●不登校 「気づきだと思っていた洗脳」は、本当の気持に蓋をさせている
こんにちは
自分を認め自己肯定感をあげる簡単な方法を伝授
なおたまです。
子供を理解しようとしても、真の問題解決にはならないって知ってる?
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子供を理解出来れば、親子の信頼関係は深くなる
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「私を観て」「私を認めて」「私を愛して」くれくれ星人が、自分を見失う時
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「どうせ、どうやっても、どうにもならないし」
「相手のあることだから、仕方ないし」
「性格の問題だから、相手を変えるのは無理だから」
自分の本当の気持に蓋をして、「相手の問題だから」と、自分に言い聞かせていないだろうか。
「それなりに解決してるから、問題はないんです」
と、「問題は解決している」と、自分に言い聞かせていないだろうか。
『あきらめたらそこで試合終了ですよ』
スラムダンクの名言としてあげられる、安西先生の言葉。
不登校の息子を学校に行かせようと頑張っていた時は、頑として行く気配のない息子に対し、半ばあきらめていた時期もあった。
・本人の人生だし
・行きたくないというなら、それを肯定しないと
・無理に行かせることは良くない
などと言った気付だと思っていた洗脳は、私の本当の気持に蓋をさせていた。
「いや、学校行って欲しいし」
「だって、学校行かせたいし」
「担任からの連絡、いやみっぽくていややし」
「担任の話が、私への説教に聞こえるし」
「でも、そんな事おもったらアカンでしょ」
そして。。。
「あきらめました」
その言葉を口にする親がいるが。。。
あきらめたとしながらも、「諦めきれない」「諦められるわけがない」
そんな無意識の声は、言葉の端々に出ている事に、本人は気付いていない。
それは、無意識の領域に書き込まれ、「あきらめられない」と思わせる事件が勃発することになる。
その原理を理解していても、それを勃発させない方法を知らないうちは、真の問題が解決することがない。
受講生に伝える言葉。。。
『行ったり来たりは当たり前』
とはいえ、無意識の領域に刻まれている「本当の自分からの声」は、「理解してくれるまで問題は形を変えて繰り返す」
「あきらめた」
「仕方がない」
そう言う言葉を口にしているとしたら、
「あきらめてない」
「何とかしたい」
「(相手に)期待している」
という「諦めたくない」という気持ちが潜んでいる場合がある。
この「本当の気持」を正しく処理しないと、問題が繰り返されることになるって事は、理解できるだろうか。
その処理方法は、ひとそれぞれ違ってはいるモノの、誰もが簡単にできる単純な方法がある。
それは、何回もブログでも投稿しているので、参考になればと思う。
「あきらめ」は、どこかで「まだ頑張れる」気持ちが残っている表れでもある。
「あきらめたらそこで試合終了」
そう言われ、「試合終了で構わない」という人もいるだろう。
本当に、あきらめて試合終了にしてしまった人は、「リベンジ」という形で、問題を勃発させるかもしれない。
どこまで行っても、面倒くさい自分になっていないだろうか。
あきらめずゴールにたどり着く。
「試合終了」ではなく「完全試合(仕合)」
○○してはいけないは、自分で自分にかけた呪いである。
「自分の特徴を知る」ことで、本当に自分の必要な事が解かるかもしれない。
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