かけはし

かけはし

日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

かつて日本では、がんになった時に本人には告げずに家族にだけ伝えることが一般的に行われていたそうです。今はそんなこともないんだろうと信じているけど。


自分の体のことなのに、真実を教えてもらえないことがあったなんて。でもわたしは身近にそのようなことがあったんです。もう30年近く前のことですが。叔母だったのですが、誰も真実を教えなかった。だけど叔母は知っていたと思います。


だって良くなる兆しのない体調、日に日に落ちていく体力、自分でわからないわけないんですよ。

わたしはもうドイツにいて、介護やお見舞いや、とにかく何も協力できなかったので、何も言わなかったけど、すごく違和感を感じていました。


わたしは、生検の前の詳しい血液検査で、家庭医がしこりがあることを慮って「腫瘍マーカー」と言う項目も追加したんですが、それは異常なかったし、しこりも、なんと言って良いのか、禍々しい感じでは無く、無害っぽい柔らかいやつだったので、たいして心配もせずに、結果を聞きに行きました。それに3年前に珍しい腫瘍で下顎を取り去る大きな手術したので、もう一生分の病気をやっちゃった、と思っていたんですよね。

で、医者が来るなり、椅子に座る前に「ねえねえ、すっごく興味深い(interessantes)のが見つかったんだけど。君は乳がんだよ。両方とも」とさらりと言われたんです。わたしも思わず「ナイーン」ですよ。


そして病理検査の結果を前に今後の予定を説明されて(それはその後白紙になる)、金属製のマーカーみたいな小さな球状のものを両方の腫瘍の位置に埋め込まれ(生検より痛くなかった)、CT検査と骨シンチグラフィーの予約が既にされていたので、紹介状をもらい、腫瘍内科の予約ももらって、すぐさまホルモン療法を始めた方が良いとのことで、ホルモン剤の処方箋ももらって、書類だらけで帰宅しました。


考えてみれば、医師が登場する前のデスクにはかなり多くの書類が重ねられており、どうもわたしの名前が書いてあるし、嫌な予感はしたんですよね。待っている間。


かつての日本で患者に真実を告げなかった時代は果たしてどうやって治療法を選んでいたんでしょうね?


ともあれ、さらっと現実を告知されたんですが、まず思ったのは今後の会社のことですね。我が社は4月に会社組織を変更したばっかりなんですよ。その諸々の手続きもまだ終了していない。


あと荒れ放題の自宅。3年前の下顎腫瘍の時に心を入れ替え、終活を始めたはずなのに、忙しすぎて放置。これをなんとかしないと、このまま死んだら末代までの恥。


元気なうちに家を片付けておかなかったことを後悔していますよ。本当に時間なかったけど。


診断されてすぐに次女には連絡しました。彼女は心配のあまり頻々とwhattappを送ってきていたからです。ちょっとかわいそうだったな。そして帰宅したら夫もいて、残念そうな様子を見せていましたね。

彼自身も治療中のがん患者ですからね。老老介護ならぬがんがん介護ですよ。ところで癌がいいのかガンと書くべきかがんのままでいくか?

で、思ったのは、絶対に家事手伝いが必要だ、と言うこと。だってその時点では「赤い悪魔」と呼ばれるガチのケモテラピーが予定されており、どうも副作用がかなり強いと書いてあるし、わたしはある種の痛み、ある種の苦しみにはかなりの耐性を持っていますが、つわり的な気持ち悪さはダメなタイプで、戦々恐々としておりました。わたしも夫も寝込んだ場合、夫が出張でいなくてわたしが寝込んでいる場合、わたしがだめだめ状態になって、夫が家にいる場合。


これ、全部ダメなやつですよ。

一番最後のパターンはまだマシですが、はっきり言って夫の家事能力にはわたしは見切りをつけてますしわたしの欲するものが出てくることはないでしょう。

早速私の健康保険会社に電話し、家事手伝いの申し込み書を要求したところ、なんと、我らは介護認定を受けていないのでそのサービスの対象外だそうなんですよ。「だって二人ともがんで、二人とも寝込むことあると思うんですよ。誰がご飯作って誰が掃除して誰が世話してくれるの?我らにどうしろって言うの?わたしたち二人でどれだけの保険料を払ってると思う?」と例によって大騒ぎしまして、同居人がおらず、生活が成り立たず、家事労働が困難であると言う証明を医師が出した場合は対象になれないこともない、と言う答えを引きずり出しました。

わたしはまだ治療がスタートしていないので、手続きを先に進めることはできないんですが、進捗状況は記録しようと思います。


そう。がんと診断されて、わたしの場合は今後の生活と仕事の計画の見直しを迫られ、病気のショックどころではなかったですね。

思い出してみれば、下顎腫瘍の診断の時も、乳がんと同様、全く自覚症状が無かったので、冗談かと思ったし、手術してから副作用で病人になりましたから、なんか今回もそんな感じだなあ、と思うね。今のところしこりが手に触れるだけで全く自覚症状ないけど、これから治療すると手術になってもケモになっても、自覚症状ありの本物、と言うかガチの病人になっちゃうんだろうなあ。



判明した時点では最初に化学療法と思っていたので、すぐに娘二人が共同でスカーフをプレゼントしてくれました。なんとエルメス!厚手の上質のシルクは肌に気持ちいだろうから、とのこと。ミニトレンチコートにぴったり。下は長女が送ってくれたサワードウのスターターを育てて焼いたパン。


さんぼ








わたしはかなりラッキーだと思うんですよ。なぜなら母国を離れたこのドイツで、日本にいたとしてもそうそう出会えないような素晴らしい女友達に囲まれているから。


もう彼女らの素晴らしさを書き連ねていると、おそらく数日かかるので、いちいち書きませんが、とにかく病気が判明してすぐにお友達に連絡しました。絶対に助けが必要な場面が出てくると思ったし、彼女らはできる限りの助けを提供してくれると信じているからです。


外国人と結婚して病気になった場合困るのは、日本の家族との連絡関係や食べ物、日本関連の仕事をしている場合の仕事の調整です。世の中には日本語堪能なパートナーを持つ人もいるでしょうが、ほとんどの場合は、ご実家の家族とドイツのパートナーのコミュニケーションは一筋縄ではいかないのではないの?

やっぱり日本語話者の信頼できるお友達の協力が不可欠になってくるんです。


わたしの友人達はドイツ語も日本語も英語も堪能なばかりか、素晴らしい料理人でもあり、色々な分野で活躍してきた人たちなので、わたしの仕事も一部任せられる。こんなラッキーな人はあまりいないと思う。


あまりはっきり書くのもなんなんですが、赤裸々に言うと夫よりもずっと助けになる。


実は病気発覚前から彼女たちと一緒に初めてのグループ旅行を計画していまして、行き先はウィーンだったんですが、かなり楽しみにしていました。で、結局はポート設置の手術を延期してもらって、行くことができたんだけど、楽しい笑いっぱなしの旅行だったから、また来年も行くつもり。こんなに楽しいんだったら10年前ぐらいから実行すればよかったな。


日本の家族とのやりとりも、彼女らにお願いすれば問題ない、と思えるのはかなりの安心材料ですよ。わたしには二人娘がいますが、日本語は読み書きがイマイチですし、役所などの手続きはちょっと難航するかもしれない。

まあ、わたし自身が日本の家族とコミュニケートできなくなるのは、かなりの緊急事態でしょうが、でも何があるかわからないですからね。

考えてみれば下顎腫瘍の手術の際も、彼女らならなんとかしてくれると信じて、受けている仕事のリストなんかも送ったなあ。


わたしは断言しても良いと思うんだけど、異国の地で、病気であろうがなかろうが、最も貴重なものは良い人間関係、持つべきものは、素晴らしい友達です。

ま、これは運もあるね。わたしは本当にラッキーだった。


今回も病気のことを伝えたあと、すぐに日本の懐かしい味を差し入れに持ってきてくれたり、わたしが既に受けていた仕事を引き受けてくれたりともう既に色々とお世話になっています。ありがたい。


今のところ治療も始まっていないので、危機感が無く、病気の実感も無く、うっかりすると無かったことにしそうなんですが、とにかく今のうちに片付けられる仕事はなるべく先までやってしまい、少しは安心して治療が始められれば良いなあ、と願います。


あと数日で南フランスまでの音楽交流ツアーがあります。行けないだろうと思っていたけど、治療も始まっていないから、行こうと思えば行けるなあ。行こうかな。運転はしない。なぜってポート入れて、まだ首や腕を動かすのが痛いんで、無理したくないので。

様々な手配や予約はわたしがやっているから、誰かに指示して引き継ぎをするよりも自分で行っちゃった方が手間がかからないと言う理由もある。


ラベンダーが綺麗な時期かもしれないなあ。



バナナほど余りがちな果物って無いんじゃないかな。もう飽きたけど、仕方ない。ケーキで消費。わたしは糖分を控えたいんだけど。

長女ががんには枝豆と力説したので、これも枝豆料理。味ご飯のおにぎり。


さんぼ

乳がんと診断されて、しかも両方で、片方が大変増殖スピードが早いアグレッシブな腫瘍と診断されたので、すぐに化学療法が予定されて、2週間ごとのAC療法を4回、その後1週間に一度のパクリタキセルという抗がん剤を12週間、を始めるつもりでしたが、スタートの直前にキャンセルになったのは前に書いた通りです。


わたしがもう2週間以上待っているのはOncotypeと呼ばれる遺伝子検査の結果です。この検査は日本でもやっていると思います。ただ、全ての乳がん患者がこの遺伝子検査を受けるわけではないようです。実際、わたしの場合は最初の病理検査の結果が、増殖早くアグレッシブな、明らかに化学療法を必要とするタイプ、とされていたので、Oncotype検査などはやらずにすぐケモテラピーとなるはずでした。

ところが病理の結果が修正されたので、ケモテラピーを直前でストップして、Oncotypeテストに検体が送られたのです。

この検査では、がんの詳しい素性、果たして化学療法に反応するタイプか?再発リスクはどの程度あるか?などが明らかにできると言われています。


わたしなんて、仕事は代わりの通訳を見つけ、運転手も手配し、大車輪で資料をまとめ、脱毛に備えて髪を切って、あまつさえ日帰り手術でポートまで入れたのに、もう2週間も治療がストップです。準備万端整えたのに、予定がキャンセルになる無念。


わたしのがんは、ホルモンに依存しているタイプですから、ホルモン剤を治療のために服用しているとは言え、そんなの直径5ミリぐらいのちっちゃな錠剤ですよ。治療をやっている気分になれない。なんか、両胸のがんをそのまま2週間以上放置している気がしてなんだか不安になります。


最も気にくわないのは、わたしは今まで多くのことを自分で計画して、自分で決定して先に進めてきたんです。第三者の出方で自分のプランが全て変わってしまうということに慣れていないし、苦手なんです。

自分で検査機関に行ってちゃっちゃっちゃと検査させて、オンコロジストと乳腺外科医にこっちから指示を出したい。


今後、起こりうるシナリオとしては、


① まず手術、その後放射線か、化学療法。あるいは両方、あるいは手術の後はホルモン療法だけ。

② 予定通りフルコースの化学療法。これをやったら時間かかりますよ。だってケモだけで少なくとも5ヶ月かかって、その後手術ですからね。

③ 12週間のケモの後手術。


わたしは、二度医者にメールを出しました。なぜかと言うと、ほとんどの連絡や説明が電話だったからです。ドイツ語は日常会話や慣れ親しんだ仕事の上では困ることはありませんが(相手が困っているかもしれないけどね)、医学関係になると話は別です。日本語で説明受けたってわからないかもしれません。だから、わたしの理解はあっているかの確認と、後から出てきた質問事項も合わせてメールを送ったんです。


オンコロジストは、最初の面談も1時間ぐらい時間をとって、説明してくれて、非常に丁寧な人との好印象を持ったんですが、メールにも割とすぐに電話で返事をくれました。これで返事がメールだったらもっと良いんだけど、文字にして証拠を残したく無いのかなあ、とにかく医者からの連絡はほとんどが電話ですね。誤解はしておらず、やはりここは覚悟を決めて検査結果を待つのが最良だと言うことも納得しました。


仕方ない。もう出来ちゃったものは、無かったことには出来ませんからね。まな板の上の鯉と言うか、とにかく何かしらの治療を実施しないと、悪くなることはあっても自然に良くなることは考え難い。ならば待つしかありませんね。


しかし今までの人生で、ここまで自力対応が全く不可能な状態に置かれたことはあまり経験がないので、これは修行と思うしか無いですね。



綺麗に盛り付けたお食事は、アルゴイ地方のホテルの夕食。現在我が社は国鉄代替バスをアルゴイ地方で運行しており、運転手宿泊ホテルは、ご飯がとても美味しいんです。この代替バスを運転したのが最後の客を乗せての運転でしたね。

ソースに浸かったお肉はドイツ名物ローストポーク。わたしはこれがかなり好きで、頻繁に作っています。夫と二人なのにお肉は1キロ調理。明日も食べます。飽きない。フライは次女が作ったチキンカツ。次女は週に何度か料理をしてくれます。ちょうど良い塩梅の味付け。わたしのご飯を食べて育ったから当たり前かもしれないけど。そして長女が「がんには枝豆」としつこく言うので、枝豆サラダ。


さんぼ