コンビニ人間

人間の体の中の水分は約2週間で入れ替わる。
コンビニも同じで、外見は変わらないとしても、中身にある、商品、レジ袋、スプーンフォーク、ポップなどの備品はもちろん、働く「店員」も新陳代謝さながら流動し変化しいてる。
朝と夜に食事するかのように新しい食品が店に運び込まれ、
賞味期限が切れた食品は廃棄として老廃物のように店の外に排出される。
コンビニのような人間というよりも、コンビニこそ人間(生物)のようだ。
物語の途中に度々でてくる、杖をついた老婆。
「本当に、ここら変わらないわねえ」
このセリフを主人公は何度も反芻する。
けど実際にはコンビニの商品や内装、または店員も長い月日でみーんな変わっている。
人の言う「変わらない」という感覚は、どこを見て判断されるのだろうか。
見た目?中身?または、声、匂い、服装など
様々な要因がある中で、感覚的に「変わらない」と判断している。
だけど私だって、いまこれを書いている図書館の一室で「ここはいつも変わらないなあ」と思ったりする。
本当に変わっていないのはせいぜい机と椅子の配置くらいで、来るたびに窓から見える風景も若干変わっているし
机に向かっている他の人達がいつも同じ面子かどうかなんて、考えたこともない。
毎日本当は全てが全部変わっていて、だけど私達はそれをなぜか「変わらない」と思いたいのではないだろうか。
その理由は明確で、やっぱり「変わる」よりも「変わらない」ほうが、楽だし、安心できるからだ。
そのくせ、私達は根底では常に「なにか面白いこと」や「非日常的な何か」といった変化を漠然と欲している。
だけど主人公にはそんな人間的な変化を欲する気持ちが皆無なのだ。
いやむしろ変わらないことに必死過ぎて、変わり者として扱われることを恐れている。
そこには無欲とは真逆な、強欲ささえ感じる。
だけど、そんな空回りした強欲さこそが人間らしい。
例えば自分は社会の歯車で、自分がいなくなったって代わりはいくらでもいるしやりがいもない。
そんな風に日々考えている人こそ、それが事実でそのとおりで、だからこそいま目の前にあることをこなす以外やるべきことはないということに気づくべきかもしれない。
大統領だって首相にだって代わりがいるのに、私にしかできない仕事がこの世にあるわけがない。
だから、今自分がやるべきことは、誰がやったっていい、つまり自分がやったっていいということなのだ。
そのうちコンビニもすべて自動レジになって、コンビニ店員なんて言葉は10年後には死語になっているかもしれない。
そうなる前に読めてよかったなと思える作品でした。
おわり