読書中に感じるつけ麺の食感 | 文章をあれするための、あれ。

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日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

自分にとっておもしろくてしょうがない本を読んでいるときと

そうでない本を読んでいるときとではなんだか心の感じが違うなぁと思います。


この感じ何かに似ている、、と考えたら

それは「食感」でした。


おもしろい本を読んでいるときは食感を感じるのです。

大げさですが一文一文が心に刻まれる感じが食感に似ているように感じます。


例えば、最近読んだ灰谷健次郎の小説「風の耳朶」はつけ麺で、渡部昇一の新書「知的生活の方法」は焼いた長芋。


「風の耳朶」はすごく優しい文章で読みやすいのですが主張がしっかりある、そんな感じがなんとなくつけ麺っぽいと思い、「知的生活の方法」は一見難しそうだけど読んでみると面白くてサクサク入ってくる感じが焼いた長芋かな~と思いました。

食べ物を選ぶのに他にもそばやなんこつのから揚げなどと悩んで今も上に書いたのが一番だとは思っていないのでもっとぴったりなのがあるかもしれません。


それに対して、おもしろくない本(おもしろくても内容がない本など)はさらっと流れていくので水です。

難しい本、まだ私がそのレベルまで達していない本は渋いお茶みたいな感じです。なんとなくのイメージですが。


なんで食感みたいに感じるんだろうと考えたところ、

おもしろい本には「読みごたえ」があってそれが「噛みごたえ」と似ているからだろうという結論にひとまず落ち着きました。

「読みごたえ」がある本には無駄がなくて一文の濃度が濃く、逆に薄いと水みたいにさらさら流れて「噛みごたえ」がない。


よく「本をよく読みよく反芻セヨ、それがいずれ己の血となり肉となるのダ!」みたいなこと聞いたりしますが、

まさに自分の血や肉になるものに私は食感を感じるのだろうと思います。



おそらく「知的生活の方法」を書いた渡部さんは自分が書いた本を

「焼いた長芋や、、」なんて思いながら読んでいる人がいるなんて想像もしないだろうなぁ~と思いますがこれが私の知的生活です。タハハ