学芸員さんのお話で点と点が繋がりました 「ウィーン・モダン展」⑵ | 大阪高槻 神峰山の里 古民家ギャラリーねこ福 

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昨日は、ウィーン滞在2daysに肩透かしを食らったクリムトと

間近で対峙できて嬉々としていると書きました。

 

ウィーンには無念が募っているので、

学芸員さんのお話はとても懐かしかった。

全てが芸術、でもテイストがごちゃ混ぜのような気がしたウィーンの街並み。

その印象を体系だてて繋げてもらえて、興味深かったです。

 

 

 

今日は、

これから美術館を訪れるというお友達に向けて、

学芸員さんのお話を要約してみようと思います。

 

 

左側のページの写真は展覧会にも出てくる世紀末建築です。

下の2枚は、オットー・ヴァーグナーという人の設計した郵便局。今も使われています。切手買ったような。

 

 

 

 

 

フランス革命前夜、ヨーロッパでは啓蒙思想というのが流行りました。

誰もが自分で考え、運命は自身で切り拓いていくものであるという考えです。

ウィーンの女帝マリアテレジアは、その考えをいち早く取り入れ、

庶民を賢くする政策を打ち出しました。

例えば、王室のコレクションを博物館で公開し、

美術史の見方を提示しました。

系統立てて物事を考える、知らない世界にも意識を向ける、

そんな効用があったことでしょうね。

 


その後、庶民が自分のための、生活に密着したカタチの表現を追求するようになりました。

これらの作品をビーダーマイヤーと言います。

‘真面目な太郎(よくある名前)’みたいな意味だそうです。

 

神話、宗教など架空の題材でなく、

自分の生活をリアルに、嘘偽りなく表現したいという芸術です。

 

 

 

 

公共の場では、懐古傾向が「新しく」

19世紀にして、ギリシャ、ゴシック、ルネサンス、ロココ様式の新建築物が

建てられました。

 

 

クリムトはそういう時代に生きた人です。

なので、初期は時代の寵児として、そのような作品に取り組んでいます。

見た目にリアルな絵といえばわかりやすいかな。

そしてまた、とっても繊細なタッチなんです。

 


 

 

その後、啓蒙思想の反動で理性に偏りすぎた近代人の

本能衝動を解放させようとする動きが芽生えました。

 

レントゲンが発見され、

フロイトが深層心理を発見(?)した時代背景と相まって、

目に見えるものだけが大切ではない

深層に潜っていかなければならない

という思想が生まれました。

 

革新的であることが重要」という潮流に乗り、

見えるものを忠実に再現するより、

目に見えない奥底を表現することへの挑戦が始まります。

 

ただの抽象化ではなく、

2面神ヤヌスのように、内側と外側を同時に表現することに、

クリムトが率いる「分離派」と呼ばれる芸術集団は挑んだと言います。

 

装飾に有機的曲線を多用し、エロスを昇華させた官能表現を好みました。

フランスでいえば、アール・ヌーボーかな。

 

例えば、パリにあるダリがデザインした玄関

自分で撮った写真は、あげちゃってなかった

お借りしました
 

 

クリムトの絵の服飾によくある「眼状装飾」は、 

服の中が見たい、だけど眼に見返されて入れない深み、

女性に対して惹かれる気持ちと恐れる気持ちを表現しているのだそうです。

プラトニックだったクリムトへの、なるほど的考察ですね。

 

 

以上、学芸員さんに教わったウィーン世紀末芸術の変遷です。
近代の定義とは、自立・生活・革新だそうでーす。

 

 

 

 

えっと、クリムトが活躍していた時代というのは、

パリでピカソが活躍していた時代です。

時代の横のつながりピンときましたか?

 

私の勝手な考察ですが、

フランスは啓蒙思想が流布しだした時に、庶民に向けて無策だったことが、

大きな革命を引き起こしてしまう結果になったのかなと。

でも、その歴史がパリの芸術を革新的で洗練されたものに育てたのかもしれない。

 

ウィーンの芸術は、革新といっても、どこか懐古調で重たくて、

洗練されきっていない気がしました。

古き良き時代を引きずっている感じ。

 

 

ところで、クリムトが物議を呼んだエピソードが有名です。

新しい懐古調の建造物を飾る壁画製作が、当時活躍中の画家たちに割り振られました。

その時、いかにも分離派的な絵画で公共の建物を飾ろうとしたクリムトに待ったがかかりました。

知ってたけれど、学芸員さんのお話を聞いていて、

そのセンセーショナル度合いがよくわかりました。

 

 

 

 

以上、諸々ご参考くださーい。

 

絵画、インテリア、ファブリック、建築など多方面から、

ウィーンの世紀末(1800年代後半)の文化が紹介されていますよ。

「会議は踊る…」のその先の歴史はこうだったんだ、

を、目で触れてみてください。

展覧会のホームページはこちら

 

 

 

 

クリムトで言えば、10月中旬まで豊田市美術館(愛知)で大々的な展覧会が開催されています。

クリムト展 ウィーンと日本1900

 

「接吻」こそ来てないけれど、粒ぞろいの代表作が一堂に。貴重な機会だと思います。

絶対行くし!なんで大阪にこうへんねん💢

 

 

 

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9−10月の日程は満席となりました。

 

11−12月の受付は、

9月29日(日)8時からになります。