サナトリウム -7ページ目

覚書

国会の方々が教育基本法かなんかに、愛国心の涵養という要素を盛り込もうとしているが、

じゃ、愛国心とはそもそも何かということを考えてみないといけない。

愛国心、、、江戸時代にこの言葉があったのかな?日本語は明治以降大量の翻訳語(漢字に翻案)を導入することで西洋近代の理屈やら何やらを取り入れてきた。そして一部は中国に逆輸入されもした。


愛国心、英語ではpatriotism。先祖、父親を擁護したり、愛したりすることを意味する。

別に「国」にこだわっているわけではない。だから、郷土愛という訳語もあるんだけど、

愛国心といってしまった場合、国家というものが前面に押し出されてくる。クニという語には、まだ国家という意味はなかったけれど、近代国家という枠組みができてしまってからは、クニと発音しても国家を意味するように響く場合が多くなったんじゃないかな。


愛国はおそらくpatriotismからきているんだろうけど、それが日本語に定着してどのように機能していくかは別問題。でも、語源をさかのぼってみるのも多少は意味がある、と思う。


ま、そんな話はいいとして、じゃ、実際にクニを愛するとして、どのようなことをしなければならないかということを考えると、愛国心を植えつける教育をするのではなくて、愛国心が自然に芽生える政治(内政・外交)を行うことだろうと思う。なんか、ありきたりのことを書いてしまった。それは、竹島を韓国が「不法占拠」していると教科書に書かせることではない。またまた、教科書的なことを書いてしまった。


日本は憲法上、軍隊を持たない。軍隊を持たないと明記された憲法を持つ先進国は日本以外にあるだろうか。アメリカの不安助長作戦で、世界の安全が叫ばれる中、今日本が軍隊保持を認める憲法にしてしまったら、今後二度とこのような憲法を持つ国は出てこないと思う。そんな中で、日本の憲法が非軍備を掲げているということは、誇りに思っていいんではないか。自衛隊の定義の仕方はまた面倒だけど。




ちょこっと訂正

映画『尼僧ヨアンナ』に音楽をつけたのはアダム・ヴァラチンスキという人で、

僕が聞こうかなと思ったのは、スタンコが1994年に、

おそらくこの映画にインスパイアされて

作ったというか

演奏したんじゃないかなというCDです。

一応ジャケットはこの映画のものですし。

曲名も、尼僧とか宗教とかをにおわすものもありますし。

因みに、副題はMonastery in the Dark、暗闇の修道院という意味です。


この音楽を聴くと、日常の仕事をほっぽりだして、

コーヒーでも飲んで、阿川佐和子のエッセイでも読もうかなという気になります。

最近、阿川佐和子のエッセイを読んでいるところなので。

そういえば

ポーランドジャズの話で思い出した。

昔買ったトマシュ・スタンコの『尼僧ヨアンナ』のCDが部屋のどこかに眠ってる。

聞いてみよう。

『尼僧ヨアンナ』という映画は映像、ストーリーもさることながら

女優さんが素敵なのでかなり好きです。


stanko



ポーランドジャズに詳しいオラシオさんのブログです。

      ↓

http://joszynoriszyrao.ameblo.jp/


キェシロフスキついでに

『アマチュア』についてこんなサイトがありました。


http://www.esquire.co.jp/must/must_29.html

ついでに

知人がクシシュトフ・コメダに関心を示しだした。僕は、ポランスキーの『袋小路』のサントラが好きだ。いまはこんな素敵なジャケットで売られているみたい。これまた僕の好きなレニッツァが描いている。彼の絵の中でも一押しだ。





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トーキング・ヘッド

 アマゾン・ドット・コムでキェシロフスキの「アマチュア」を買うと、ボーナストラックでクシシュトフ・ザヌーシとアグニェシュカ・ホラントのインタビューや、「トーキングヘッヅ」というキェシロフスキのドキュメンタリー作品がおまけでついてくる。むかし、こんな名前のバンドがあったっけ。もしかしたらタイトルはそれから取ったのかな。この短編ドキュメンタリーは、幼児から老人までに「あなたは何者か」「何を望むか」を言う問いを投げかけ、彼らの答える様を映す。ポーランド社会の集合的意識みたいなものを描き出そうとしたのだろうか。いま、日本でこれをやったらどうなるのかな。日本人は今何を望んでいるんだろう。あと、「あなたは何者か」という問いは、簡単だが深い。


 最近は、安全・安心が叫ばれ、セキュリティーに対する意識が高まってきている。京王線ではわけも分からぬ「テロ対策」などといったふざけたアナウンスが流れる。彼らに問いたい。「テロ」って何?どこにテロリストがいるの?安全を成り立たせるものは、管理になってくるが、管理をするということ、されるということは、突き詰めていくと、自分の情報が知らず知らずのうちに誰かに知られてしまうということになる。監視カメラとかね。銀行の静脈による判断なんて、自分が見ることすらできない血管によって自分が特定されるという仕組みで、自分が自分であることが自分の知り得ない情報によって確定されるなんて、なんだかぞっとする。インターネットだって、匿名だとは言うけれど誰がどのサイトを見たかなんていうことは調べられてしまう。自分の情報をとられない「自由」っていうのは、もはや成り立たないのかな。つげ義春のマンガみたいに、ありったけの金を下ろして旅に出るくらいしないと。なんだか変な話になってしまったな。

新ローマ法王

 ヴェネディクト16世はかつてはヒトラー/ユーゲントにいたらしいが、ヴァチカンはよそういう人をよく教皇に選んだな、と思う。別に非難するわけじゃない。ユダヤ教徒の対話はどうなるんだろう、と思って。入隊が強制であったのか、本人の意思だったのかは実のところ当人以外は誰にもわからない。ま、結局は、メディアなどによって作られる制度的なものが彼の行動をどのように認識したかによって、彼の過去についての世間的な判断は決まってくるんだけど。ユダヤ教のお偉い方は、彼が実は反ナチスであったとして、彼の就任を言祝いでいると伝えられているが、一般のユダヤ人はどう思ってるんだろう。マスコミにはそこんところをもうちょっと報道してほしい。

バチカンの夜では

 lenica ポーランドのビゴスを食べた。うまかった。ビゴスというのはソーセージやら豚肉やらベーコンといったお肉と酢キャベツとキャベツとニンジンとか玉ねぎとかを入れて煮込んだ料理のこと。あと、おそらく日本では未公開のヴィェスワフ・ロソハのポスターや、ヤン・レニツァの絵本が五冊もあった。ロソハの作品の、なんだかヒヤっとした感じが心地イイ。レニッツァでいえば、雪だるまの絵本が好きだな。

 画像は、特に関係ないけどレニツァのものから。

バルカンの夜?

以前リプチンスキーの上映かをやったギャラリーでまたなんかイベントがあるみたいです。

詳しくは下記サイトでご確認ください。

 

http://www.archi-pelago.net/archipelago.html

 

アーキペラゴとは「群島」と「多島海」を意味する語です。

海に点在する島々をさす場合もあれば

翻って島々の点在する海をさすこともあるという

きわめて不思議な単語です。

自分の視点を時には反転してみなさい、というメッセージでもあるのかな。

領土問題

 ここの土地がわが国のものだという論理は、近代国家体制とも言うべきものが成立して、国境を定めねばならなくなってから生まれる。わが国独自の領土という発想もまた然り。いついつ何年に、日本の領土としたという記録が残っていても、裏を返せばそれ以前は所有者が決まっていなかったか別の人のものだったわけで、独自というのは単なる幻想だと思うよ。特に石油などの資源がらみの国境画定の場合、開発を始めてしまったモン勝ちというような日本の論理が中国で反発を招いてもいたしかたない。「不法占拠」という語も、誰の視点から不法なのか。法律は普遍ではない。ということをもうちょっと考えてみて欲しい、政治家さんたち。