文章をあれするための、あれ。 -24ページ目

文章をあれするための、あれ。

日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

このあいだ電車に乗り、すわって漫画を読んでいたら

横に白髪でぽっちゃりのおじさんが座ってきました。


私はイヤフォンで音楽を聴いていたのですが、

それでも聞こえるほどの声でそのおじさんは何かつぶやいていました。


たぶん「アァー」とか「オゥ」とかそんな言葉を発していたように思います。


私は

あ~なんかへんな人きたな~と少しおもいつつ、漫画を読み続けました。


すこし時間がたってから隣をチラりと見ると、

そのおじさんはなんとあいうえお表を見ている!!

あぁ!!よく見たら外国人だ!!


インターネットのページを印刷したあいうえお表、

sa

みたいにひらがなの下にアルファベットがかかれているものを

裏と表ひっくり返しながら必死に覚えているではないですか!!


紙の余白にはボールペンで逆さまに書かれた「」なんかがあったりして、

もうこの時点でこのおじさんへの応援がはじまりましたよ。

まぁ相変わらず何やらつぶやいていたので変な人だなとは思っていましたが。


裏面には

「ぱ」「ぎ」「ゃ」とか特殊な音が、

表面には

あ行からた行くらいまでが載っていました。


いやいや、その2面だけじゃなくてもっと他のひらがなのも見ようよなんて思ったけれど

もしかしたらその2面がおじさんの超苦手分野で、この後の試験のために集中暗記しているのかも!


なんて考えながらおじさんの見る紙をみているとですね、

表面のななめ上の余白に、これまたボールペンのつたない字で

やすこ

yasuko

と、書いてあったんです!!!


わたしはそれを見た瞬間もう大興奮です。


おじさん、好きな人の名前書くためにひらがな覚えてるんやん!!

やすこって、

恋人かな?妻かな?はたまた片思い中のあいてかな?


もう脳内大騒ぎです。


何が良いってこの、

やすこという30代後半から40代を彷彿させる名前ですね。

おじさんの恋愛対象であろう年齢とマッチするわけですよ。

このリアルさがより想像を膨らまします。


あまりにリアルなので、

もしかすると、恋人でもなんでもなくて

ただ国際交流が趣味のおばさんが「外国人のための交流会」かなんかで

半強制的に書かせたのではないかなんて想像までしてしまいました。


あいうえお表の説明文をよく見るとフランス語だったので

親近感がわいて話しかけてやすこは誰か聞こうかと思いましたが、

やっぱり相変わらずつぶやいていたのでやめときました。


なのでいつまでも私の中でやすこは自由にそだつのです。

自分にとっておもしろくてしょうがない本を読んでいるときと

そうでない本を読んでいるときとではなんだか心の感じが違うなぁと思います。


この感じ何かに似ている、、と考えたら

それは「食感」でした。


おもしろい本を読んでいるときは食感を感じるのです。

大げさですが一文一文が心に刻まれる感じが食感に似ているように感じます。


例えば、最近読んだ灰谷健次郎の小説「風の耳朶」はつけ麺で、渡部昇一の新書「知的生活の方法」は焼いた長芋。


「風の耳朶」はすごく優しい文章で読みやすいのですが主張がしっかりある、そんな感じがなんとなくつけ麺っぽいと思い、「知的生活の方法」は一見難しそうだけど読んでみると面白くてサクサク入ってくる感じが焼いた長芋かな~と思いました。

食べ物を選ぶのに他にもそばやなんこつのから揚げなどと悩んで今も上に書いたのが一番だとは思っていないのでもっとぴったりなのがあるかもしれません。


それに対して、おもしろくない本(おもしろくても内容がない本など)はさらっと流れていくので水です。

難しい本、まだ私がそのレベルまで達していない本は渋いお茶みたいな感じです。なんとなくのイメージですが。


なんで食感みたいに感じるんだろうと考えたところ、

おもしろい本には「読みごたえ」があってそれが「噛みごたえ」と似ているからだろうという結論にひとまず落ち着きました。

「読みごたえ」がある本には無駄がなくて一文の濃度が濃く、逆に薄いと水みたいにさらさら流れて「噛みごたえ」がない。


よく「本をよく読みよく反芻セヨ、それがいずれ己の血となり肉となるのダ!」みたいなこと聞いたりしますが、

まさに自分の血や肉になるものに私は食感を感じるのだろうと思います。



おそらく「知的生活の方法」を書いた渡部さんは自分が書いた本を

「焼いた長芋や、、」なんて思いながら読んでいる人がいるなんて想像もしないだろうなぁ~と思いますがこれが私の知的生活です。タハハ

今日の夕方、自転車をこいだ。

自転車をこぐのは大好きな私だが今日は少し大変だった。
ペダルを踏んでも踏んでものろのろとしか進まない。
その原因はズバリ向かい風であった。

思うように進まない自転車に若干苛立ちを感じつつ、それでも力強く足を動す私。
ふいに後ろから自転車をこぐ音がしてきた。
のろのろと走る私に見向きもせず、颯爽と駆け抜けていったのは
なんとお爺さん。

じいさんではない、お爺さんである。ヨボヨボである。
びっくらこいた。

いままで、エネルギー有り余ってそうなオバちゃんや電動自転車の主婦になら
何度も自転車レースで負けてきたことはあるがお爺さんは初めてだった。

ショックだった。

高校の時は毎日通学時に脳内自転車レースを開催していた私はそれなりに速さにも自信があったのだ。
まさかお爺さんに抜かされるだなんて、そんな日が来ることは考えてもいなかった。

お爺さんは完全に向かい風を味方につけていた。

今回のことで私はショックを受けたが、同時になんともいえない希望も感じた。

ヨボヨボのお爺さんが向かい風のなか颯爽と自転車をこぐ。

なんだか私の未来も明るくなった気がする。

こんなことがときどきある。

ヨボヨボのお爺さんが坂を自転車から降りずに立ち漕ぎをして登りきる姿をみたとき。

ヨボヨボのお爺さんが煙草を美味しそうに吸っている姿をみたとき。

グッとくる。


わたしもヨボヨボのお婆さんになったとき、きっと楽しい人生送れそうだと少し自信をもらう。

ヨボヨボのお爺さんたちありがとう。

ずいぶん前から私のまち(池田市)で気になっているものがありました。


これです。



ズン


文章をあれするための、あれ。


ズズン



文章をあれするための、あれ。



We Love Ikeda!と、

ザ・アメリカンファミリーが言っているような看板ですが、

私はこれを見るたびに

「そんなわけあるかい!」と思います。

池田駅周辺にはいくつも同じものがあるので

その横を通るたびに

「そんなわけあるかい!」と思うわけです。


まずこのファミリーは池田を知っているのか。

知らないでしょうよ。

知っていてこれが「We Love Ikeda!」という看板になると知っていれば

もっとなんだろう、こんなキラキラスマイルではなくてね、

あたたかさのあるスマイル、否、微笑みをするだろうと私は思いますよ。


このスマイルのキラキラ度からして、アメリカの大手スーパーウォルマートとかなんだかの広告用にとられたものではないかと私は思います。


そんな写真を池田のまち活性化を仕事とする人たちが

「ええやぁん。」と思ってこの看板写真として採用したのだと思います。


なぜ池田活性化員たちはこの写真を選び、このデザインにしたのか。

私なりに考えてみました。

欧米への憧れか?池田市民を使わないことによるプライバシーの保護か?など考えていくうちに私は一見へっぽこに思われた池田活性化員たちの巧みな技に気づいてしまいました。


それは、あえて外国人ファミリーを使用することにより、

池田市民の地元愛をより強いものにさせる効果を狙っているのでは?ということです!!


つまりこういうことです。

この看板を通りすがりに見た池田市民はまず私のように

「そんなわけあるかい!」と思いますね。きっと。

そしてそのあとに続く言葉といえば、、、

「私のほうが好きに決まっとるわい!」なんですね。きっと。


外国人ファミリーという部外者の存在を意識することによって

改めて強く自分が池田市民であるということを実感するのです。

他者によって自分はつくられるのですね。


このように

自分が池田市民であること、

そして池田なんて全く知らなさそうなこの家族より地元愛があること、

そんなことをこの看板に気づかされるわけです。


池田となんの関わりもなさそうなアメリカンファミリーのスマイルと、

We Love Ikeda! という文が組み合わさった意外性。


この意外性に人は惹きつけられ、改めて自分の気持ちに気づくことができる。


そう思うと、なんて敏腕プロデューサーなんだ、池田活性化員たちよ。




先日、私の祖父が少し困った状態になりました。

自転車でこけてお尻の骨にヒビがはいったというのです。


立って歩くこともできない程の痛みであっても、

治療法はとにかく安静にすることしかないらしく、

おじいちゃんは家で寝たきりの生活を余儀なくされました。


そんな中、年々おじいちゃんへの当たりが強くなっているおばあちゃんは

酔っぱらって怪我をしたおじいちゃんにとっても腹が立っている様子でした。


おじいちゃんの怪我のあと、おばあちゃんから送られてきたメールはこんなものでした。

「今度いつこれる?寝たきり老人約1名在宅中。ただし気にしないでね。」

寝たきり老人、、。



その後、家に様子を見に行くと待っていたのは

「大丈夫?」と聞くと「だいじょうぶじゃない」というおじいちゃんと、

事の一部始終におじいちゃんへの愚痴を絡めながら話してくれるおばあちゃんでした。


「酔っぱらって自転車乗るからおまわりさんに怒られたんやで、アホやろぉ~」

「大丈夫じゃないて言うてるけどな、私に世話してもらって喜んどるんやで」


なんて笑みをこぼしながら言うおばあちゃんよ、

お肌といい声の調子といいなんだか若返っていませんか?


確かにおじいちゃんはストローつき水筒にお茶いれてもらったり

色々お世話してもらっててまんざらでもない感じですけど、

おばあちゃん、おばあちゃんもなんだかんだ嬉しそうじゃないですか。

おじいちゃんが怪我をする前より若返っているじゃないですか。


そんなことをその日思いました。

そういうことってあるのだなぁと。

誰かの世話をすることで若返る。

にんげんっておもしろい。


まぁそんなこんなでおじいちゃんはだいぶ調子が良くなり歩けるようになりました。よかったよかった。