5000ユール
で、お貸しします。
と、言うのが前情報。
只今ヴァレ・ノヴァックが閉店作業中。
ウォルフォヴァ通りじゃなくて、もう一店舗の方。
昔のユダヤ人エリアのユダヤ人建物。
一軒丸々家賃月額 約5000ユール
(ユーロはゆるいスロヴェニアではユール、と私が勝手に命名
価値は多分ユーロと同じ)。
4階建て。
最上階にはレストランとキッチン。
住居も兼ねて借りてみる・・・?
なんて夢膨らませたり。
多分5000ユールでは借り手が付かなくて、
値下げすると予想中。
ゆるーいシースルーエレベーター内蔵。
難点はバルコニが無いこと。
大家はヴックの友達。
私の案は
"ジンジャーフォームファクトリー"。
何をやるか、何かやるのかは目下検討中。
ワープロ料理
クリスマスに買った(って訳でもないけど)、バーミックス式
ボッシュのフードプロセッサ。
フープロ、って言ってるのに、ワープロ、と返してくれる人がいる(笑)。
なので、私も遂にワープロと、呼ぶようになってしまった。
スロヴェニアへ来る直前に、上等なプロ仕様のフープロを買った。
変圧器通せば使えるだろうなんて楽観していたら、
消費電力が大き過ぎで我が家の変圧器では使用不可。
と、言う訳で、様々なパーツまで揃って
日本から船に乗ってきたくせにキッチンの戸棚で眠ったまま。
そのまま3年、フープロ無しに暮らしてきたのに、
急に旦那が、「もういい加減買おうよ。すり身だって、挽き肉だって、
パン粉だって・・・」と、実演販売員並みに推すので、
翌日素直に買った。
我が家にやって来て数日間はパッケージに入ったまま、
眺められ、拝まれていたそのフープロ。
私は、すり身、ソース、パン粉作りぐらいには使うとしても、
絶対微塵切りは包丁でやる、なんて大口叩いていたのに、
本日、初使いが、いきなり玉葱と人参の微塵切り。
昨日イレーナ宅へ来ているセルビアの人々、
ドゥシャン&ターニャ達がやって来た。
我が家の近所へ夕食に来たついでに寄ってくれた。
その際、ヴックも一応休みが明けて仕事が始まったことだし、
料理する人もなく、かと言って毎食外食、って訳にもいかないでしょう、
と、私がランチを届ける役をかって出た。
朝、息子を園に送り届け
(久々の登園、嫌がるかと恐れていたら、
なんと鼻歌交じりにあっさりと私に手を振った。
ところが娘は兄貴と園にいたいと大泣き。)、
帰宅後、パン粉をガーっと作って、
玉葱3個、人参3本、これもまたガーっとやってしまった。
なんて簡単なの・・・。
と、テヌキをした罪悪感に駆られながらも今更再確認。
(昨晩は旦那にパン粉の為のパンを焼くのを忘れないように、
と言われながらも忘れ、ふと夜中に思い出すと、
また腑に落ちない罪悪感に苛まれた。何か違う・・・)
そしてあっという間にハンバーグは焼き上がり、
ついでにいつもとは違う野菜のソースまで作った。
(昨日の野菜スープをガーっとしただけ)
園で息子を拾って、イレーナ宅へランチのケータリング。
生姜の利いたあっさり野菜炒め、
私の流行の紫キャベツのヴィネグレット、
おろしハンバーグ
(ソースはハンバーグを焼いたフライパンに
フランボワーズのワインヴィネガーと醤油)、
野菜のソース、茄子のグリルにライム。
と、一皿に一気にのせました。
私の倍もある子供に大人気のドゥシャンにはハンバーグ二個。
ヴックは残念ながらザグレブへ出張で不在、
帰宅したら残りを自分で組み立ててね、って仕組み。
皆さん喜んでくれました。
タッパも2m近く、目玉ギョロギョロ、長いヒゲは三つ編み、と
ちょっと変わった風貌のドゥシャンは子供に大人気。
うちの子たちもすっかりハートを鷲掴みにされ、
ケラケラ大喜びで一緒に遊んでいる(遊んでもらっている)。
その間イレーナ、ターニャとの三人で
それぞれの生い立ちの話になったのだけど、
ターニャはセルビアでの幼少期の話を、
「あまり思い出したくはないし、未だにトラウマを引きずっている」、
と躊躇いながらも少しずつ話してくれた。
「ミロシェヴィッチに少なく見積もっても15年は人生奪われた。
やっと2000年頃から生きている実感が持てるようになったけど、
その間に私も年を取ってもう40歳よ」
と、言いながら、薄ら涙で最後には、
「それでも私たち、今もあのヨーロッパの端っこの穴に落ちたまま
出て来れなくなってるのよ。
今年はセルビアから他国へ引っ越すチャンスだと思っているの。」
との爆弾発言まで出た。
フリーランサー同士のドゥシャンとターニャ。
東洋に興味を持ち、一見ちょっとお洒落で年齢不詳なアーチスト達。
まさか、そんな深い傷を引きずっているとは思ってもみなかった。
ステキな二人。
リュブリャナにいる間に、またランチを作りに行こう。
そして、"ワープロ"料理、
やっぱり野菜は包丁で微塵切りの方が私好み。
正月のスロヴェニア
年明けのリュブリャナ。
まだクリスマスのイルミネーション点灯中。
そして街中イタリア語が飛び交っています。
この時期はイタリアからの観光客だらけ。
クリスマスフェアにスナックスタンドを出しているベゴは、
「ここへ来てるのはお金を持ってないイタリア人ばかり。
うちの値段を見て"高いな"ってモンク言ってるよ、彼ら。」、と。
でもこのフェアも終了。
1月2日のナノス。
コバリッドの帰路、シュタニエルへ寄り道。
ハイウェイをリュブリャナへ向うと目の前に現れる岩山、ナノス。
ゴリッツァのスゥェタ・ゴーラ(聖なる山)へ
行って来たので、頂上から眺めたヴィパーヴァの山の写真。
(あまりいい写真では無いけど。)
ゴリッツァからのハイウェイ沿い、ヴィパーヴァの山々は冠雪していた。
でもやはり暖冬。
寒くなることを好んでいる訳ではないけど、
ここまで暖かいとちょっと心配になる。本日も5℃。
1月はイベントも無く、例年だと街中閑散としちゃうのだけど、
今年はどうなるか。
イノシシ年前日の大晦日
大晦日カウントダウンスシママ特別営業は、
グレの歯痛でキャンセル。
自分で言い出したくせに、気が乗らなくなったのだろう。
「どうしよう、どうしよう。やりたい?」・・・って具合に
最後まで優柔不断なんで、
結局最終決断は私が下すことになってしまい、
なんとも気分の悪い大晦日を迎えそうだった。
このイベントの為に費やした時間とエネルギー
(レセプションもコンサートも行き逃した)
を思うと言葉は悪いが胸糞悪かった。
と、旧年中の事を掘り返してどうこう言うのは無意味なので、
やめよう。
それに、実際はキャンセルになったお陰で旦那も休め、
とても楽しい大晦日になったのだ。
昼は、前日に仕込んであった豚ヒレのマスタード焼き。
ヒレは一本、ちょっと塩してフランパンで表面に焼きを入れ、
オーブン用バットなどに入れたら
もう少し塩をしてマスタードを塗りたくり、オリーブオイルを少し。
そして、80℃のオーブンへ。
今回は火入れ50分程、マスタードはマイユの粒。
冷蔵庫で冷やすと肉汁がゼラチン質によって固まる。
いわゆるにこごりになるので、それを上にのせ、
フェンネルとピンクペッパー、ソースは醤油・山葵・オリーブオイル。
あっさりと柔らかく、香りのよい一品。
ヒレ一本あれば何食分かちょこちょことまかなえる。
旦那は骨付き三枚肉の骨部分をヒレ同様
塩して表面をフライパンで焼き入れ、
再度塩をし直して葱とセロリで蒸した。
手前は小松菜様の野菜(あ、名前忘)、
奥はパプリカ、平茸、セロリ、などなど
種々の野菜を軽く炒めたもの。
肉は二時間じっくり蒸してあるのでトロトロに柔らかい。
イノシシ年前日は豚肉三昧。
私は、前日エコスタンドで買った
蕎麦実と玄米を炊いて、野菜丼に黄な粉。
蕎麦実美味し。
夜はボゥちん、ナツコ、ボゥ母が遊びに来てくれたので、鍋。
鯛の身ですり身にして簡単ツミレにした。
(クリスマスにバーミックス(風ボッシュの)をやっと購入!)
そして年越し蕎麦も打ったけど、
既にお酒の入った体調不良の旦那、
に、私も久々の蕎麦打ちで出来はイマイチ。
けれど、そんな事は余所に子供達は大盛り上がり。
じゃれ合って、笑いあり、涙あり、ノンストップ。
外もロケット花火やら爆竹やらが大賑わい。
そして、12時前にボゥ父が仕事納めし、やって来た。
うちの旦那は既に『専門料理』を顔に被ってソファで沈没。
12時ちょっと前、ボゥ一家と
まだ目がらんらんとしている子供達を連れて
我が家の屋上へ花火見物に上がった。
12時が回り、ちょっと遅れて城から花火が打ち上がった。
今回初めて我が家の屋上から年越し花火を見たのだけど、
リュブリャナのそれぞれの地域
(トロノヴォ、ベジグラッド、フジネ等)がそれぞれ
花火を打ち上げていた(&個人が上げている花火も沢山)ので
人生初、360度大パノラマの花火見物となった。
ボゥちん一家にも花火には満足してもらえたようだし、
とても賑やかで楽しい大晦日&年越し。
グレの歯痛のお陰で旦那も寝年越し、私らは揃って花火満喫、
メデタシ、メデタシ。
(歯痛はまだ続いているそうな)
ガストロノミーの聖地
日本のこんな雑誌にスロヴェニアが
『ゴストロノミーの聖地』 として取り上げられた。
このセブンヒルズ という雑誌に縁がある訳ではないのだけど、
ここで取り上げられたウォルターとは知り合い。
イレーナのベオグラードからの友人たち
(セルビア人がスロヴェニアに来るのにはヴィザが必要なのだが、
このセルビア人夫婦はなんとワンエントリヴィザしか取れなかったので、
スロヴェニア国内で2週間、他国へは遊びに行けず(驚)。
ちなみに、宿を提供するイレーナも
財産目録、収入証明、など様々なIDを提出させられた。)
と一緒に食べに行くことにした。
早速、ウォルターへ電話を入れると、
元旦ならテーブルも部屋も空いている、とのことで、即予約。
ウォルターの店ヒシャ・フランコはスロヴェニアの北東端、
イタリア、オーストリア国境近くのコバリッドという村の外れにある。
リュブリャナ~コバリッドの直線距離は大して無いけど、
間にそびえる高い山々を大きく迂回し、
ゴリツァ経由でソチャ川沿いを北上すると、結構な距離になる。
息子は列車に乗りたがっていたので、
ボヒンから出ているアウトヴラック(列車でトンネルで山を抜ける近道)
を使う、という手もあったが、
天気も怪しく、雪の中列車に車を乗せて・・・
と、いう起こり得る面倒を回避するためにゴリッツァ経由を選んだ。
ゆっくり目のスタートを切った我々は、
雨と霧の中、ゴリッツァにハイウェイで着くと、
そこから闇の中のクネクネ道、ソチャ川沿いを40kmほど北上。
我が家から2時間15分のドライブで到着。
子供達は行程ほぼ寝っぱなしだったのもあって、
前回の記憶程遠くなかった。
チェックイン、まずは部屋へ通される。
ウォルターが部屋へ来て挨拶してくれた。
『セブンヒルズ』より
1時間半遅れでイレーナ達が賑やかに到着。
一階へ降り、ビヤナのスパークリングワインのアペリティフをもらう。
テーブルへ通され、アペタイザー。
ワインはソーヴィニオン。
パッションフルーツ様の香りと色の濃い、
食前酒にうってつけの一杯。
鹿のカルパッチョ。
ここは鹿肉が得意。
我々はウィンターテイスティングメニューをオーダー。
一品目、
スカンピのポシェにパイナップルと、生姜のフォーム、
緑茶パウダー。
スカンピの火入れ具合が絶妙。
生姜のフォームにテーブル一同心揺すぶられる。
(ヴックはアラカルトで頼みたいと駄々をこねていたのだけど、
この一パンチで機嫌快復。)
ホタテ貝のグリルとピンクポテトのソース。
トリュフとタイム風味。
鹿のカルパッチョ。
バルサミコソース。スライスになっているラスク、
一番下は林檎で鹿肉との相性好し。
手前の林檎はカレー風味。
通常一体となって提供される一皿をわざわざ分解、
客に合わせさせるという遊び心。
フォアグラとココアのカプチーノ。
バニラオイル風味。
スプーンを底まで入れてかき混ぜて食べる。
濃厚。フォアグラにはしっかりとした歯ざわりが残っている。
ワインはムレチュニック2001年のレブーラ。
ラムのラヴィオリ。
オレンジソースにタイム風味。
ラヴィオリは切ってソースに絡ませてどうぞ、とのサービスの説明。
私が、「餃子とかもあまり切るの好きじゃないんだけどなぁ」
と思うのと同時にテーブル対角線上に居たヴックが
"i never cut my raviolis"と、言ったので笑ってしまった。
タイムの香りが爽やか。
ワインはレンチェルのソーヴィニオン。イカ墨パスタ。
トマトとバジルの二色ソース。
これは今メニュー一番シンプルであり、私好みの味。
娘に殆ど食べられてしまった。
ここで箸休め的にピンクグレープフルーツと生姜のソルベ。
さっぱり。
鴨肉のオレンジ&ポテトソース。
ヴァニラの風味。
ワインはストールのメルロ。
チョコケーキ。甘さは控え目。
レンチェルの甘めのリキュールと合わせて完璧。
(勿論ほぼ子供に食べられた)
私はここで子供と部屋へ。
皆はその後グラッパで〆。
以上。
ごちそうさまでした。
私は最初から塩分控え目に頼んでおいたので、
実に楽に食べられた。
一年前に比べるとぐーんと腕を上げている印象のアナ。
途中何度か彼女自身もサービスに出てきてくれたけど、
結局この日も私は子供達と沈没してしまったので、
ウォルターともアナとも話せずじまい。
また起きてくるから、と約束したのに
元気にジャグジを楽しんでる子供達に付き合っていたら夜は深け、
私も就寝。実に残念!
食堂の本棚のエルブリの本は相当研究尽くされているようで
装丁がボロボロになっていた。
敬服。敬服。
そして、自戒。
料理からも力配分にこなれてきた彼女の様子が伺える。
ただ、同じ料理でもそれぞれの皿にバラつきがあり、
毎度一番盛り付けのきれいで且つトリュフなど多めの一皿が
うちの旦那には運ばれていた。
きっとこの一皿だけはアナ自身が盛り付けていたのだろう。
キッチンの腕にバラつきが出てしまうのはアナとして
なんとも歯痒いところでないかと思う。
それにしても、残念ながらスシママはここの足元にも及ばない。
彼らの接客&料理に対する熱意には学ぶところが多い。
スロヴェニア各地のワインが並ぶ。
ソムリエとしてきびきびと私たちをもてなしてくれたウォルターは
白を中心にセレクト。
(赤より白ワインの方が難しい
と勝手に思っている私には嬉しかった)
翌朝。
チーズ、フルーツ、ヨーグルト、プロシュットなどの朝食。
高い山に囲まれた静かなところ。
ヒシャ・フランコ、こちら 。
今年こそ四季の味を堪能に行きたい。
オリーブオイル
以前、クロアチアの農家のオリーブオイルが好き、
と書いたことがあるのだけど、それを見たボゥ母から、
「クロアチアじゃないけど、スロヴェニアのイストラ半島の
農家のオリーブオイルはいかが?」と、オファーを頂いた。
クロアチアの農家ものが切れてからは、
量産品のスペインのものを使っている私は、
こんな"愚問"に二つ返事で手配のお願いをした。
そのオイルを先日頂いた。
5リットル。
寒い中に置かれていたオイルは白濁していた。
白濁しているのは、オリーブオイルの大部分を構成する
オレイン酸の融点が低いから。オレイン酸の融点は16℃ぐらい。
酸化防止の為、1リットルのワインボトルに詰め替えて、
コルクの栓をしたらベランダの小屋で保存。
我が家の消費量は1リットル/月ではきかないから、
暖かくなる前に確実に使い切る。
劣化の心配なし。
さて、この頂いたオリーブオイルの出所、
イストラ半島とは聞いていたが、
詳しくどちらだか尋ねたら、ストゥルーニャン、との事。
46kmしかないスロヴェニアの海岸線に位置する
小さな街(村?)ストゥルーニャン。
ここにも小さな塩田がある。
夏にはビーチに人が賑わい、温泉施設もある。
(水温は低いけど)
赤い点がストゥルーニャン。
ついこの間、トリエステの農家が
「イタリアではトリエステのオリーブオイルが一番だ。
何故ならここのオリーブはボーラ風 (ブリア)をうけて
強く育っているから。」
と、言っていた。
(その彼のオリーブオイルは、私にはちょっと
パンチに欠けていたけど、それは好みの問題。)
トリエステは地図上のピンク部分。イタリアへ国境を越えて直ぐの都市。
さて、このストゥルーニャン産お楽しみオリーブオイル、
早速一杯飲んでみました。
最初の印象、青い苦味、そしてそれがすっと爽やかな
香りに変わって鼻腔へ抜け、嚥下後、ピリッとした胡椒というより
唐辛子様の辛味が咽頭を刺激する。
(美味・・・。)
オリーブの種類を知りたかったけど、調査しても分らない。
勿論農家へ聞いてみれば分るのだろうけど。
オリーブの種類は500種類以上とも700種類以上とも
言われている。実のサイズ形も様々。
自家不結実性のな種類が多いのだとか。
オリーブオイルの歴史をちょっと調べてみたら
ローマ時代はこういったアムフォーラと呼ばれる土器に
オリーブオイルやワインは詰められていたそう。
この格好といい、可愛らしくて、中身もなんやらとっても美味しそう。
近年、日本でも香川県や岡山では栽培され、
美味しいオリーブオイルが作られているそうだけど、
どんなものなのか、妙に気になる。
確かスペインの品種だと読んだ気がするが。
ショーガン
SHOGUNという映画は1980年製作。
この直後ぐらいにアメリカへ行ったので、
やたらと "ショーガン" って変な言葉を耳にした。
「これはもしかして将軍のことですね?」、と、
幼いながら思っていた。
今日、予想外の所で、その SHOGUN に久しぶりに遭遇。
私たち一家は三年前の11月末にスロヴェニアへやって来た。
既に日の短い季節だった。
夕方4時半には悲しいほど暗くなってしまう。
そして、闇の中から、バーッン、ドカーン、
と炸裂音が毎晩何度も聞こえてきた。
何の音なのかも分らず、
何て野蛮な国へ来てしまったんだろう・・・
と、ちょっと後悔した。
旦那は車の性能でも悪いんじゃない・・・、なんて言っていたけど、
暫く何なのか分らぬまま過ごしていた。
そして、冬が終わる頃やっと正体判明。
この "野蛮な" ドッカーン音、
単に花火、爆竹、ロケット花火みたいなもの。
夜が長くなると、つまらないのか、祝い気分で盛り上がってなのか、
川沿いなどで若者がドカンドカンやっている様子。
その花火、気のせいか今年は音量がちょっと違う。
去年までは大き目の爆竹の炸裂音ぐらいだったのに、
今年は大爆音。まるで TNT、ダイナマイト。
ドォカァァ~ン~~
と、地響きがして地球に穴があきそうな程。
私の心臓にも穴があきそう。
本日、大した用でも無くDIYの大手、バウハウスへ行った。
そのバウハウス入り口に堂々といたのです、この SHOUGUN。
こんなオレンジのロケットに乗って。
花火はコーナーこっちだよ。
(何ゆえSHOGUN様が・・・?)
映画とは関係なさそうです。
カウンター内に店員がいて、欲しいものを取ってもらう仕組み。
何百種類もの花火が並んでいる。
他の商品でここまで品数豊富なものなんて見たこと無い程。
(やれば出来るんじゃない、スロヴェニアっ)
若者が多いかと思いきや、
なんとこのカウンターに群がっていたのはおじさん達。
巨大なロケット花火が並ぶ。
イレーナに、この花火習慣(?)について質問したら、
「私にはスロヴェニア人の考えてることなんて全く分らない。
そんなことに頭を使うのは無駄よ。」、
と、一蹴された。
先夕刻、ぐずっていた娘に、
「そんな事で泣いてると、誰かが怒って、ドッカーン、ってするよ。」
って言い終わるや否や、
偶然近くでドッカーンと一発鳴った。
実に効果覿面。
娘は息を呑み、パッと黙り、暫くするとそのまま寝入った。
それにしてもこの "野蛮な" 習慣、
もしかして、日本オリジナル(!)だと思われているのかしら。
(ちなみに、スロヴェニアにはSAMURAI という商品名の
爪楊枝とストローがある。由来はこれも不明。)
爪楊枝とストローとサムライの仲も理解不能だけど、
このダイナマイト花火のショーガンは何つながりなのでしょう。
今朝は気温が随分下がったのか、
街中霧氷に覆われ
どこもかしこも真っ白々。
陽が射すと気温が上がり、
昼ごろには、解けた霧氷が木々の枝からキラキラと舞った。
冬のこんな景色には心洗われるが、
冬のドッカーン炸裂音は毎度心の穏やかさを掻き乱す。
バウハウスでは、
控え目ながらアフタークリスマスセール開催中。
三人のサンタ
25日のいわゆる、クリスマスが過ぎたリュブリャナ、
未だにプレゼントを買い求める人で街は賑わっています。
そして、アメリカなどでは26日から一斉に始まる
アフタークリスマスセール、なんかも始まっていません。
(やっていました)何故なら、スロヴェニアのクリスマスはまだ終わっていないから。
31日の晩に、最後の"サンタ" dedek mraz が来るのです。
スロヴェニアの子供達はサンタからのプレゼントを
いつもらうのでしょう、と、いう様なご質問を頂いたので、
私なりの(偏った)理解を説明しましょう。
12月の上旬にミクラウジュ(ミクラウシュ)」が来ました。
この人は、聖ニコライという司教だった人で、
私たちの知るサンタクロースの元となった人と、云ういわれです。
(ついでに、神田ニコライ堂は関係なし)
この人、スロヴェニアでは悪魔を連れてきたりして、
一年間子供達に、 "いい子にしていたか” を問うようです。
そして、いい子には、飴やら林檎やらをくれ、
悪かった子にはじゃが芋(ほんと?)を置いていくそう。
プレゼントは極めて控え目。
そして、24日の夜にやってくるのはいわゆるサンタクロース。
でも、この人はあまりここでは需要人物ではない様子。
このサンタさん、息子の幼稚園にはフライング気味に22日に来ました。
鼻の曲がりそうな程臭い粘土をくれました。
しかし、スロヴェニアで、25日の朝目覚めると靴下の中に・・・、
と言う話は聞いたことがありません。
ですから、誰が一番のいわゆるクリスマスプレゼントを持って来るか、
と、言うと、それは、31日の大晦日にやって来る dedek mraz。
この人は、社会主義者のサンタ(笑)。
私のスロヴェニア親友イレーナは、こういうことについては全く無知。
彼女は、自国の事を全く知る気が無いので、
この人誰? と尋ねても、返ってくる返事はせいぜい、
「そうね、ソーシャリストサンタクロース」 だけです。
なので、調べてみましたが、
出てくる結論は似たり寄ったり。
この人、ロシア出身・・?ですか。
サンタクロースがアメリカの資本主義サンタなのに対して、
社会主義のサンタがこの dedek mraz と言う事でしょうか。
中身は普通のサンタのおじさん。
違うのは全身の真っ白ファッション。
そして、スロヴェニアの子はこの社会主義者サンタから
プレゼントをもらうことが多いようです。
(違う?)
元旦目覚めると、
靴下の中に(ツリーの下に?)プレゼントが届いています。
さて、大晦日のイレーナ&ヴックへのプレゼント、何にしませう。
まだまだクリスマスムードの続くリュブリャナ。
それなりに晴れやかで悪くない。
(あ、それが狙いで31日まで引っ張るのかしらん。)
*・*・*・*・
そう、大晦日、と言えば、
スシママ初イレギュラーカウントダウン営業の予定。
細かい事は未定だったのだけど、今日グレから電話があり、
「僕ね、歯が痛の。
年内に手術するから、31日はやめた方がいいかも・・・・・。」
と。
これは、勉強不足な小学3年生がテスト当日に 「お腹が痛いの。」
って言う仮病みたいなもんでは・・・。
と、言う懐疑の気持ちを抑えこんで、
「無理しないで、身体が一番大事だから。」 と、
私は、心にも無い様な優しい言葉を返した。
グレったら自分から言い出しておいて、いつもの通り尻切れトンボ。
でも、私たちにとっては乗りかけた船、このまま沈没させるのも癪。
どうするか。
折角のチャンス、つかみたいとは思って、
帰宅した旦那に話を振ってみたけど
「そんなではやる意味はない。」、とのこと。
じゃぁベクトル変えて、参加者募って
リュブリャナ "みそか庵 " でもやろう、とアイディア出したけど
旦那はこれにもイマイチ乗り気でない・・・。
(蕎麦自体を食べる事には大賛成。)
日頃職場へ出てる人は大晦日・元旦ぐらいグータラして、
プレゼントでももらった方が幸せか。
ふーん、
なんとなく、dedek mraz の存在意義が分った気がしなくも無い。
冬のピクニック
日本だと一気にクリスマスムードから
大晦日・正月ムードに切り変わったところでしょうか。
こちらは三連休最終日。
息子とビストラへ行こう、と、意見一致したのが正午。
ビストラ、って特に何があるって訳でも無いのに
何故か息子のお気に入りの場所。
ここには一応、テクニカルミュージアム があるけど、
中へ入ったのは3回程、いつもその庭で勝手に遊んでいる。
(このテクニカルミュージアム、いつも閑散としているけど
チトーの乗っていた車や、以前リュブリャナを走っていた
路面電車などが展示してあったり結構面白い)
寝不足していた私はグータラな午前を過ごしながらも、
簡単なランチを詰めて、出かけた。
ハイウェイをヴルフニカで降り、クネクネと平野の淵を10分程行く。
草っ原にはモグラが顔を出した後の無数の土盛。
ビストラまで我が家から30分以内のドライブ。
いつもここは透き通った湧き水が豊か。
今日は比較的水量は少なめな気がするけど、
春になると雪解け水がゴーっと勢い良く流れる。
魚影は無いが、水はとてもきれい。
気温は4℃程。
日が射したり蔭ったり。
日当たりのいい池のほとりに場所を決めて、
お弁当。
野菜沢山のペンネ、コーヒーに紅茶。
鴨がグワグワいいながら群がってくる。
ごあいにくさま、あげるもんは無いよ。
あんまり寄って来ると捕まえて食べちゃうよ。
(丸々と肥えている、青首達。)
食後、子供達は切られた木の幹をゴロゴロ転がすのに夢中。
春先に摘んで食べる花(なんて名前?)が控えめに
顔を出していた。
リュブリャナを経由し、目的も無くドライブ。
コチェウイェ方面へ向うと、道は峠を登り、
遠目にトゥルヤックの城 がうっすらと雪化粧して見えた。
ちょっと雪遊び、と、立ち寄る。
ここは5月に幼稚園のバス遠足で一回来ている。
まだ幼稚園に慣れなていなかった息子が
嫌がって嫌がって大泣きした遠足だった。
(付き添いの親は勿論私だけ)
11世紀に建てられた城だそうだが、
第二次大戦で随分傷んでしまっている。
修復工事がゆっくりと進められているようだけど、
まだまだ先は長そう。
スロヴェニアにはこういう半ば放置されている古城が
多いように思う。
柚子
おっと、冬至は柚子湯ですね。
菖蒲は子供の日だった。
いけませぬ、全然気付いていませんでした。
柚子湯には入れませんでしたが、
なんでも "融通" が利きますように。
願掛けだけしておきませう。













































