あなたと飲む水は、プレミアムモルツの味がする。 -18ページ目

あなたと飲む水は、プレミアムモルツの味がする。

トランプのダウトをしたら、ターンが回ってくるたびに誰かに「ダウト!」と言われる系女子です。よろしくお願いします。

 

映画「カイジ ファイナルゲーム」を観て

 

 

※一部ネタバレがあるので注意!

 

 

 

 

今日、さっき、カイジを観てきた。

いろんな感想はあると思うけど、先に敢えて例え話をするなら、、、

 

 

今週末、必ず二郎系ラーメンを食べようと1週間、虎視眈々と計画を練ってきた。

(なんなら、前日の夕飯から控えてきたくらいの意気込み)

 

で、事前に調べた店(といってもあまり口コミとかは読すぎないよう細心の注意を払う…)に入店。

さあ!油ギトギトで、にんにく臭くて、ボリューミーで、もう一生食べたくないような

(けどまたきっと食べたくなってしまうような)

そんなラーメンを食らうために、食券を買って列に並んで!

案外すんなり入れたなあ、なーんて思いながら待つこと5分。

 

いざ目の前に出てきたのが、まあ悪くないけど特筆するほどの特徴もない

強いて言うならスープが美味いおかげでなーんか美味しく感じるだけ?

なんなら明日も食べれるかも。まあ食べないけど。

 

そんなラーメン。(ラーメンの話ではない)

 

 

とにかくカイジの映画を見に行く人というのは、

原作、または1作目のようなヒリヒリとした臨場感、

億万長者として生きるのか、ボロ雑巾のように死ぬのか。

あーーーーーもうだめだーーーー死ぬよカイジーーーーーーあーーーー

えっ!!!???えっカイジ!!!???カイジ!!!!!(語彙力)

 

そんな命の駆け引きが観たくて映画館に足を運んだはず。

 

 

それを踏まえて考えると、

まず、テーマが現代的。

しかも2020年、オリンピック直後という、まあ近い未来が舞台。

 

20XX年と表記されると、人間はなんとなーく、

ここ100年以内の未来なんだろうと想定するし、

それが数カ月後の日本が舞台!と言われると、否が応でも目に浮かぶのは数カ月後の現実。

かなりリアリティがあるし、少なくとも30年後車が空を飛んでいるかも!というような希望的な観測は難しい。

 

しかし、この映画の中で描かれている数カ月後は、まあひどい。

「缶ビールが1缶1000円!また値上がりしてやがる!!!」というくらいひどい。

 

いやいや、ストロングゼロどこいったの?数カ月後には規制されてるの?

・・・あ〜!「悪魔的だ!!!」というセリフはビールじゃなきゃだめだもんね!!!!

みたいな、リアルな現実引き戻し事故に遭ったりもする。(ここまで上映数分間)

 

その後のギャンブルのルールや攻略はまあ割愛するけど、

カイジが命を張らないことに、

私の中の利根川が「カイジ!!!!○ね!!!!!!」と暴れだす始末

 

 

その他にも、Yahoo!映画のレビューを読むと、たくさんの事故に遭っている人がいるようで

 

・バンジーの紐は紐!?ゴムじゃなくて!?

・班長はどこへ!?

・雨降ってるけど濡れてなさすぎ!!!

・KASHIMA(絶望)

 

などなど。

 

 

 

 

藤原竜也という俳優が演じているカイジというキャラクターが、

これまたなんにも知らないふりして演技している、という

微細なディテールまでは読み取れなかったかな

 

あと藤原竜也が主演の映画の直前に本人が主演の別の映画の予告やCMはしないでくれ!!!

 

利根川の復讐、みたいな、ゴミクズサイドに堕ちて失うものは何もない、

そんな利根川との対戦でも面白かったなと、いま思った。

 

あと、

福士蒼汰きゅんでなく松山ケンイチおじさんを配役して(友情出演)

デスノートと同じように、互いに日本を思う気持ちは強い!!

日本を救いたい!けど選んだ手段・方法が違う!!とかどうですか!?

 

 

 

カイジ風に言うと

圧倒的ざわ不足!!!!!

 

けど私は★★★★☆つけました!!!

 

 

 

 

おわり

 

コンビニ人間




人間の体の中の水分は約2週間で入れ替わる。

コンビニも同じで、外見は変わらないとしても、中身にある、商品、レジ袋、スプーンフォーク、ポップなどの備品はもちろん、働く「店員」も新陳代謝さながら流動し変化しいてる。

 

朝と夜に食事するかのように新しい食品が店に運び込まれ、

賞味期限が切れた食品は廃棄として老廃物のように店の外に排出される。

コンビニのような人間というよりも、コンビニこそ人間(生物)のようだ。



物語の途中に度々でてくる、杖をついた老婆。
「本当に、ここら変わらないわねえ」
このセリフを主人公は何度も反芻する。
 

けど実際にはコンビニの商品や内装、または店員も長い月日でみーんな変わっている。

 

人の言う「変わらない」という感覚は、どこを見て判断されるのだろうか。

見た目?中身?または、声、匂い、服装など

様々な要因がある中で、感覚的に「変わらない」と判断している。

 

だけど私だって、いまこれを書いている図書館の一室で「ここはいつも変わらないなあ」と思ったりする。

本当に変わっていないのはせいぜい机と椅子の配置くらいで、来るたびに窓から見える風景も若干変わっているし

机に向かっている他の人達がいつも同じ面子かどうかなんて、考えたこともない。

 

毎日本当は全てが全部変わっていて、だけど私達はそれをなぜか「変わらない」と思いたいのではないだろうか。

 

その理由は明確で、やっぱり「変わる」よりも「変わらない」ほうが、楽だし、安心できるからだ。

そのくせ、私達は根底では常に「なにか面白いこと」や「非日常的な何か」といった変化を漠然と欲している。

 

だけど主人公にはそんな人間的な変化を欲する気持ちが皆無なのだ。

いやむしろ変わらないことに必死過ぎて、変わり者として扱われることを恐れている。

そこには無欲とは真逆な、強欲ささえ感じる。

だけど、そんな空回りした強欲さこそが人間らしい。

 

例えば自分は社会の歯車で、自分がいなくなったって代わりはいくらでもいるしやりがいもない。

そんな風に日々考えている人こそ、それが事実でそのとおりで、だからこそいま目の前にあることをこなす以外やるべきことはないということに気づくべきかもしれない。

大統領だって首相にだって代わりがいるのに、私にしかできない仕事がこの世にあるわけがない。

だから、今自分がやるべきことは、誰がやったっていい、つまり自分がやったっていいということなのだ。

 

 

そのうちコンビニもすべて自動レジになって、コンビニ店員なんて言葉は10年後には死語になっているかもしれない。

そうなる前に読めてよかったなと思える作品でした。

 

 

 

おわり

 

野毛忘備録 はじめ

 

 

初めて野毛に行ったのは、忘れもしない2018年1月。

新年会がてら、職場の人たちと繰り出したのが最初だったと思う。

 

それ以来、野毛という街に魅了され続けている。

 

今後の人生をより豊かなものにするため

野毛についての忘備録としてここに記しておく。

 

 

 

おわり