かけはし

かけはし

日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

今回ばかりは最後まで果たして日本行きが実現できるかどうか、定かでなかったのですが、無事飛行機に乗り込み、日本に到着しました。

二度目の手術が9日前に行われましたが、1回目は術後5日でローマまで長距離運転したことを思えば、乗っているだけの飛行機移動なんて楽勝です。


もちろん、感染症とか、血腫が大きくなるとか、水が溜まるとか色々起こる可能性はあるので、温存だから楽勝、ってことはないでしょうが、もう日本に着いちゃったので、何もないことを祈るだけですね。

現時点では、胸は揺れれば痛いのは変わりませんし、感覚も鈍いし、また乳房の一部分が硬くなってきた気もしますが、考えてみたらわたしは術中放射線照射をしていて、照射部分は硬くなることがあるそうですから、それかもしれない。日本滞在の前半は実家ですので、今回はお手伝いはほどほどにして、グータラするつもり。


さて、行きの飛行機はプレミアムエコノミーでした。わたしは今の所は良い飛行機の座席に余計な支出をする気は無いのですが、たまたまエコノミーとの価格差がほとんどなかったので。フィンエアーでしたが、プレミアムエコノミーの席はすごく少なく感じました。3列か4列しかなかったかも。その代わりビジネス席が多かったかな。やはりエコノミーよりも多少快適と思うけど、価格差によるよな。この程度の快適さのために1万円以上は出したくない。ええ。わたしはケチです。


わたしはミュンヘンからヘルシンキの便がちょうどお昼時にかかっていたので、お昼ご飯を食べ損ね、ヘルシンキ空港でパンを買って食べたので、いまいちお腹が空いてなかったんだけど、これが1回目のお食事。和食です。

どうだろう?最近はどの航空会社でもエコノミーは、お盆がすごく小さくなって、簡素で寂しい機内食が多いですが、フィンエアーはかなり残念でしたね。帰りも期待しないで、食べ物は持ち込もう。


ちなみに帰りはエコノミーですが、わたしはドイツに到着したら、家に帰らずにそのまま通訳業務の出張に行くので、機内で十分に休まねばならないので、座席指定のために課金するなんて、わたしの趣味では無いけれど、今回はちゃんと快適そうな席を選んで課金せざるを得ないかもな。あるいはアップグレードするか。このチケットを予約した当時はまだがんの診断前だったからなあ。自分の体力を過信して、わたしは不死身と思っていたからね。



成田到着して、やっぱり病人だから、長距離フライトの後はホテルで休んで、次の日に福岡に飛ぼうと思って、いつも泊まるホテルで一泊。時差ぼけでろくに寝られなかったけど、ベッドに転がっているだけでも休めたかもしれない。

ホテルでの夜ご飯と、別にお腹も空いていないのに、ついコンビニで何か買いたくなって買ってみたプリンパフェ。コンビニはパラダイス。


さんぼ


久しぶりに病院関係でない日記です。


ドイツ、バーデンヴュルテンベルク州も夏休みに入りました。我が社は黒い森とシュヴァーベン山脈地方で路線バスの運行を担当していますが、黒い森の方は学校休暇中は運行がお休みです。昔は走っていたけれど、経費節減で、全て予約制のオンデマンドバスに 変わったので、仕事が減りました。ただし黒い森路線担当のギリシャ人のおじさんは、休暇ごとにギリシャに帰るのを楽しみにしており、給料もらえなくたって良い、と述べているので、まあ良いか。彼の使ったバスを黒い森まで今取りに行っています(やっぱり仕事している。自宅療養って何?)。

今日は悪名高いドイツ国鉄と路線バスを利用して、Stuttgart空港まで行きます。空港までギリシャ人のおじさん運転手がバスを持って来てくれて、そこでわたしが乗り込んで我がガレージまで持って行くんです。おじさんは空港からテサロニキ行きの飛行機に乗り込み、5週間の休暇です。良いなあ。


前にギリシャ行った時に思ったんだけど、歳の頃、それこそうちの運転手ぐらいのシニア達が、街のあちこちでたむろしたり、バーやカフェやレストランで車座になって、元気いっぱい楽しそうにおしゃべりしている姿を見て、「ああ、こんなに楽しそうに仲間とおしゃべりしてるなんて、経済危機があれど、ギリシャって案外良い国なんじゃないか?」なんて思ったんです。ほんと、ギリシャで最も印象的だった風景です。どの街にも元気なシニアグループがあちこちに見られた。彼もクニに帰れば、あんな感じでタバコ吸いながら、友達と楽しむんだろうなあ。


そしてもう一つのシュバーベン山脈の路線ですが、これは365日運行です。これって、結構大変ですよ。ここを主に担当しているのも真面目一徹ギリシャ人ですが、彼は数ヶ月前にギリシャからガールフレンドを呼び寄せましたが、どうも、彼女が働き口を探さないことに徐々に不満が募ってきているようです。だって、彼女の衣食住を彼が面倒見ていますからね。なんか嫌になってきてるのが見て取れます。うーん、これはアドバイスのしようがないね。わたしは、夫の稼ぎだけで生活していた時期はとても短く、常に働いていたし、職種なんて何にも考えなかったもんね。レストランの皿洗い、ベビーシッター、イタリアンレストランの調理助手、観光ガイド、などなど。彼のガールフレンドは大学院卒で、研究職を探しているけど、なかなかないんだそうです。プライドをかなぐり捨てて、なんでも良い、となれば仕事はありますけどね。でもそうはいかないんだろうなあ。

まあ、彼は水面下で、彼女をギリシャに帰したあとのこともすでに計画していますけど、ま、うまく行くことを望みますけど。


なんてことをつらつら考えながらの電車の旅は悪くないですねえ。普段路線バスで来る駅も電車で到着するとまた趣が違う。


上の写真にバスがちょっと見えますけど、ここが我々のバス停です。汽車の中からはこう見えるのか。

下は見えにくいですが、上の駅Geislingenに行く時はこの山を越えるんですが、こうやって写真に撮ると、いやーわたし、すごいところ運転しているよなあ、と思いますね。

わたしはこんなとこに住まないね。だってどっか行きたいと思っても急カーブ満載の山道を登ったり降りたりして移動なんて面倒だし、パンが一個欲しくても虫刺されの薬が欲しくても、車か路線バスに乗って山を降りないと手に入らない。通学だって大変ですよ。しかし思い返すとわたしは高校は福岡のお嬢様学校だったんだけど、通学はバスー電車ーバスと二回乗り換えで通学してたんだ。となると、2回ぐらい公共交通機関を乗り換えて通学なんて、案外普通のことなのかなあ。我が家の娘達は、全て徒歩通学だったけど、そっちの方が珍しいかもね。


Esslingenの駅から乗った空港行きの路線バス。ものすごく乗り心地の悪い連接バスだった。これ、車種の違いか、運転スタイルの違いか?道路が悪いのか?わたしも連接バス運転しますが、他の普通の路線バスと感覚的にあまり変わらないけど。乗客として乗ると色々な気づきがありますね。二度と乗りたくないぐらいだった。


下は二度目の手術で取り出した、結局一度も使わなかったCVポート。お土産にくれました。挿入した時の傷はすぐにきれいになりましたが、取り出した後は、縫い目もがたがたで、見た目が良くない。


さて、日本帰省が近づいてきました。事務仕事を片付けて、留守番の夫がなるべく快適に過ごせるように準備するわたしって、なんて理想的な妻なんでしょうか。


さんぼ








乳がんは、いろいろなタイプに分かれており、タイプが違うと治療も全く違うものになります。だから、乳がんの場合は標準的な治療もタイプによって全く違いますね。

乳がんは、割と患者数は多いのかなあ、案外周りに患者本人や、知り合いや友人や奥さんが患者、と言う例が多いです。

わたしは病気のことを隠しておらず、一族郎党、友人関係みんなに報告していたので、みんな1人ぐらいは近くに乳がん患者がいるので、結構色々アドバイスももらったな。こっちの捉え方にもよるんだろうけど、嫌なこととか気になることとか、不快になるようなこととか、ネガティブなことを言う人は1人もいなかった。
何人かの人からは、今かかっている病院で治療を続けるつもりなのか?大学病院に行かないのか?などと聞かれました。

長女は、かつて医療関係の仕事をしていた事もあり、しかもわたしと夫の治療を受けている病院で、実習をしたことがあるので、どうもこの病院を信用しておらず、こんな田舎の総合病院ではなく、街の大学病院かわたしが顎の腫瘍の手術を受けた軍隊病院に行け、せめてセカンドオピニオンを取れ、としつこかったんですが、我々はそのアドバイスに従いませんでした。

まず大学病院に比べて患者数が少ないのは、わたしにとってはメリットと思ったし、建物もモダンで新しいのはポイント高かった。自宅からも近く、通いやすいのは重要。

そして、この病院で治療を続けようと思った最も大きな理由は、この病院の乳腺外科や泌尿器科は、大学病院と診療を密接に協力しているからです。がん会議なども一緒にやっていますから、仮に大学病院に行ったり、セカンドオピニオンを求めたとしても、何か新しい治療法が提案されることは考えにくいのです。

また、夫もわたしも、経過としては、想定内、と言っていいのか、ごく通常の良くある経過を辿っていたために、いくつかの治療法が提案される事はなく、ごく普通の標準的な治療を行なっていますから、色々と選択をする場面が少なかった。セカンドオピニオンを求めるまでもない。

わたしは多少は、選択しました。乳房全摘か温存か。術中放射線か、後から胸全体に放射線照射か。リンパ節を取って調べてもらうか。

幸いなことに、わたしはホルモン療法が予想以上によく効いたのと、もう還暦を過ぎた年齢なので、再発転移のリスクを最小限にするよりも、体の負担を最小限にする方に重きを置きました。下顎腫瘍の後遺症で、すでに色々と不便を強いられているので、これ以上の不便は嫌だったことが大きいですね。あと、両側乳がんなので、もしもリンパを取ることになって、それが両方だったら、かなり面倒なことになるよなあ、それはちょっと受け入れたくないよなあ、とも思った。

今の所、わたしは主治医の提案とわたしの選択に満足しています。乳がんは長く付き合う病気のようです。残念ながら。今後もいくつかの選択を強いられる場面があるでしょうが、常に情報収集を怠らずに、自分なりに乳がんの知識を深めて準備しておきたいとおもいます。

さて、我々夫婦の周りは我々も含めて本当に病人が多いんですが、乳がんも何人かいます。アルバイト運転手の奥さんも長年乳がんの治療を続けています。初発は8年以上前なんですが、彼女は外科手術を拒否し、自然療法で治療を続けていました。最初の6年間ぐらいは、これは認可されていない薬だったので、個人輸入で手に入れていたのかな?とにかくかなりのお金もかかったようです。

幸い数年前にこの薬が認可されたので、保険で手に入るようになったそうですが。ただ病状は進行しており、かける言葉がありません。わたしは同じ病気だし、今のところ、順調に治療が進んでいるのでなんと言っていいかわからない。元々は奥様の方は、かなりの早期発見だったので、治療の選択が違えば、また違ったんじゃないかなあと心の中では思ってしまいますね。まあでもそれは彼女の選択なので。ご主人もその選択を受け入れたんでしょうし。


二度目の手術の後の様子です。寄る年波でたるんだ醜い皮膚ですが、ちょうど腫瘍を除去した跡がよく見えると思います。

前にしこりがよく見える写真を掲載しましたが、今はそのしこりがあった場所が凹んでいます。一度目の手術ではこうはなっていませんでした。二度目の追加切除で景気良く切っちゃったんでしょうか?

左の方はちょうど乳首のところを切開していますが、血腫を取るためにまた開けていますから、またさらに乳首のあたりの変形が増しました。

ポート除去の後も、なんだか縫い目が乱れて、ちょっと不器用さが全面に出ている縫い目なんですけど、これ、誰がやったのか、ますます興味が募るな。


左の方も乳首の裏の腫瘍をとったらどうなるかの参考に写真を載せたいと思ったけど、どうも乳首が入ったらイケナイ写真カテゴリにされるらしいので、ちょっと考え中。


さんぼ