かけはし

かけはし

日本とヨーロッパの交流コーディネイターのさんぼです。
草の根のちいさな交流が広がれば、きっとお互いにわかりあえる、受け入れられる。

今回は、日本が初めてなのは確か二人だけだったと思う。メンバーの一人なんて日本で3年ほど働いていたことがあるほどでした。

また、何度か日本に演奏あるいは観光のために来たことがあるメンバーのほうが多かったにせよ、初めての人のために1日東京観光を提案しました。


しかし川口は便利ですね。京浜東北線だっけ?これを使ってすぐに東京に行ける。ほとんど東京なんじゃないの?


わたしの提案は、川口➖浅草➖ボートでお台場➖豊洲➖歌舞伎座➖東京タワーかスカイツリー。


頑張りましたよ。まずは浅草で日本情緒を満喫。浅草のツーリストインフォメーションはすごく便利。ドイツ語の案内もあり、係員の方もみんな優しい。




みんなが浅草散策している間に急いでボート乗り場に行き、確認。隅田川クルーズは初めてだったんです。近未来的なボートは時間が合わず、レトロな船に乗りましたが、嬉しい誤算で、こっちの方が所要時間が短いのかなあ?とにかく思ったより早く着いたので、お台場でもゆっくり休憩と写真タイム。



このレトロ船は、多少の追加料金を払って席を予約したら、冷房付きの船内に入れた。快適!!


そして、前回のドイツ人青少年オーケストラのツアーの際に立ち寄り、案外評判の良かった豊洲の「千客万来」へ。



足湯があるんですね。ドイツ人は冷たいと思って足を入れたら暖かかったので驚愕したらしいけど、暑い日に熱い足湯もさっぱりしたらしいけど、ほんとかな?

先客万来では、メンバーの中のシニア組と一緒にちょっとお高いレストランへ。色々なスタンドがあってちょこちょこ試食的にも食べられて、それも面白そうでしたが、よる年並みで、冷房が効いたちゃんとした席に座るためにはカネに糸目をつけない。



歌舞伎座にちょっと立ち寄って、本当はレトロな東京タワーに行きたかったんだけど、どうもどこから行ったとしても多少歩くようで(ですよね?)、あまりの猛暑にできるだけ体力温存のために行きやすいスカイツリーにしました。わたしは高いところは本当に苦手なんですが、ここはまだ大丈夫かな。


見学の後、なんとかスムーズに川口に帰還。確か19時前には着きました。川口駅でまず一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びたいみんなと別れて、わたしはシャワーなんかよりもさっさとご飯食べて、バスタブでくつろぎたかったから、一人で夕ご飯に。




なんて便利なレストランだろうと感激したんですが、おひとり様焼肉店です。もちろんテーブル席もあるんでしょうが、ほとんどがカウンター席で、わたしだけの焼き網が前にあって、注文はパネル、注文したらテーブルに運んでくれるのか取りに行ったのか忘れましたが、値段も安く、ビールも美味しく、どんどん追加して堪能しました。文句無し。満足。きっと世の中にはもっと素晴らしい贅を凝らしたお店もあるんでしょうが、わたしはこれが良いね。


で、お腹いっぱいになったら、東横インへ帰ります。途中にコンビニがあるけど、絶対に寄っちゃうよね。甘いものとお茶を買ったかな。


そして東横インの狭いけれども機能的なユニットバスでお顔のお手入れとパックでくつろぎました。


目下のところブラジャーを外すのはお風呂の時だけなので、殊更開放感があるなあ。


さんぼ


過去の日本日記はお休みで現在の日記。


乳がんの温存手術を終えて早くも5週間が経ちました。

術後10日で日本へ行き、10日間は実家でぐーたら、その後29日までは、音楽交流のお仕事で、コンサート後の打ち上げパーティの途中で会場を後にして、成田に移動して夜便の飛行機で一回乗り換えてミュンヘンに降り立ち、その足で夫と合流して6日間のお仕事、そしてそのままクロアチアへ弾丸トランスファーと言う考えられないスケジュールでしたが、元気に全てこなすことができました。


体調ですが、ホルモン剤の副作用は慣れないですね。体のこわばりはかなりひどく、歩くのもままならないこともある。だるいし、落ち込むし。なんか1回休むともう立ち上がれない気がして、休みなく活動しているフシがあります。

あと、これはホルモン剤の副作用ばかりとは言い切れないと思うけど、体重がどんどん増えます。

しかし、さまざまな治療を受けている乳がん患者の同志や諸先輩方のことを思うと、この程度で弱音を吐いてはいけないと思う。

胸は最近まで縫い糸が飛び出していたんですが、鬱陶しいので引っ張ってみたところ、とれてスッキリしました。まだ内出血が残っているのか、両胸とも一部紫色です。術中放射線照射をしましたが、その影響らしいのですが、両胸とも術部は固くなっています。これは医師によると、数ヶ月で柔らかさが多少は戻るらしい。

両胸とも揺れるとまだ痛みを感じるので、今のところはガッチリとサポートされるブラジャーを着用している方が楽です。日本滞在中に買ったブラをしばらく愛用していましたが、やはりサポート力が足りない気がして、時々鎧のような医療用圧迫ブラジャーをつけています。安心感はこっちの方が上かな。日本では、温存手術後は、柔らかいブラを薦められることが多いとの話だったんですが、わたしは断然鎧状のブラジャーの方が良い気がします。揺れると痛いから。


ところで、日本滞在中に怖かったのは、押し寄せる人の波です。前からどんどん人がやってくるんですが、胸にぶつかられると痛いだろうと思うと怖くて身がすくみました。これは前は全く感じなかった恐怖ですね。


写真の加工技術がないので掲載できないんですが、わたしの左胸は乳首の裏にがんがあったので、さてどうなるかなあ、と思っていたんですが(ネットで調べた時は、乳首の裏にある場合はほとんど全摘と書いてあった)、乳首の左上に乳首に沿って丸い切開跡とどうももう一つその上に切開跡があるように見える。何しろその辺りが引き攣れており、皺なども多発しているので、ちょっとわかりにくいのです。胸の形はかなり歪んで変わったと思います。

胸全開にすれば、やはり相当不自然ではあります。


わたしは、両方の乳がんと診断されて、かなりがっかりしました。だって3年前に顎の腫瘍で顎骨を取り、今も後遺症で困っており、一回こんな病気になったから、もう次は無いと、根拠もなく安心していたからです。


でも、比較的早期に発見して、ホルモン剤がかなり良く効き、病理検査結果の記録のミスのために普通は検査の対象ではないのに、二度も両胸とも遺伝子検査を行ったので、治療開始までは時間がかかりましたが、その検査の結果を検討して、再発や転移のリスクも鑑みた上、体に負担が少ない温存、術中放射線照射、リンパ節検査なしと決めました。わたしよりも若い方は他の選択をする場合の方が多いと思います。


さて、術後検診ですが、今後は最初はおよそ3ヶ月に一回の検診が必要になるそうです。そしてマンモグラフィーとエコーを交互に行う指示を受けました。

またスポーツをすることが良いとのことで、継続可能な全身運動、たとえばテニスとか、勧められました。だけどわたしは球技に興味なく、更に相手が必要なスポーツは気が進まないんですよね。何か見つけなくては。


ところで、乳がん検診ですが、わたしは2-3年に一度はやっていました。マンモグラフィーは無料検査の案内がきますが、わたしはほとんど今まで自費でエコーをしていました。ここ数年は日本でやっていました。どうしてエコーを選んだかというと、どう言うわけかエコーの方が優れていると思い込んでいたからです。エコーが得意な部分、マンモグラフィーが得意な部分は違うらしいですね。


今後は3ヶ月ごとにマンモグラフィーとエコーを順番に行うのを推奨されましたが、もう一度今後お世話になる婦人科の術後最初の検診の時にスケジュールを立てたいと思います。3ヶ月ごとはちょっと多すぎるんじゃないかなあとも思うんですが、わたしは両方だったし、乳房全部には放射線を照射していないし、リンパも触っていないからなのか?この辺りは、聞くのを忘れたので次回、婦人科で詳しく聞くつもりです。


何はともあれ、わたしはこの婦人科医には命を助けられたと思っています。だって我が街の婦人科医の全てに診察を断られ、途方に暮れていた時にわたしのために時間をとってくれて、怪しいブツを見つけるや否やすぐにかつての同僚である乳腺外科医に電話してくれたのです。そしてその日の夕方に乳腺外科医から電話があり、次の日には生検、その1週間後にはがんの診断と、超スピードで進んだからです。


また婦人科医の診察の後に整理して日記を書こうと思います。




先日次女が誕生日でしたが、去年まではわたしのケーキを楽しみにしていた娘もついに自分でケーキを作るようになり、しかもどうも、かなり上手なのです。

バタークリームの毒々しい色はさておき、このスポンジは絶品で、しっとりした最高の出来で、中のクリームもなかなかおしゃれな味。後アドバイスをするとすればバタークリームにバニラのみならず何かラムかブランデーなどのお酒の香りがあるともっといいなあと思った。しかしデコレーションも凝っていました。




そしてこれはボーイフレンドのために次女が焼いたケーキ。素晴らしい。そして下は不肖の母がテキトーに作ったいちごケーキ。


鳶が鷹を産んだかな?


さんぼ

成田空港から川口市のホテルまでは貸切バスを利用しました。

これだけは贅沢にしました。何しろほとんどのメンバーが70超え。80代もいましたからね。結果的にはマイクで色々案内できたり、質問にゆっくり答えられたので、非常によかった。

チェックインしたのはもう21時ちょっと前。でもせっかくなのでみんなで急いで街に繰り出して日本での最初のご飯です。残念ながらあまりにも遅すぎて選択肢がなく、駅前の中華食堂的なラーメン屋に行きました。


わたしは半チャーハンとミニ餃子とビール✖️2。


昔は考えられなかったけど、最近のドイツ人の多くは年配であっても、割と色々な料理を楽しめるようになったんですね。和食がダメなのはうちの夫だけかもしれない。


そして次の日は、ホテル周辺の案内。

付近には大きなショッピングモール、ドラッグストア、レストラン街など、無いものは無い。と言っていいほど。


ランチは、目についた和食のお店で。



小鉢にちょこちょこと色々なおかずが入っている理想的なご飯。これは自宅ではできない。だってこれ、全部洗うのは大変だもんね。その前にこれだけの種類のおかずを作り上げるのも無理。


夕方はイタリアンレストランでの歓迎会。


川口市の合唱団の方はかつてドイツにもいらしたことがあるので、もうすでに多くのメンバーとは顔見知りです。こういった歓迎パーティなどでは、通訳として行く場合はほとんど何も食べる暇がないと言うのが普通ですが、今回はドイツ語出来るメンバーもいらして、英語も多くの方が可能なために、美味しいビールとイタリアンをいただく時間もありました。




単なる夕食会かと思ったら、本格的な歓迎会でびっくり。ありがたかった。

わたし、川口市にはいい印象しかない。


思い起こせば、わたしはすでに40年ぐらい前にも川口に頻々と行っていた時期があるんですよ。今40年って書いて我ながらびっくりしたんですけど。歳をとったもんだ。

その頃わたしはある理工系の専門書を出版する出版社の編集室で働いており、新人のわたしは原稿取りにあちこち彷徨っていたんですが、川口市には「鋳物協会」があって、そこに先輩の代わりに原稿いただきに行っていました。まさかこんな形で再び縁が繋がるとは。




ああ、もっさりとしてきましたね。やはり何か定期的な運動を始めないと取り返しがつかなくなるだろう。


さんぼ