お嫁ちゃんからのメッセージ

 

 

今日はアメリカは12月26日で、

普段の年ならクリスマスも終わって

仕事を再開したり、もしクリスマスが木曜なら

休みを取って連休にしたり、会社の方から

連休にしてくれるところもありますが、

 

今年はクリスマスという休日が日曜だったため、

今日月曜は振替の休日となり、銀行とか郵便局とかは

お休みです。

 

クリスマスのご馳走の残りを食べたり、

どこかのんびり、こういうのいいなあ。

私はコンピューターでの仕事を再開しましたが、

今日はお天気が良くて寒くなくて

なんかすごくいい感じです。

 

ブログを昨日再開しましたが、

特別なクリスマスバージョンということで

すぐまた投稿することは考えていなかったのですが、

 

今日とても嬉しいことがあって涙が出たので

書きたいと思います。

 

ブログを休んでいる間に実は本当にいろいろなことがあり、

最終的にお嫁ちゃんと仲違いのようになってしまい

同居を解消しました。

気持ちを整理するのに随分時間がかかってしまい

今まで書けませんでした。

 

でも、今日、思いがけず突然

お嫁ちゃんからテキストメッセージが送られてきました。

 

詳細は省略しますが、

お嫁ちゃんもいろいろなことを乗り越えるために

とても頑張っていて、

たくさん分かってきたことがあったそうです。

 

そして、これまで本当にいろいろよくして下さったのに

失礼な振る舞いとかいろいろ本当にごめんなさい、と

書いてありました。

 

同居をやめてから約10か月、お嫁ちゃんが心の底から

感じていることを書いてきてくれて、

すごく涙が出てきてしまいました。

 

私もとても素直になれて、

私のほうこそごめんなさい、

でも、いつも覚えていて欲しいけど、

何があっても、

どんなことが起きても、

今のありのままのあなたを

愛しているよ、

たとえ私から距離を置くことが必要になったとしても、

私にとってあなたは家族で私の人生にとって

とても大事な人だから、

何があっても、どこにいてもいつも愛していることを

ずっと覚えていてね、

と書きました。

 

私の方にもたくさんの気づきがあり、

たとえひどいことを言われたり

事実を捻じ曲げて話されたり、

ということがあっても、

いっときはショックだけど、

それでもそれは

お嫁ちゃんが本当の気持ちを吐き出して

楽になっていくために必要なことで、

私はそれをPersonalに取る必要はない、

私はいつでも許せる、と思いました。

 

アメリカに来てすぐ、この

Don't take it personallyという言い方に触れて、

便利だなあと思いました。

ちょっと日本語にはしにくいけど、

気にしないでね、とか

悪くとらないでね、とか、

えっと、なんていうのか、

そうですね、何か言われても、それを

自分に悪意が向けられているという風に

取らないというのかな、

まあ、自分の中では便利な表現になりました。

 

たとえ悪口言われても、

それは私が悪いからではなくて、

あくまでその人の問題というか感じ方というか

解釈というか、

 

ああ、そうなんだなあ、今彼女には

私の悪口を言う、というニーズがあるんだなあ、

というように客観視して、

以前のように、私が悪いことしたからかな、とか、

ひどいわ、そんなことを言うなんて、

みたいに私自身のパーソナルな問題として

捉えて怒ったり苦しんだりする必要はない、

ということです。

 

一日遅れではありましたが、

とても嬉しいクリスマスプレゼントになりました。

謝ってくれたことももちろん嬉しいけど、

そうやって彼女が心の内をシェアしてくれて

私もそうすることができたことが本当に

有難いです。

 

何があっても相手を愛する、ということは

ずっと私の中で課題でした。

息子たちには当然できますが、

彼女にはやはりできなくて

どこか非難がましい私がいました。

大反省です。

でも、今は、今日は、

どんなあなたであっても、

そのままのあなたを愛していますよ、と

心の底から言えました。

本当にクリスマスの神様のお導きだと思います。

感謝、感謝です。

どうもありがとうございます。

 


 

 

 

 

メリー・クリスマス!

 

    

前回書いたブログは、

もう一年半も前になってしまいました。

あれから本当にいろいろなことがあり、

書くことができないまま

今日になってしまいました。

その間に同居を解消したり、何度も

引っ越しがあったり、

アメリカの二つの都市を

行ったり来たりするなど、

本当にたくさんの変化がありました。

 

でも、イエス・キリストの生誕をお祝いする特別な一日である今日に、

今まだ生かされて、

この地上で生活できていることの

有難さ、素晴らしさに

心から感謝したいと思っています。

今長男は、フィアンセと一緒に

日本に旅行しています。

次男家族は、アメリカの反対側の州に

引っ越して生活しています。

 

という訳で今年は私は自分の家族と一緒に

クリスマスを祝うことができなかったので、

お友達がご家族のクリスマスに

招待してくださいました。

皆さんの楽しい様子を見ながら、

もちろんちょっと寂しさは感じたのですが

それでも招待して仲間に入れてくださり

本当に有難く胸を打たれました。

来年のクリスマスもどうなるか

分かりませんが、

それでも家族に恵まれている

自分の人生に本当に感謝しています。

 

アメリカ人にとって、クリスマスは

11月のサンクスギビングと同じように

一年の一大イベントです。

毎年クリスマスは休日ですが、

今年は日曜と重なったため、

明日26日(月)は振替休日となります。

 

毎年大体、10月31日のハロウィーンが

終わったら、お店の飾りつけも

サンクスギビング仕様となり、

またクリスマスの飾りも出始めたりします。

毎年前倒しになっている気がします。

11月の声を聞くと、

もうホリデーシーズンの感じが

迫ってきて、浮き浮きしたりせわしなく

追い立てられている感じに

なったりします。

アメリカでは、家族や友人や同僚等

本当にたくさんのプレゼントを

あげないといけないので、

もしかしたら日本のお歳暮・お中元・

クリスマス・お年玉等合わせたよりも

大変かもしれません。

よくクリスマスのギフトの買い物等で

クレジットカードを

使いすぎて大変になるケースを

聞きますが本当に切実な問題です。

 

いつもお世話になっているドクターとか

お掃除の方とか、かなりの数の人たちに

金額は違えど手作りや買ったものとか

何か贈ったりするので、

贈答品文化なんて言ってる日本のことが

かすんでしまうくらいです。

 

でも、いったんクリスマスが終わると、

新年のお祝いは、ほとんど付け足し

みたいなもので、

ただ大晦日等にパーティに行って

騒ぐ人もいれば、

全く何もしない人も多いので

クリスマスが終わると、

一年が終わったという感じを持つ

人が多いです。

仕事も、クリスマスの次の日には

通常の勤務が始まり、

特にまとまった年末・年始休暇というのは

なく、たいてい12月31日まで働いて

1月1日だけ休みで、1月2日から通常勤務に戻る、というのが普通です。

 

アメリカに来て長い年月過ぎましたが、

いまだにこれはまだちょっと

慣れない自分がいます。

 

サンクスギビングのメインのご馳走は、

ベジタリアン、ビーガンは別として、

ターキー以外にはほとんど

考えられないですが、

 

クリスマスのご馳走は、

家庭によってさまざまで、

ターキーだったり

プライムリブだったり、

大きい塊のハムのローストだったり、

多分イタリア系だったら

キリストのシンボルである魚にちなんで

7種のシーフードだったり、

といろいろで、

デザートも本当にいろんな種類の

ものがありますが、

日本で食べるクリスマスケーキという

コンセプトは全くなく、

あれは本当に日本独自の和製文化です。

 

また、カップルで過ごすというよりは、

家族、親戚が一同に会すお盆や正月の

ような機会なので、

例えば親が離婚しているような場合は、

時間や日にちをずらして、

お父さん方の集まりには

クリスマス・イブや

クリスマスの日のランチに行って、

お母さん方にはクリスマスのディナーに

行くとか、

もし同じ日であれば

何か所か集まりをはしごして、

ということになり大変です。

カップルだとこうやってお互いの

家族のそれぞれのイベントのはしごなので、特にクリスマスイブの夜は

それで帰りが遅くなったりすることも

あります。

 

また、ギフトをクリスマスイブに

開けるかクリスマスの日にするかは

家族によってまちまちです。

 

いずれにしても、

日本の師走という言葉が

真っ青になるほどの忙しさも

ようやく今日で終わり、

振替休日の明日はゆっくりして

あさってから平常運転になります。

今はちょっと一息ついている

ところです。

 

まあ、日本人なので、

なんらかのお正月の

お祝いはするとは思いますが、

日本に比べると、とても

こじんまりしたものになると思います。

 

あさってから始まる、

次のクリスマスまでの一年が

実り多いものであるようにと

願っています。

 

お体にお気をつけて

年末・年始の忙しい時期を

あまり無理のないよう、

楽しくお過ごしくださいませ。

 

 

前回からの続き:

 

話がいきなり2014年に飛ぶが、

 

私はそれまでスピ系のことが大好きで、

何かのきっかけでヒプノセラピストの

ドロレス・キャノンのことを知った。

彼女はたくさん本を書いているけれど、邦訳は数が少ない。

でも英語のKindleではたくさん読めるので、

むさぼるように次から次へと読んでいった。

 

私は前世療法にはもう数十年前から興味があり、

有名なブライアン・ワイス博士の講演があったときには

サンタモニカの会場に一人でおそるおそる行ってみたけれど、

本で読んで感じていた通り、

本当に優しく温かい人柄の方だった。

 

その時の私は、失恋の痛手に本当に苦しんでいた。

数年も前にひどい傷を負って別れたのに、

きっぱり忘れることができなかった。

愛情と憎しみとが幾重にも心の中に重なって、

辛い毎日だった。

 

博士の講演に行ったのは、

興味があったからで、

その問題を解決したい、という理由からではなかった。

 

でも、博士の誘導で有名な階段を降りて扉を開けたとき、

私の頭の中でぱーっと広がった光景に

驚愕の思いだった。

過去世でも一緒にいた、思いがけない姿だった。

そして、一瞬にして、

なぜ出会い、なぜうまくいかずに別れたのかが、

ストーンと、いやドーンと腑に落ちた。

 

ああ、そういうことだったのか!

そういうからくりだったのか!

だから成就するわけはなく、

はじめからそういう運命だったのだ、と

本当に瞬時に理解したのだった。

 

そして、あれほど悩まされていた問題が、

たった一瞬で、

本当に綺麗にあとかたもなく消え去ってしまった。

長い間の執着が、

嘘のようになくなってしまったのだ。

 

そうだったんだ、

この講演に来たいと思った本当の理由は

これだったんだ、とそのとき分かった。

 

こんなにスルッと執着が捨てられるのなら、

もっと早くに出会えればよかった、と思った。

悩み苦しみまくった時間は、

無駄ではなかったけれども、

もっとほかのことに使えただろう。

 

この経験から、

一人で悩んでも解決できない問題も、

誰かや何かに助けてもらって

簡単に解決できることもあるから、

これからは一人きりで悩むより

助けを求めてみよう、と決めた。

そうは言っても、

元々なんでも一人で背負って考えて

悩んでしまう方だから、

なかなかそれを実行に移すのは難しかったけれど、

少なくとも、自分だけで解決できない場合は

助けを求めることが大事なんだ、と

痛感した出来事だった。

 

それにしても、

あれからもう15年以上経つけれど、

あのときのワイス博士に感じた、

包み込むような温かさ、

高潔な魂、

ものすごく深い人間愛は、

今でもありありと思い出せる。

 

そして、この感じは、

その後存在を知ったドロレスや

3年半前に聞きに行った、

バシャールというかダリル・アンカに

共通するものだなあと改めて思う。

結構いろんな講演に行ける機会があったなあ。

またどこかで書くことになるかもしれないけど、

温かくて優しくて人間に対する深い愛情がある。

そういうものを感じられて本当に良かったと思う。

 

そして次回はドロレス・キャノンについて

書きたいと思う。

 

続く

 

これは一年前の6月に起きたこと。

 

自分を信じる気持ちが試されるときが人生では何度かあると思う。

 

今まで書けなかったことをこれから正直に書いて行きたいと思っている。

 

他人の言うことに従って、

他人軸で生きて、

自分のことを本当にないがしろにしてきた人生だった。

 

責任感が強すぎて、

自分を追い込んで、

家事も仕事も頑張って、

頑張って頑張ってもっと頑張って更に頑張って

病気になって

何もかも失って

 

それでも変われない自分がいた。

 

これまでのやり方が間違っていた、

そうはっきり分かっているのに変われない。

 

頭にしみついた自分の常識から抜けられない。

 

だからこそ、天は私の人生に

全く常識が違うお嫁ちゃんを連れてきて、

 

腹が立つこともありながら、

ほら、こういうふうにかんたんに生きることも

いい加減に手を抜くこともできるんだよ、と

私が学べるようにしてくれたのだろう。

 

あれは去年の5月。

とうとう堪忍袋の尾が切れて

同居を解消して飛び出した。

 

一人になって本当に楽になった。

そして、キャリアアップのために

猛勉強を始めた。

 

でも、思ったようには進まない。

時間が経つばかりで本当に歩みが遅い。

砂を噛むような苦しい毎日だった。

 

自分はもうだめだ、

こんな年で一体何をしているんだろう、

昔のように頭は動かないんだ、

毎日毎日焦りで辛かった。

 

でも、そのうちに、

ほんの少し、

ちょっとづつ

手応えが出てくるようになった。

 

ほんとに少しずつ、

 

あ、もしかしたら、できてる?

もしかしたらこれでいい?

長い長いトンネルの向こうに、

 

かすかな光がちらついているのが

見えた気がした。

 

それからは、

もう半分狂ったように勉強した。

高校受験も大学受験も司法試験受験も

こんな感じだった。

 

寝て起きて食事する以外はずっと勉強。

そしてそのうちにすごく自信がついてきた。

大丈夫だ。

まだ大丈夫だ。

きっとできる。

 

ちょうど夏至が近づいていた。

 

つづく。

 

この頃ちょっと辛いことが重なって、なかなか

書けずにいた。

 

前回、誰のことも信じられないとはどんなに辛いことだろうか、と

思っていたが、

その後またいろんなひらめきや、経験があった。

 

そうだ、誰のことも信じられないのなら。

 

他の人が自分を信じられる、ということも信じられないのではないか。

 

傷ついたから、誰のことももう信じられない、信じない、信じたくない、

 

そうやって心を閉ざして自分を守ろうとしたのなら。

 

誰かが自分のことを信じてくれる、ということだって

きっと信じられないのではないか、と

はたと思った。

 

つまり、自分が人を信じないのなら、

 

人が自分を信じてくれなくてもいい、ということでは

ないだろうか?

 

もしそうだとしたら、

他人に対して真実を語ることは

大事なことではなくなって、

 

嘘もつくし、

というか、

本当のことは言わないでいる、

本当の気持ちも事実も隠して。

 

そうか、そうか。

お嫁ちゃんに対して、

初めて違和感を感じた事件は、

アメリカでいうベビー・シャワーのときに起こった。

出産を間近に控えて新米ママをはげましてお祝いするために

赤ちゃんのものをプレゼントしてパーティをするのだが、

結婚式を遠くで行ったので、

来られなかった人たちも招いて

二度目の結婚披露宴も兼ねてやったので

大きな会場でかなり盛大に開催したのだった。

 

それまで彼女に持っていたイメージとは

ちょっとそぐわない発言があった。

びっくりしたのが先だったけど、

今から思うと、

あれがすべての始まりだったように思う。

 

傷つけられたから、

自分を守るために、

本当のことを言わなくなり、

状況や他人を操作する人になる。

 

なるほど、そういうことだったのか。

 

3年もたって、

ようやく腑に落ちた。

もし、私も同類であれば、

すぐ見抜けたのだろう。

 

誰も信じられない。

だから、誰も信じない。

その代わり、

誰も私を信じてくれなくてもいい。

 

そんな人生をこれまで生きてきたとしたら、

 

どうやって、

人が言う言葉を、

疑うこともなく、

手放しで信じられることができるだろうか。

 

私がどれだけあなたのことを愛してる、と言い、

いろいろ世話を焼いたからと言って、

 

それらの言葉や行為を100%信じ切ることが

できるだろうか。

きっと彼女にとって、

それはものすごく怖いことなのだろう、と思う。

信じて裏切られたら、深淵が口を開けて

自分を飲み込んでしまうような

ものすごい恐怖があるのだろう。

 

その恐怖を、

今後、彼女の人生で克服することは

できるのだろうか、

いつか、そんな日が来るのだろうか。

 

他人や物事や状況を、コントロールしなくても

安心と思えるような、

そんな内的平和を

いつか彼女は手に入れることができるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お嫁ちゃんと身近に暮らして、

はじめて知ったことがいくつもあるが、

 

人を信じられない、誰も信じられない、

というのは、本当に驚きだった。

 

私は逆に人をたやすく信じすぎるところがあって、

何度も騙されたり、裏切られたりして

傷ついてきた。

 

でも、それでも、

人を信じることをやめる、ということは

考えられなかった。

 

一時的にものすごい人間不信に陥って、

もう誰も信じない、誰も信じられない、

と思っていた時期もあったが、

私にとって、それはとても苦しいことだった。

 

でも、お嫁ちゃんは、

親からの虐待経験から、

長いこと、人は信じられない、誰も信じられない、

と思って生きてきたそうだ。

というか、今でも基本的には信じられない、と

感じているらしい。

 

本当に私とは正反対だ。

 

もう誰も信じられない、これからはもう誰も信じない、

と思っていたときの自分の苦しさを思うと、

やはり彼女は本当に苦しみの中で

もがいているのだろうと想像する。

人は一人では生きてはいけないので、

その中で、自分しか信じられない、と

思って生きなければいけないことは

どんなに辛いことだろうか、と思う。

 

彼女にとっての天国は、

誰もいない、

この世界にただ自分だけしかいない、

誰にも煩わされず、

誰とも交わらなくていい、

そういうところだそうだ。

 

私なら、最初は一人で気楽だと思うかもしれないが、

そのうちに、

絶対人恋しくなって寂しくなるに決まっている。

彼女が望むように、そばに誰もいない、だけでなく、

この世にたった一人、自分しかいなくて、

他には誰もいない、そんな世界なら、

私はおそらく不安で怖くなってしまうと思う。

 

ここまで書いてきて、

そうだ、いろんな本に書いてある、

この世にはほんとは自分しかいない、

自分が全部作り出している世界で、

他の人というのは、自分が創作した登場人物である、

とするならば、

 

彼女は自分の世界に誰も登場してほしくない、

というわけで、

つまり、

誰かが登場すると、それに自分が飲み込まれてしまう

ような恐れがあって、

ということは、自分の世界がとても不安定で脆弱で

英語でよく言う、卵の殻に乗って歩いている、

すごい不安と恐れとストレスが

日常なんだろうなあと、

これも想像にすぎないかもしれないが。。

本当に大変なことだと思う。

そうか、

きっと、

彼女は、毎日生きている、ただ呼吸して生きている

ということだけでも

ものすごく辛くてしんどくてストレスフルなことなのかも

しれないなあ、と、

 

そう、今これを書いていて、

ほんのちょっとだけ、

分かったような気がした。

ほんとにごくわずかだけど。

 

そうか、そうか。

だから、

そんな彼女が、

そう、生きているだけで辛い彼女が、

結婚して、子供を生んで、育てるって、

もしかして、

本当に本当に大変なことで、

本当にすごいことなのかもしれない。

他の人には当たり前のことが、

彼女にとってはそうではないんだろうなあ。。。


人から傷つけられないよう、騙されないよう、

欺かれないよう、裏切られないよう、

自分の気持ちはなるべく人には出さずに

生きてきて、

しかも、自分自身にさえも自分の気持ちを

明らかにせずに自分から切り離すように

生きてきた彼女と、

 

正直であること、誠実であること、

それが親から教わった美徳である私とでは

(とは言え、それができなくて苦しむ)、

 

はなから分かり合える訳がない、

何もしなければ。

 

何度も話し合いをして、

ようやく少しずつ分かってきて、

 

感覚で分かるというよりは、

頭で理解して分かるという段階でしかないのだが、

 

生きていく上での基本的な視点がこれほど違っていると、

 

私と彼女に見えているこの世界は、

きっとおそらくものすごく違ったものなのだろうなあと、

これも想像でしかないが、

 

私なら、とか、普通、とか、

そんな言葉を使うことが

もはやとても危険なことになってしまった。

 

いいことだ。

 

この歳になっての大きなパラダイム・シフト。

 

おかげで私の脳はいっぱい刺激を受けて

すごく活性化している。

 

自分の常識は相手には非常識かもしれないということを

身を持って実感する、

これは、本当に得難い体験だ。

 

人が信じられない、

人を信じられるってどんな感じ?

と彼女に初めて聞かれたときのあの驚き。

 

なんとか、人を信じられるようにしてあげたい、

という気持ちが最初はむくむく湧いてきたけど、

 

その後のたくさんの驚きのエピソードから、

それはちょっと不遜というものだろうと

思うようになった。

 

彼女をまず理解しようとすること。

それすら、あと何十年もかかってしまうかもしれない。

 

でも、まあ、悲観せずに、

彼女の行動をよく見て、

言語的よりは非言語的なコミュニケーションを

じっと観察して、少しでもその世界に近づいていければ、と思う。

頭で分かっているのに
心がなかなか準備が出来なくて、
ずるずると人間関係を続けてしまったり、
仕事をやめられなかったり。
そんなことが何回かあって、
でも少しずつNoと言えるようになって。

去年はコロナで大騒ぎの年だったけど、
個人的にはカナリの進展があった年だった。

そして、前から好きだったものを
やってみようと思って
やり始めたりした。

パワースポットめぐりが出来たらなあと
ずっと長いこと漠然と思ってたけど、
昨年一つ叶えることができた。
シャスタ山だ。

偶然、行けることが出来て、
ワクワクしていた。

でも、行ってみたら、
あら?
という感じだった。

なんかすごいパワーに包まれるんじゃないか
と期待していたのに、
何も感じない。
ごく普通の山って感じで、
おかしいなぁ、と思ったのだが。

山を後にして数時間後、
驚くべきことが起こった。

これまで何年も続いていた腐れ縁。
切りたいと思っていたのに、
なかなか切れなかった。

それが、
あっという間に準備が整って気がついたら、
バッサリこの手で切っていたのだ。

あまりのあっけなさに、
これまでの苦労はなんだったのか、と
思った。
そして、すぐ、
ああ、きっとあの山のおかげだ、
という強い直感が来た。

バッサリ切り落とす刀を、
私が全然気付かずに
手に持たせてくれたんだなぁ、と
畏敬の念を感じた。

そうか、
やっぱり本当にすごいものは、
さりげないんだなぁ。
力を目の前に引けらかして来る
必要はないんだなぁ。

その日以来、
すごくスッキリして、
自分を大切にすることが
また一つできて良かった。

やっぱり、
自分だけでは出来ないことが
いっぱいある。

私はきっとこれからも
いろんなところに行くことになる、
そんな気がする。



1週間前、お嫁ちゃんと大きな喧嘩になった。

 

でも、そういうきっかけで初めて話ができることもあるので、

心の中ではいい機会だと思っていた。

 

そして、お嫁ちゃんが本当のことを正直に言ってくれた。

 

初めて聞く話だった。

 

いや、それは正確ではない。

 

お嫁ちゃんは何度かそれについて言及したことがあったが、

よく意味がわからない、というか、

全然ぴんと来なかった、というか、

一体どういうこと、もう出来ているじゃない?って思って

(というか思い込んで)いたのだけれど、

 

今回は、どうしてもその意味をわかりたいと思って、

いろいろ聞いてみたら、

やっと初めて理解することができたのだった。

 

お嫁ちゃんの夢。

お嫁ちゃんがずっとやりたいと思ってきたこと。

 

それをこんなに身近にいながら、

分かってあげられてなかった。

それでお嫁ちゃんはイライラが募るばかりで、

本当にごめん、つらかったよね、

と私の目から涙がこぼれた。

 

やりたいことをやれない辛さ、

夢をあきらめないといけない絶望感は、

この私が一番良く知っている。

 

何年もほんとに寝食惜しんで頑張ったのに、

ついに諦めないといけなかった

若い日のあの心臓が引きちぎられるような

胸の痛さは、

 

今でもよく覚えている。

 

お嫁ちゃん、この私が、あなたにそんな思いをさせる訳にはいかない。

 

わかった、これからは応援するから、頑張りなさい。

 

そのために家事をする時間がますますなくなっても、

 

大丈夫、これからは私がもっと時間をうまく使って

もっと手伝うから。

 

料理ができなくて毎日何を作るか考えるだけで

ものすごくストレスになっているのなら、

もうそれはしなくていいから。

 

とりあえず、これまで出来なかった分を取り返そう。

ストレスもなくさなきゃ頑張れないから、

当面は私が全面的にサポートするから。

 

かくして、

一晩の大変化、コペルニクス的転回。

もっと家事ができるようにと言っていたお姑さんからの

まさかの家事解放宣言。

お嫁ちゃんのために私はリンカーンになったよ。

 

がんばれ、お嫁ちゃん。

夢を絶対かなえてね。

あきらめる必要はないんだよ!

この老婆が応援しています!

まだ家事に不慣れなお嫁ちゃんだが、

とても頑張っている。

孫娘のお弁当をちゃんとしっかり作っている。

すごい!

 

でも、料理を少しでも作るようになったのはいいけれど、

作りながら片づける、ということを知らないので、

彼女の使ったあとのキッチンはどこもかしこも

洗い物だらけ、汚い鍋やまな板や皿やで、正直

いやになってしまう。

 

彼女があとから自分で洗って片づけることもたまにはあるけれど、

小さい子供が3人もいると、

つい後回しで、結局私が全部やることになる。

 

料理しながら洗い物しながらやるとあとが楽なんだよと

一度か二度言ったことはあるが、

せっかくやる気になっているのにあまり言うと

やる気がなくなるかも、と思って、

ほとんど何も言わない。

 

こういうことは、子どものときから手伝いをして

習って身についていくものだと思うので、

その過程がなかった彼女にとっては、

習得に時間がかかる習慣だろうと思う。

 

夕食後子供たちが寝て、息子がまだ仕事をしているので、

静かにしていようと

ベッドで携帯をいじっていたらそのままうたた寝してしまって、

気づいたらもう皆寝ていた。

 

でも、やっぱりキッチンの洗い物は終わってなかった。

 

子どもたちが朝早く起きるので、

洗い物をして寝る時間が遅くなるよりは、早く寝る方が大事、

洗い物は朝すればいい、と息子たちは言っているが。

 

確かにそうなんだけど。

 

お嫁ちゃんは朝早く起きて孫娘の保育園のお弁当を

作らなければならない。

ただでさえ彼女にとって料理は大変なのに、

昨夜からの汚れ物でいっぱいのシンクやカウンターでは

さぞかし料理がしにくいだろう。

もっとイライラすることだろう。

 

だから、やっぱり私は片付けを始めている。

 

これが私から彼女へのI love youだ。

 

だから、朝一番に使う彼女にとって

気持ちよく使いやすいように、

洗い物や片付けを全部終わらせて、

ステンレスのシンクも綺麗に掃除して

すっきりさせる。

 

愛しているからね。

 

それは、お父さんが、

家族を養うために

一生懸命に働くのにちょっと似ている。

 

言葉にはしないけれど、

行動で示すI love you.

 

でも、残念ながら、

その愛情を本当に受け止められている

妻や家族はとても少ないんじゃないかと思う。

 

そんなの当たり前でしょ、と思っている。

 

でも、自分の体が疲れていたり、

いやなことがあったりめんどくさいときだって

一杯ある。

上司に怒られ、クライアントに怒鳴られ、

行きたくなくても仕事に行かなければならない。

そんなときには、

やっぱり、最後には

家族のためだから、

と心を奮い立たせて

疲れた体を起こして

自分を励まして出かける。

もちろんそれは母親だって同じだ。

 

お嫁ちゃんにこのI love youが届いているかは

実のところ、はなはだ心もとない。

 

もしかしたら、キッチンを綺麗にしないと気が済まない

姑の癖なんだ、

くらいに思っているかもしれない。

 

当てつけみたいでいやだわ、と

本当は迷惑に感じているかもしれない。

 

よもや、毎晩毎晩、姑が自分のことを

大事に思うからこそ、

お弁当作りを陰ながら応援してくれて

キッチンを綺麗にしてくれている、

などとは夢にも思っていないかもしれない。

 

でも、きっといつか、

そう、多分、自分が私の立場になるようなことがあったら、

分かる日がくるかもしれない。

 

愛しているよ、

大切に思っているよ、

あなたのことを考えているよ

気遣っているよ。

 

食器やお鍋や大小もろもろのものを洗い、

シンクを磨き、

洗い物を拭き、

食洗機をUnloadし、

戸棚にしまい、

カウンター等を拭き、

ふきん等をたたんで、

そういう細々した動作をするたびに、

私がそこに愛をこめていることを、

 

彼女はいつか本当に分かる日がくるかもしれない。

 

いや、分かってくれなくてもいい、

私の自己満足かもしれない。

 

でも、私自身は知っている、

そこに愛をこめて日々を送っていることを、

私自身は知っている。

そうやって送れる日々があることを

感謝している私のことも

神様はご存じだ。

そういう愛の行為をできる身体があること、

健康があること、

それを毎晩自分で確認できることが

一番素晴らしいことだ。

そして、自分自身の自己肯定感を上げるのに

一番いい方法がこういうことなのだろうと思う。

 

人生で失敗したことは沢山あった。

消してしまいたいこと、

やり直したいこと、

どんな人にもあるだろう。

 

でも結局は、一つ一つの小さなことの積み重ねだけが

確かなことを生んでいくということが

ようやく分かってきた、

遅まきの人生。

 

毎日の、一つ一つの、本当に小さなこと。

それを繰り返し繰り返し、

丁寧にやっていくこと。

 

それが、自分自身の人生への愛、かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい年もなんともう一月が
過ぎ去った。
年末の日記で書いたことを
ずっと考えていた一ヶ月だったが、
不意にまた気づきが降りてきた。

子供の頃から、
どうして自分にはこれがないんだろう、
あれがないんだろう、と
不満や疑問に思うことが
よくあった。

理不尽なことが起きると、
なぜ、と問いかけるが、
多くの場合は納得が行かなくて
不満だからである。

どうしてあの人は、
あんなに何もかも与えられて幸せそうなのに、
自分は。。。。と思わない人は
多分少数なんじゃないかという
気がするが、
そこには被害者意識があって怒りがある。

でも、もしそれがすべて自分でわざと
選んで生まれて来た結果だとしたら?

本当は、絶世の美人でとても裕福な
素晴らしい両親の元に天才的な頭脳を
持って生まれて、
性格も良く人から愛される、
そういう選択肢だってあったのかも
しれない。

でも、敢えてそれを選ばず、
表面的には茨の道に思える方を
自分で選んだのだとしたら?

本当のところは誰にも分からない。
でもこういう風に考えることで
初めて生まれるのは、
自分の人生に対するアカウンタビリティーだ。

何も与えられなかった、と嘆いて
被害者意識に留まり、
相手や周りや神さえも加害者に
仕立て上げているうちは、
自分の人生に対して、
本当の責任を取ることはできない。

自分が選んだのだ、
そしてだからこそ乗り越えられるのだ、
と思う時、
自分の中に備わっているツールが
見えてくる。
力が湧いてくる。
自分の力で時間すら
コントロールすることができる。

コロナのせいで
外からの刺激が少なくなって、
自分の中を深く見つめる時間が増えた。

それすら自分が選んだのかもしれない。
本当は幻想だと言われる現実の中で、
もしかしたら一番確実なことは、
自分が選んだ、ということかもしれない。

こんな苦しみを自分で選んだはずがない!

そう叫びたくなる時ほど、
逆説的に、
自分がもしかしたら選んだのかもしれないと
思って見る必要があるかもしれない。
何故なら、そうでないと思っているうちは、
その穴から出られないからだ。

自分が選んだ。
そう、すべて自分が選んだ。

何一つ偶然はない。