しむこと。
そんな場を
ずっと提供できたらいいなって思っています。
卒業生様と定期的に行ってる勉強会は
基礎+応用、または短期集中講座を修了した方に
ご案内しています。
あなたも仲間になりませんか?