標高の低い里山でもブナなどの紅葉が始まり、急に秋らしくなってきました。山の上から見える稲田の色も、9割方はとり入れが済んでいるように見えます。
 つい先日、新潟県米の今年の作況状況が発表されました。新潟県の平均はやや不良の98。県内各地区は98~95当魚沼地区だけは、作柄の指数が100で、唯一平年並みということです。

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 今夏は記録的な猛暑と渇水、出穂期の天候不良などの条件が作柄に影響していると言われます。今年の半端でない暑さの中で、魚沼のコシヒカリはよく頑張りました。農家の方の喜びはいかばかりでしょうか。
  今年も魚沼産コシヒカリを子供や友人に贈る季節になりました。そして、このおいしい米を育ててくれる大切な雪の季節も静かに近づいてきています。気の早い家では、庭木が紅葉もしないうちから、冬囲いを始めているところもあります。屋根の雪下ろしや窓開けのあの辛い作業を思うと、だんだんと気が重くなってくるのも毎年のことです。
 エルニーニョだのラニーニャなどはどうでもいいですから、スキー場関係、交通関係、翌年の農家の水などのことがみなちょうどよい冬になってもらいたいものです。



 秋になると毎年、山のブナやドングリの実り具合がよく話題にのぼります。ツキノワグマなどの出没が心配されるからです。
   5年ごとに生り年があると言われるブナなどの実の豊凶作の程度が、熊などの出没と大きく関係するという話を聞きます。はたして今年の秋は山の生りものはどうでしょうか。
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「生り年」、「裏年」ということは、柿などにもよく知られた現象ですが、多かれ少なかれどの植物にも見られる現象のようです。先日、知人のブログで素晴らしいアオハダ(モチノキ科)の実の写真を見て思い出し、あの赤い小さな実が沢山ついている様子をスケッチしようと山に登ってみました。
ところが、あの赤い実はほとんど見られません。夏の日照りで落ちてしまったのか、たまたま不作の裏年に当っているのかもしれません。 

 昨年のアオハダの生り具合はほんとうに見事で、その場でスケッチをしていました。思うようには描けなかったそのスケッチを見ながら、どうも、植物の種類によって生り年と裏年が一様でないようなことも不思議に思います。
 
 天気は西の方から変化してくると一般的に言われています。山に登りながら、いつも西の空模様が気になります。
 この辺の山では、西南西約80キロ先の妙高連山と、西方約40~50キロの(刈羽)黒姫山、米山などはちょうど良い指標です。 
  日が西に傾く頃、逆光の中の夕焼け模様の時などには、それらの山々と空や雲のコントラストがとても美しい雰囲気をつくりだします。イメージ 1
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 盆地で暮らしているため、たまに広い海や空を眺めると、心が晴れ晴れとしてなんとも言えない気分になります。水や空といった捉えどころのないものは、絵の中には広く入れない方が無難ということを聞きます。しかし、技量は別として、たまには空をのびのびと効果的に描いてみたくもなります。
 空と雲によって醸し出される自然の雰囲気を大事にした19世紀のイギリスの画家__ジョン・コンスタブルは、ある手紙の中で次のように書いていたとのことです。
____「空が基調となっていない風景というものは考えられない・・・、空こそは、自然の中において光の源泉であり、すべてを支配している。」_
 
 昨年(2017年)5月23日に掲載したスケッチと同じ所、同じ方向のスケッチですが、別の山を描いたのかと思うような絵になりました。右手に絵筆、左手に双眼鏡を持ち、震える視野を通してのスケッチはなかなか難しいですが、変わった面白さもあります。
 
 庭の草むらでホオズキが色づく季節になってきました。
 子どもの頃、ほおずきの漢字「鬼灯」を初めて知った時、何かおどろおどろした得体の知れないイメージが想像されて、あまりいい感じがしませんでした。女の子たちは、赤く熟した実の皮を口の中に入れて、音を鳴らしては喜んで遊んでいました。

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 WEBで調べると、お盆にホオズキの実を死者の霊を導く提灯に見立てて飾る風習があったとのこと。赤い色も相まって鬼(妖怪や神など全部まとめた意味)のための提灯と言われた事から、「鬼灯」という字が当てられるようになったなどとありました。
 
 観賞用としてホオズキは愛好家も多いようです。東京浅草寺のほおずき市はよく知られています。栽培には連作障害があるとか本にありましたが、我が家のホオズキなどは、毎年庭の同じ一角を拠点として縦横無尽にはびこっています。 業を煮やしてエンジン刈払い機で一気に刈ってしまいますが、ちょっと間をあけるとすぐにもとの草むらに戻ってしまう厄介者です。
 そうは言っても、赤色の実がたくさん付いた枝を大きく束ね、乾燥させたホオズキのドライフラワーは、家の玄関ホールを1年間きれいに彩ってくれて、なかなかいいものでもあります。
 
 
 「晩夏」と書くのもはばかるような連日のこの暑さ。つい一昨日などは最高気温がアメダス観測全国上位10地点のうち上位7番まで、県内7箇所が独占、まさに記録的な暑さです。とにかくこの夏ほど日陰、木陰、などの言葉が心地よく聞えた年はないような気がします。
 木陰、緑陰、緑陰読書などと言うと、なぜか遠い昔の小学校時代の町内少年団の勉強会を思い出します。朝の涼しいうちに、草の茂った空き地にござを敷き、木のみかん箱の上で夏休みの宿題を、年長の子が 下の学年の子に教えてくれるといった活動でした。

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 藪蚊などには一向に気にならなくても、バッタなどの虫には大いに気が散り、遊びながらといった感じもする勉強会でした。それでも、木陰での勉強は涼しく、上級生への適度な緊張感もあったりで勉強が進んだものです。どこの家も子どもが多く、大人たちは生活に忙しかったようです。子どもとしては、用事や仕事を言いつけられる家に居るよりも、学校や外で過ごしていた方が楽しかったというのが実情だったのでしょう。
 朝の勉強会が終わると、その日の「ノルマ」を果たしたという小さな達成感があり、一日を何となく自信をもって過ごすことができたような気がします。
 そろそろ学校の夏休みも終わる頃です。晩夏という言葉にはそこはかとなく寂しさを感じます。子どもたちはどんな気持ちで、行く夏を過ごしているのでしょうか。