こうして見ると新しい船に見えるから不思議だ。朝陽は廃船を蘇らせる?
船体に何かが付いている右端の漁船は、長年港内に繋がれたままだったが、ついに沈んだ。引き上げられた時には貝だらけになっていた。
長崎でも跡取りがいなくて放置される漁船が少なくない。
これも安倍案件の一つだった。「明治日本の産業革命遺産」、世界文化遺産に登録されて今年ではや7年。
海底炭鉱だったこの端島をはじめ、気がつくと長崎では三菱関係のものばかりのオンパレード。
南端付近にある7階建てのビルは元アパートの30号棟。大正5年に建てられた画期的な鉄筋コンクリート建てビルともてはやす向きもあるが、一部屋の広さは四畳半くらいしかなく、水道も暖房もなし。
三菱の下請け作業員たちの宿舎だった。ある人から聞いた話では、長崎駅で降りたら偶然知り合いが端島炭鉱の作業員集めをしていて、短期間だけ来てくれと懇願され仕方なしにこの島へ。約束の期限が来たので帰るjと言うと、「ナニー!帰るだと!」。飯場とはそういう所だった。その人があてがわれたのが、この30号棟の一室だった。
作業員を大勢、効率よく押し込むのに都合がいい「近代的な」飯場だった。
南からぶち込んでくる大波を分散させるためにつくられたのか短い堤防、凪のこの日には釣り人が。
三菱正社員はお山のてっぺんに住んだ。幹部社宅の壁もしばらく見ないうちにボロボロになった。
神社の鳥居はかろうじて。神のご利益か。
中央は小中学校が入っていた7階建ての建物。
土台部分が波に浸食されつつある。他の建物も同様で、いつ崩壊してもおかしくはない。
上陸ツアーではこのあたりへは行けない。行けるのは島南部のビルから離れた場所だけになっている。
崩壊するにまかせるしかないだろう。
端島から南西約2キロにある三ツ瀬灯台。海底の坑道はこの下まで伸ばされ、石炭採掘が行われていた。
高島。これも三菱が炭鉱経営していた島だ。
明治時代には坑道内で約300人が死亡する大事故を起こした。
今では小さな石碑があるだけ、そんな惨事があったことさえ忘れられている。
炭鉱住宅が一般の人向けのアパートになったが、上層階には住む人がおらず窓に板が打ち付けられている。
坑道から掘り出されたボタでつくられた公園。
この島が高島町だったころに建てられた役場庁舎。この島ではもっとも立派な建物だ。今は長崎市役所高島支所となった。
港に近い公園には、土佐から長崎にやって来て大儲けし、財閥のトップとなった岩崎弥太郎の立像がある。片腕を空に向けて真っすぐに差し出す、大きさは控えめではあるものの、北朝鮮にもあるような像だ。
今また佐渡金山の世界遺産登録について、安倍や高市たちが騒いている。端島炭鉱の朝鮮人労働者が強制されての労働だったとする韓国の主張を、資料館をつくって紹介するからという説明で切り抜けたが、その資料館なるものを端島からはるか離れた東京につくり、安倍流の美しき話しの展示だけにしてしまった。これでは韓国が怒るのは当然だった。
中国が南京虐殺の文書を世界記憶遺産に登録しようとした時には、関係国が異議申し立てしたら登録できない仕組みにしたのは日本だった。佐渡金山登録を日本がユネスコに推薦すれば、今度はその関係国であると主張する韓国が異議申し立てしてくるに決まっている。岸田政権ではこれを承知で推薦したら、日本は一体何を考えているのかと国際的信用を失うことは必至と、推薦をためらっているのだ。
来週には結論を出すそうだが、それまで安倍や高市ら、それにマスコミが騒ぎ続けることだろう。