140文字の裏側に迫りたくって迫りたくって。
そして私は、このブログを始めたわけである。
ブログなどというものは、一昔前のツールである。
いまはtwitterやLINEをはじめとするSNSが発達していて、ブロガーなどという言葉も耳に久しい。
本を読むことを辞め、ブログの500字程度の文章も書かなくなり、140文字でさえ長いと感じ、多種多様のスタンプを駆使して自らの感情を表現する。
それが現代の当たり前のコミュニケーションになりつつあるのだ。
だけど、私達は本当に自分の微妙な感情の浮き沈みを他人が作ったスタンプで表現できているのだろうか?
もしかして「スタンプに合わせた感情」を自らの脳内で作り上げているのではないか?
こんなことを言っては本末転倒かもしれないが、文章が長ければ長いほど、文字を重ねれば重ねるほど、微細な部分にまで及ぶ自分の感情を伝えることが出来るはずである。
そしてコミュニケーションとは本来、その境界線のレベルを超えた先にあるべきものなのではないだろうか?
限られた文字数の中で、自らの感情を表現するのはなんとも難しい。
難しいという言葉で片付けるのはとても嫌いなのだが、こればかかりは難しいとしか言いようが無い。
文字とは、記号だ。
私たちは自分の感情や考えを伝える際、それらを文字・言葉に置き換えて表現する。
もちろん、そこには芸術という頑強なバリケードを張り巡らせた「心象表現」なるものも存在するが、これらには必ずと言っていいほど解説文やコンセプト文なるものが添えられている。
私も広く広い芸術の海(笑)の海水を指の先でちょちょいと触った程度には芸術に浸っているが、どうもその部分に関しては結局疑問は拭えなかった。
(この話は後日まとめることにする)
芸術の話に少しそれてしまったが、とにかく人が人に自らの感情を伝える術として、いまのところ有力なのは「文字」や「言葉」であるのだ。
だから私はスタンプはもってのほか、たかだか140文字に人の想いが全て詰め込まれているとは到底考えられない。
私のブログはまずなにか考えが浮かんでから、タイトルを考えて、文章を書いている。
Twitterとは、私にとって「タイトル」なのである。
きっとその裏側には、記しきれない何かが渦巻いているはず。
書かなくてもいい。
誰にも見せなくてもいい。
絶妙なキモい顔のスタンプを見つけると、どうしても欲しくなる気持ちもすごくすごく分かる。
だけどタイトルだけでは物語は、始まらない。
Google検索で世界中のなんでもが知れる時代だからこそ、自分の思考に濃密でありたい。
最終的にたどり着いたのはダサいけどブログ。
という、なんとも安っぽ~いお手軽ツールなのだけど、いまは満足している。
ちなみにここまでで、約1000文字。
留め書きとして。
おわり。
案ずるより風呂にはいれ
わたしはよく、
「お風呂って、入る前までは面倒じゃん?けど入ったら入ったで『あ~気持ちよかった、入ってよかった~』ってなるじゃん?つまりそういうことだよ。」
という話をする。
もしかしたらこれは現代版「案ずるより生むが易し」なのかもしれない・・・
さいきん、どうも後回し癖が付いてしまって、面倒なことをどんどこ後回しにしてしまう。
ささいな後回しにとんでもないしっぺ返しをされそうになる。
どれくらい面倒くさいかを感覚的に表したものを「面倒度」とする。
面倒度は、比例による増加ではなく、なんとベキ関数のように増加するのだ。
つまり、さっきまで1だった面倒度は、
明日になったら2になる。
3日後は3で、
4日後は4になる。
10日後はきっと10になる。
・・・わけではなくて
さっきまで1だった面倒度は
明日も1なのだ。
しかし、2日後には4
3日後に は9
4日後には16
10日後には100に達する!
式に表すなら y=ax²
大切な書類の提出期限が今週末なのに、まだ一文字もかけていない。
だけど後2日あるしなあ面倒くさいなあ。ブログでも書くか。
という時の面倒度における定数aを求めよ。
おわり。
わたしはよく、
「お風呂って、入る前までは面倒じゃん?けど入ったら入ったで『あ~気持ちよかった、入ってよかった~』ってなるじゃん?つまりそういうことだよ。」
という話をする。
もしかしたらこれは現代版「案ずるより生むが易し」なのかもしれない・・・
さいきん、どうも後回し癖が付いてしまって、面倒なことをどんどこ後回しにしてしまう。
ささいな後回しにとんでもないしっぺ返しをされそうになる。
どれくらい面倒くさいかを感覚的に表したものを「面倒度」とする。
面倒度は、比例による増加ではなく、なんとベキ関数のように増加するのだ。
つまり、さっきまで1だった面倒度は、
明日になったら2になる。
3日後は3で、
4日後は4になる。
10日後はきっと10になる。
・・・わけではなくて
さっきまで1だった面倒度は
明日も1なのだ。
しかし、2日後には4
3日後に は9
4日後には16
10日後には100に達する!
式に表すなら y=ax²
大切な書類の提出期限が今週末なのに、まだ一文字もかけていない。
だけど後2日あるしなあ面倒くさいなあ。ブログでも書くか。
という時の面倒度における定数aを求めよ。
おわり。
夜に爪を切ると、親の死に目会えない。
私はこの言葉の裏側にはまた違うメッセージを感じている。
それは都市伝説のようにネットで噂されている言葉遊びとしての「夜爪を切る」が「世詰め」であるとか、昔は電気がなかったから夜に爪を切ると怪我をして膿んで死んでしまうとか、そういうのとは少し違う。
それは、夜に爪を切る際に「“夜に爪を切ると、親の死に目会えない。”と言われているから今日は爪を切るのをやめておこう」と考えるような人は、おそらくとても律儀な性格で、親のことを日常でよく考えている人なのかもしれない。
そんな人はきっと親が死にかけていたら、すぐに駆けつけるだろうし、死に目に会えないとかそんな事態になる前に何らかの対処をとっていることが考えられる。
この考察には言葉の意味は関係ない。
語源や本来の意味と言われるものを知っているいないに関わらず、自分の考えや字面で判断し行動したことによって、また新たな意味が付与していく。
いまでこそ、手軽に情報が手に入る時代だが、100年も前には情報を後世に伝えるツールは発達していなかったはず。
だとすると、そういうなんとなく・ぼんやりの積み重なりが、本来の意味に1枚1枚重なりあって現在の「意味」を作っているかもしれない。
疑うのではなく、どちらも愉しむこころを持ち続けていきたいな。
おわり。