昔の人のコミュニケーションは大変だ。
身分制度、男尊女卑などなど前提が対等でない。
その中で言いたい事を言うことは、
場合によっては死も覚悟しないといけない。
だからほとんどは言いたいことは、
言わないだろうし本当のことも言わない。
コミュニケーションの悩みは相当あったと思う。


現代は昔ほど前提で対等でないことは少ない。
環境的には昔より言いたいこと本当のことを言える
だとしたら昔よりコミュニケーションの悩みは、
少なくなってるだろうか?
相変わらずコミュニケーションの悩みは多い。
コミュニケーションの悩みに限らず、
昔より安全で快適で飽食になったのに悩みは多い。
悩みの中身は変わっても悩みの量は変わらない。


コミュニケーションに戻そう。
自分が思ってる世界と相手が思ってる世界。
同じ世界という名前だけど全然違う。
世界が違うということは前提も違う。
その事を分かって、

コミュニケーションしてるのだろうか?


自分が周りに良くしたことは自分が思ってるほど、

相手は思っていない。(しかもかなり)
自分が周りから良くされたことは、

自分が思ってるより多い。(しかもかなり)
自分が少しされたと思ってることならそれより、
沢山してもらってる。
そして相手は沢山したと思ってる。
事実と思ってることは、

大抵はあなたの脳内のフィクションである。
人は正確に物事を見れないし、

仮に見れたとしても意味がない。
相手の脳内世界があるから相手にとっては、

それは正確ではないし事実ではない。


コミュニケーションの極意は、
自分が思ってるより多くのことを、
してもらってることを前提に、
自分が思ったより大きめに相手に伝えること。
感謝のパッケージで包んで。

自分がしたことは相手からは、
それ程されたと思っていないことを前提に、
過大な期待やお返しを求めないこと。


だと思う。


言葉は大切で1番のプレゼントだ。
自分が思ってる以上に言葉で表現してないし、
言葉以外のものは思ってる以上に伝わらない。
もっと言葉に気をつけるべきだし、
もっと言葉をかけてあげるとスムーズにいく。


相手も自分も思ってる以上に言葉を求めてる。
察することを要求しても思い通りにはならない。
相手も自分もそれほど察しられないしね。
ただし評論やアドバイスはいらない。


相手の脳の中での世界は、
相手が主人公のヒーローヒロイン物語だし、
そして自分は正確に世界を見れていないのだから、

評論やアドバイスは迷惑だ。


必要なのは相手がとても重要で、
素晴らしいっていうことだけだ。


必要な言葉が足りなくていらない言葉が多い。
脳内フィクション(自分のモノサシ)で相手の為を、

思って言ってるというコミュニケーションが、

1番いらない。