昨日、荒川河川敷に立って思ったことは、自分がいまここに立っているその意味でした。

101年目の出来事をいまという時点で思って見るとき、なにほどの意味があるのだろうか。

自分のいまとつながることは、一見無いように見えます。しかし…。

 

(関東大震災101周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式 式次第プリントより) 

関東大震災時に、この場所で多くの朝鮮人たちが、惨殺された事実を考えた時、この場所で配られたプリントにあった「私たちは、自分が殺してしまうかもしれない立場、殺されてしまうかもしれない立場」というものを考えざるを得ません。

 

凧あげをする若者たち。いま、虐殺の現場であるガザの人々のプロテストの方法です。

 

農楽(ノンアッ) 風物(プンムル)

米の豊作や魚の大漁を願い、地域の風習を取り入れて生まれた民俗芸能は、アジアの各地で受け継がれて来ました。韓国の代表的な民俗芸能「農楽」(別名:風物プンムル)は、地域の人達が豊かに暮らして行く為に行われてきた祈りの行事です。

この場で披露されました。

<12秒間>

 

   本  本  本

 

7月31日に購入した村山由佳さんと朴慶南さんの対談本『私たちの近現代史~女性とマイノリティの100年』(集英社新書2024.3.20)をもう一度目を通して見ました。関東大震災をめぐって、今に続く問題を二人が語ります。

様々な具体的な事実が数多く取り上げられます。

 

村山由佳(むらやま ゆか)さん、「シベリア抑留体験のある父を持ち、ドラマ・映画化された小説『風よ 嵐よ』でアナキスト伊藤野枝・大杉栄と、大震災での彼らの殺害を描いた」
朴慶南(パク キョンナム)さん、「祖父が大震災で殺されかけ、家父長制の色濃い在日家庭に育ち、自らも様々な形での差別を経験していきた」】(本書より)
 
この本の中で紹介される大震災時の事実は、とても酷くて読むのも躊躇(ためら)われる程です。
1昨日、ぼくがブログで紹介した千田是也さんの証言もあります。
<殺したくてしょうがないという集団心理>(p.39)
「あいうえおを言え」とか「教育勅語を言え」と命じられた。その二つは何とかクリアーする。「歴代天皇の名前を言え」で往生する。中学を出たばかりなので、半分くらいしか覚えていない。もうダメだ覚悟したとき、ある顔見知りの「な~んだ、伊藤さん(本名は伊藤圀夫)のお坊ちゃんじゃないですか」という声に救われた。
それにしても、私は殺られずに済んだが、ちょっと怪しいというだけで、日本人も含め、た罪もない人々がいったい何人殺されたのだろう。
後になってそれは、政府や軍部が流したデマだと知って、がく然とした。震災の混乱を利用して、階級的対立を民族的対立にすり替えるこで、大衆の不満をそらそうとしたのだ。それはナチスがとった手段と同じではないか。
異常時の群集心理で、あるいは私も加害者になっていたかもしれない。その自戒をこめて、センダ・コレヤつまり千駄ヶ谷のコレヤン(Korean)という芸名をつけたのである。
 
ねずまさし(歴史学者)の証言
「朝鮮人と間違われて危うく殺される一歩手前までいったけれど、町内で知っている人が自分を認めてくれたので九死に一生を得た。
それまで自分を朝鮮人かと思って包囲していたまわりの人々がすっかり失望し、『なんだ!日本人か!』といって、つまらなさそうに、ちりじりになって、立ち去って行った」
 

田辺貞之助(仏文学者)の証言の実際は、むごたらしくてとても書きうつせません。

虐殺された朝鮮人たちの死体の描写がすさまじい。若い女性の死体は、腹を切り裂かれ胎児がはらわたの中に転がっていた、そう記述します。
「日本人であることの恥辱」と書いています。
 
朴さんの「あまりにもむごさと愚かさに耐えがたくなって、正直、自分がにんげんであることさえもつらくなってき ます」という言葉、村山さんの「残虐な衝動が止まらなくなってしまう。…もはや獣だと言いましたけど、獣に失礼かもしれない。人間こそ、最も残虐な生きものなのかも」という慨嘆に、ただ深く頷くだけです。
 
読み直すことさえツライけれど、ここで本を投げ出してはならないと思います。それは事実に目を瞑(つむ)ることです。
 
朴慶南さんんが、この本の「あとがき」で「ほうせんかの集い」のことに触れています。
毎年、この9月初めの土曜日の集いに参加されているそうです。昨日もその場におられたのかな。
2009年の9月、土手の下の一隅に、「悼」と刻まれた追悼碑が建立されました。その追悼式に参加した後、完成した追悼碑を訪れたのですが、その折、そこに並べられていた木槿(むくげ)の花の小さな苗を持ち帰りました。木槿は韓国の国花です。
 ところが帰りの電車で苗の茎が折れてしまい、再生は無理かなと思いながらもセロハンテープで折れた茎を巻いて、庭の片隅に植えました。それを忘れていたある日、テープをつけたまま生長した木から白い木槿の花が咲いていました。うれしい驚きでした。
 年月を経て、その木はどんどん大きくなり、枝を伸ばし、夏になると白い木槿の花でいっぱいになります。もとは追悼碑から持ち帰った木槿の苗ということもあり、いっそう再生した生命力に感銘を覚えました。命あるものを尊ぶことを教えられたような気がします。
 関東大震災に命を奪われた朝鮮人や、今、この瞬間にも戦争や悪意のある攻撃によって命を奪われている人たちの、一人ひとりに尊い命があったことを忘れないために、「殺してはならない」「殺されてはならない」という言葉を、これからも伝えていきたいと思います。
 
この対談集を読むと、二人の熱い思いが胸にせまります。対談という形式のために読みやすいので、若い方も手に取っていただきたい本です。
目次にあるように、朝鮮人虐殺を中心に語っていますが、今の私たちを取り巻く問題の本質に迫ります。それも二人の人生での体験がしみてきて、ぼくなどとは違うところからの語りが面白い。目次を紹介しておきます。
<目次>
/序章 女性とマイノリティの近現代史へー2人の出会い、そして語りたいこと
/第1章 朝鮮人虐殺の事実に分け入る
/第2章 虐殺はなぜ起こったかー隠された歴史の解明と希望をつなぐ人
/第3章 伊藤野枝の恋と闘いー『風よあらしよ』をどう読むか
/第4章 痛みを負った人々への想像力ー『星々の舟』をどう読むか
/第5章 差別の構造を超えてー女性とマイノリティに身を置き換えてみる
/第6章 独自の価値を探してー愛と性の自分史を語ろう
/終章 想像力のレッスンー物語は他者の「痛み」を伝える