源頼朝と源義経どっちが好きって聞かれたら
源義経の圧勝だろう。
日本人の判官びいき(敗者びいき)の元祖。
と言うか判官というのは義経の官職。
判官そもそも義経からきているのだ。


義経は彗星の如く現れ、
平氏にあらずんば人にあらずと言われた、
あの強大な平氏を天才的な戦法で滅亡させた。
名家源氏の御曹司で軍事の天才美少年義経。


一方頼朝は、
父親が源平の戦いで平氏に敗れ、
幼い時から長い間幽閉されていた。
33歳の時(当時としてはかなり遅咲き)に挙兵。
義経が合流して以降戦いは義経たちに任せ、
鎌倉で政治に専念。
武士の棟梁であったが戦いの前線には、
立っていない。


政治的な活動は見えにくいし分かりづらい。
しかもそれまでの貴族中心の社会から、
そこから700年も続く武士中心の社会を作る
という大革命を成し遂げた。
政治の天才頼朝。


歴史の授業でもサラッと貴族の社会から、
武士の社会に変わりましたくらい。
大きな事をやった感じでは習わない。
現代で言うと資本主義の社会から、
新しい秩序の社会に代わる感じ。
しかもそれから700年も続くような。
そう考えるとかなりの大偉業だよね。


人はドラマチックなもの分かりやすいものが好き。
しかも歴史はその時代の人が、
書いたものではなくて後世の人が書いている。
なので、
後世の人の思惑が入っているので正確ではない。
しかも現代と文化も考え方も違うので、
歴史を見る時はそこを考慮に入れて考えた方が良い。

信頼できる資料によると、
義経は出っ歯で小柄な醜男(145㌢)、
頼朝は美しい容姿、当時としては長身(165㌢)
余談だが、
豊臣秀吉は小柄な醜男(140㌢)
子.秀頼は長身眉目秀麗(185㌢本当に秀吉の子?)



牛若丸(義経)と弁慶の出会い.勧進帳.

数々の戦闘のエピソードはほとんどフィクション。

そもそも弁慶は架空の人物。
歌舞伎やドラマは観てて楽しい方がいいからね。



さらに、
頼朝亡き後鎌倉幕府は、
頼朝の妻の家系北条氏が支配することになる。
北条氏が支配した後に書かれた歴史書が吾妻鏡。
北条氏が鎌倉幕府を乗っ取った訳だから、
頼朝のことは良くは書かないよね。



新しい社会を切り拓いた頼朝は、
もっと評価されてもいいと思うし、
思想.組織作りは凄く参考になると思う。
まぁ来年の大河は北条義時が主人公だから、
頼朝の評価は上がらないよな。



👇ラジオでいろんな人をテーマに話してます。
良かったら聴いて下さいね!

https://mookstudy1.mookmookradio.com/

 

昔の人のコミュニケーションは大変だ。
身分制度、男尊女卑などなど前提が対等でない。
その中で言いたい事を言うことは、
場合によっては死も覚悟しないといけない。
だからほとんどは言いたいことは、
言わないだろうし本当のことも言わない。
コミュニケーションの悩みは相当あったと思う。


現代は昔ほど前提で対等でないことは少ない。
環境的には昔より言いたいこと本当のことを言える
だとしたら昔よりコミュニケーションの悩みは、
少なくなってるだろうか?
相変わらずコミュニケーションの悩みは多い。
コミュニケーションの悩みに限らず、
昔より安全で快適で飽食になったのに悩みは多い。
悩みの中身は変わっても悩みの量は変わらない。


コミュニケーションに戻そう。
自分が思ってる世界と相手が思ってる世界。
同じ世界という名前だけど全然違う。
世界が違うということは前提も違う。
その事を分かって、

コミュニケーションしてるのだろうか?


自分が周りに良くしたことは自分が思ってるほど、

相手は思っていない。(しかもかなり)
自分が周りから良くされたことは、

自分が思ってるより多い。(しかもかなり)
自分が少しされたと思ってることならそれより、
沢山してもらってる。
そして相手は沢山したと思ってる。
事実と思ってることは、

大抵はあなたの脳内のフィクションである。
人は正確に物事を見れないし、

仮に見れたとしても意味がない。
相手の脳内世界があるから相手にとっては、

それは正確ではないし事実ではない。


コミュニケーションの極意は、
自分が思ってるより多くのことを、
してもらってることを前提に、
自分が思ったより大きめに相手に伝えること。
感謝のパッケージで包んで。

自分がしたことは相手からは、
それ程されたと思っていないことを前提に、
過大な期待やお返しを求めないこと。


だと思う。


言葉は大切で1番のプレゼントだ。
自分が思ってる以上に言葉で表現してないし、
言葉以外のものは思ってる以上に伝わらない。
もっと言葉に気をつけるべきだし、
もっと言葉をかけてあげるとスムーズにいく。


相手も自分も思ってる以上に言葉を求めてる。
察することを要求しても思い通りにはならない。
相手も自分もそれほど察しられないしね。
ただし評論やアドバイスはいらない。


相手の脳の中での世界は、
相手が主人公のヒーローヒロイン物語だし、
そして自分は正確に世界を見れていないのだから、

評論やアドバイスは迷惑だ。


必要なのは相手がとても重要で、
素晴らしいっていうことだけだ。


必要な言葉が足りなくていらない言葉が多い。
脳内フィクション(自分のモノサシ)で相手の為を、

思って言ってるというコミュニケーションが、

1番いらない。

何だか不条理っていう言葉が、

頭に降り注ぐので思うこと書いてみます。


最近は人権とかDiversityとかSDGsとか、

人と環境に優しいことをテーマに

されることが多い。
特に欧米の国で盛んに言われている感じ。



歴史的な視点から見ると、

違和感と言うか人間の変遷みたいなことを感じる。

歴史を紐解いてみると、

欧米人は殺戮と環境破壊の最大の当事者である。

古くは大航海時代.帝国主義(アフリカ.アジア植民地時代)、アメリカ西部開拓時代。

直視出来ないほどの残酷な出来事のオンパレード。

とても人間の仕業とは思えない。



現代の人間観が、

人間を正確に表わしてるのか怪しい。

南米の先住民族.ネイティブアメリカンの

崇高な生き方.自然に対する考え

どこに落ち度があるんだろうか?


した事が返るなら、

征服した欧米人がどれ程良いことしてきたのか?

南米の先住民族.ネイティブアメリカンは、

どれ程悪いことをしててのか?

世界中の鯨や動物を乱獲していたのは誰なのか?

(ペリーは鯨を取るための補給基地として、

日本に開国を要求しに来た)

今盛んに反捕鯨とか動物愛護と言っているが。


現代人の視点から見るとタリバンは野蛮に見える。

でも本当にそうなのかな?

単に人間の変遷の時間差で、

そう見えるのかもしれない。

昔の欧米人の方が遥かに野蛮に見える。



人間の価値観は時代によって変わる。

人類の歴史を直視すればするほど、

思った事が叶うとか引き寄せの法則とか

良い人になれば運が良くなるとか

凄く疑問に感じる。


たまたま今の時代の一部に適用できる法則が、

人間の法則として考えて良いものなのか?

本当に今時代が変わって人間観が変わったのか?

何だか都合のいい考えにも思える。

点ではなく線で線ではなく多面的に、

そして時間つきで世界を人間を見ていきたい。



もっとこの世界は不条理のようにも思える。

おそらく人間は、

人間は残酷で親切で利己的で利他的な存在だ。

だからこそこの不条理な世界を、

不条理を知りながら満喫したい。