●不登校 親はどうせ理解出来へんやろ
こんにちは
自分を認め自己肯定感をあげる簡単な方法を伝授
なおたまです。
「私を観て」「私を認めて」「私を愛して」くれくれ星人が、自分を見失う時
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後悔することは、むしろ自分の力を鍛える肥やしになっている
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「お母さんは、結局、僕のことを何にも理解出来やんねんや」
「どうせ、何言っても理解出来やんやろ」
「どうせ理解出来やんのやし、もうええわ」
子供から、こんな辛辣な言葉を浴びせられたことはないだろうか。
自分の親に、こんな感情を抱いたことはないだろうか。
世間体を気にし、世間の常識の中で生きて来た母は、常に何かしらの「枠」に捉われ、その価値観に準じることが出来ない私を否定することがほとんどだった。
当時の私は、母が理解出来なかったし、いつも否定してくる母には、到底私のことは理解出来なかっただろう。
親には親の価値観があり、ほんの十数年生きている子供の経験なんか、「あんたが間違っている」としか思えないだろう。
親は、自分の経験からも、子供の将来を案じ、「あんたの経験不足」と、子供の価値観を破壊してはいないだろうか。
「どうせお母さんは、私のことなんか解かってくれへん」
そう思いながらも、どこかで「もっと認めて欲しい」「肯定しなくてもいいから、少しは理解して欲しい」と思っていた。
「私は絶対、お母さんみたいになりたくない」
そう思っていた私も、親になり、母と同じように「世間の常識」や「世間の価値観」という枠に捉われ、ほんの十数年しか生きていない経験不足の子供達の言葉を、理解出来ないでいた。
自分の思い通にならない息子にイライラし、彼の言葉を遮り、彼の行動を否定してきた。
息子が不登校になり、ようやく息子を理解しようとしたが、うわべだけの肯定は簡単に見破られた。
「何言っても、理解してないやろ」
自分が息子を否定してきたように、私は息子から否定される形になった。
息子との関係が大きく変わったのは、私が自分自身との信頼関係を築けたときからだ。
何を言っても否定されるという関係から、一変して状況は変わって行った。
感情的になる時は、オラオラ系で威嚇した話し方になり、当然、話し合いにはならなかった。
当時を振り返り、息子は言う。
「昔は、話にならんかったけど、今は話できるやん」
「俺のこと、いつでも理解してくれてるから、意見はしても反対はしてこやんし、俺はオカンのこと信用してるで」
私は、自分の母親に理解を求めるのはやめた。
私が、母親を理解出来るようになったからだ。
何より、自分が自分のことを理解出来れば、人からの理解を求める必要が無くなってしまう。
人を理解しようとするより、自分を理解する方が単純で簡単である。
子供を理解するより、まずは自分のことを理解することに努めた方が、親も子供も自由になれるだろう。
「自分の特徴を知る」ことで、本当に自分の必要な事が解かるかもしれない。
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