本を読んでいたら、たまに「満ち満ちている」という表現が使われていることがあります。
たとえば、
「このまちはふくまるへの愛で満ち満ちている」など。
考えてみました。
(ふくまるというのはゆるキャラです)
私はこの言葉がとっても好きです。
「満ち満ちている」が文にあったら心がきゅんとしてしまいます。
なぜでしょう。わかりません。
反復されることにより印象深くなっているから?
普段ほとんど使わない言葉だから?
それもありますが、
もう少し考えてみたところ、それは
言葉が言葉以上にその意味をぶつけてくるからではないかと思いました。
「満ち満ちている」は別にそこは「満ちている」と書いても大きく意味はかわりません。
強調されるだけです。
でも、その強調のために、わざわざ「満ち」をひとつ多く書くのです。その分すこし体力を消費するのです。
「満ち満ちている」と書くとなればその際は「道道ている」などと変換ミスをするリスクもあるのです。
そんなリスクを冒してまで、「満ち満ちている」と書く。と、いうことはそれほどまで筆者の思いが大きいことが想像できます。
つまり、「満ちている」や「溢れている」ではなく、あえて「満ち満ちている」が選ばれていることによって、
より「満ちている」感が増しているのをものすごく感じるし、
なにより筆者が「すごく満ちている」感を伝えたい気持ちもすごく感じる。
その筆者のリアルな気持ちがこの「満ち満ちている」からは伝わってくる気がします。
普段は使わないからこそ、簡単に出てくるような言葉ではないと思うのです。まぁそれはわかりませんが。
言葉は人によって持つ意味が違ってなかなか自分の思っているように伝えるのは難しいですが、
「満ち満ちている」はその言葉以上に、「満ち満ちている」ということを伝えることができる言葉な気がします。
これも私の思い違いで、ほかの人にとっては特別な意味を持たないかもしれませんが、
出来るだけそういう言葉をもっとうまく使っていきたいなぁと思う次第でございます。