初めての再受講となった1回目
5月から、毎月第4日曜日に
新しく全4回で学べるカリキュラムとなった
「ここべん入門編(前編)」!
→こころセラピスト入門前編/全4回
従来の講座は入門編は全8回、
出られるところだけ出る
雨だれ式の受講OKとしていましたが、
こころセラピスト講座となってから
基本的には段階を踏んで
順番に受講する形となっています。
その方がスムーズに学べて、
いきなり深い段階をうっかり受講して
分からない仏教用語が山盛り…
なんて事態がないのでいいと思います(笑)
(私もベテランさんばかりの
数秘編の初回に、
背伸びして参加して
「さ、さ、さっぱり何言ってるかわかんね」
と白旗を上げたことがあるもので…。)
私が初めて受講したここべんは
入門編の3回目から。
2016年11月27日でした。
こちらの写真は4回目のレジュメ。
今日やったここべんの内容は、
私が学び始めたところと
ちょうど被っています。
同じ内容を再受講した形です。
もう聞いたところを
もう一回聞いて何になるの?
…と思うでしょうか?
再受講で新たな発見があったり、
前回と気になるところが違ったり、
理解が深まったり…。
自分の学びの段階を省みられるのが、再受講の面白さ…、と
先輩方から散々聞いていた私。
実際、繰り返し聴きに
来られる方はとても多いんです。
こりゃ、やんないとでしょ!
戒律と捨戒の法
2度目に聞いて
センサーに引っかかったのは、
「戒律の話」についてです。
ルールを決めると
それに囚われて執着するのが人間。
それゆえブッダは
「ルールを守りなさい」とは
言っていなかった…という意外な話があります。
「ルールを守れそうになかったら、
戒律を捨てなさい。
いったん辞めて戻りたくなったら
戻って来ればいい」
としたそうです。
仏教は厳しい修行を
するイメージですが、
この話を聞くとメチャメチャゆるいですよね。
大事なのは何のためにやるのか?ということ。
そこを履き違えない、
ルールに振り回されない様にするには
どうしたらいいかという話は、
1年半前の初回のここべんでも聞いていました。



例えば。朝の電車に
女性専用車両というものができました。
女性が、電車の中で
痴漢など異性に関わる
不快な思いを味わう心配を
しなくて済むように配慮された車両ですね。
でも、気づかずうっかり入ってしまって
肩身が狭そうにしているおじさんを
射殺しそうな目で見る必要はないはずです。
いつまでも居座りそうだった時、
注意すればいいだけ。
優先席も同じですね。
優先席ではないから、席を譲らないでいい…と
身体が不自由な人がいるのに
知らんふりを決め込もうとしたり、
逆に優先席の前で
妊婦や老人だから譲られるべきだ…と
当然の権利として振りかざす人が出てきたりします。
自分に軸がないと、
そうやってルールに振り回されて
何が正しいか履き違えてしまうのです。
少しでもルールからはみ出した人がいれば
鬼の首を取ったように吊るし上げ、
袋叩きにしたり…
テレビでもネットでもそんな光景を目にしませんか?
本来ルールって罰を与えるために
存在しているのではないですよね。
通常の時は適当にやる一方、
本当に大事な時に決してブレない
自分の軸を立てておきなさい。
ブッダの戒律の捉え方は
最初はこういうものだったんですね。

松井先生は、「目の前にいる人を幸せにする」
「ウソをつかない」という二つを軸にしてたそうです。
他のことはいい加減(笑)だけど、
この二つはとことん守ったと。
自分のことは顧みず、
救いを求める人には
できる限りのことをしたのが松井先生でした。
(→まーくさんブログ
初回の時、私には「自分の軸」というのが
ピンと来なかったんです。
ルールの話はわかったんですが、
自分の軸を立てるとどうして
細かいルールが気にならなくなるのか?
揺るがない自分の軸って、
じゃあどんなもののことを言うのか?
これから自分なりの軸を持って生きると
幸せが見えてきますよ、と言われたのですが、
雲をつかむような話に思えました。
「常識」という妄想
人に迷惑をかけないためにルールというものは存在しています。
でも、人それぞれ、何を迷惑と思うかは違うわけです。
初回の時の私は、
「人に迷惑をかけない」というのが
あらゆるルールの要なので
私の軸はそれかな?と思ったんです。
でも、それだとやっぱり世間でたくさん作られた
多くのルールと境目がないんですよ。
いろんな感じ方の人がいるのに、
その全ての人が
迷惑に思わないようなルールって、
もの凄くせせこましいものに
なっちゃいますよね。
常識的な人が考える「迷惑」を基準にする、
としても…では誰が常識的で、
どこから非常識になるのか。
とても線は引けません。
曖昧な基準では、軸にはならないんです。
それで私は訳が分からなくなって、
そのことを考えるのを中断していました。
というか、そこまで分析もできず、
自分軸って何?で終わっていた
ことを今日やっと思い出して。
本当に捉え方が変わったんだな、と
しみじみ感じました。
以前の私の判断基準は、
「世間から植え付けられた
実体のない価値観」に基づいていて、
「それ以外のことを基準にしなよ」と
言われると
思考がフリーズしちゃうくらい
染まっていたんです。
せいぜい「自分が好きと思う、
やりたいと思うこと」を
行動する動機にするくらいで、
それすら今までの環境で築かされた
借り物の価値観です。
自然と決まっていた私の軸
1年半ここべんを学んで、
日常生活の中で落とし込んで
実践していくうちに、
自分の中に「見ている自分」を発見しました。
松井先生が言うところの
「お不動さん」みたいな存在です。
悪いことをしたら
自分の中の神様に怒られる、という感覚が
身にしみて分かるようになりました。
誰も見てなくても、自分は知ってる。
だから、自分が恥ずかしくない行動をとるようにしよう。
自然にそう思いますし、
そう考えるようになると
いつの間にか自分の軸が定まっていました。
ハードルが高すぎると守れなくなるので
とても些細なことをふたつ、今日改めて決めました。
- 助けを求める人がいて、それに気づいたら、 見ないふりをせず応えること。できない時はきちんと理由を話すこと。
- 自分が後ろめたく思うことはしない。落ちてる物を勝手にポッケナイナイするとか、お釣りを誤魔化すとか、自分が得するための嘘をつくとか、そういうのはしない。ゴミを手に取ってしまったら自分のゴミとして扱う。など。
自分軸というのは、
誰かが決めたたことではなく、
内なる自分の声に従うということです。
しかしエゴが強いと自分の欲望を
内なる自分の声として捉えてしまうため、
注意が必要です。
心の学びをせずに
いきなり捉えられるものではないと思います。
私も自戒しつつ。



こんな風に、日常生活に落とし込みながら
物事を整理して考えられるようになり
悩みがなくなっていくのが
松井式の心の勉強です。
仏教を勉強しますが、
宗教的な要素は一切ありません。
もちろん勧誘もありません 。
何かを信じる類のものは
仏教ではないからです。
どちらかというと
心理学や哲学の勉強に近い印象です。
興味の湧いた方は是非お問い合わせを。














