【福岡】

 

 

          令和5年7月の大雨で

 地滑りが発生し土砂が社殿に押し寄せ

 

  土砂と倒木が社殿の屋根に倒れ
    本殿周りの玉垣が全壊。

 


 クラウドファンディングしていたので

      微力ながら

    ご協力させていただき

  改めて参拝させていただきました。 

      

 

 クラウドファンディングでは

 

 昨年の文化功労者にも選ばれた
     マンガ家

   里中満智子先生

 

 代表作『天上の虹』の中で

    恵蘇八幡宮を描き

  何度か足を運ばれたご縁から

 

 「復興のお役に立つのならば」と

      実現した

【オリジナル御朱印】をいただきました。


    

里中満智子先生書下ろし

【恵蘇八幡宮 オリジナル御朱印】

クラウドファンディング返礼分

 

里中満智子先生

『天上の虹』

【恵蘇八幡宮 オリジナル御朱印】

社務所前に書置きがありました

 

志野神社

 

 

     恵蘇八幡宮は

 斉明天皇が崩御され中大兄皇子が

母の斉明天皇の冥福を祈り喪に服した

     御陵山中腹の

 「木の丸殿跡」に鎮座しています。

 

     また恵蘇八幡宮は

   『百人一首の聖地』とも言われ

 毎年百人一首かるた会が開催されています。


    『百人一首』の巻頭歌

 

 「秋の田のかり穂の庵のとまをあらみ 

    我が衣手は露にぬれつつ」は

 

   母の斉明天皇が朝倉で亡くなった際

      天智天皇が

 この地で詠んだものと伝えられています。

 

【拝殿】

 

【御祭神】

  斉明天皇

  天智天皇

  天武天皇


    当時、斉明天皇は

    朝鮮半島 百済復興のため
援軍を送ることを決断され朝倉橘広庭宮に

      移られます。


  そこで武運長久を祈願するため
      中大兄皇子が

  佐神宮より応神天皇の御霊を勧請し

    建てられたのがはじまり。


   673年、天武天皇の勅命で
 斉明天皇と天智天皇を合祀する事となり
   現在の恵蘇八幡宮となっています。

 

 

 

【本殿】

 

【漏刻(水時計)】

 

  天智10年(671年)6月10日

天智天皇は漏刻(水時計)をつくって

  人々に時を知らせられたと

    伝えられています。

 

【御神木】

 

 

 

 

   

     斉明天皇7年5月9日

      (661年6月14日)

       百済救援のため

   朝倉橘広庭宮に遷られた斉明天皇は

 

     病気と長旅の疲労で

  滞在わずか75日後の7月24日(8月27日)

     御歳68歳で崩御されました。

 

   皇太子の中大兄皇子(後の天智天皇)は

    母である斉明天皇が崩御された

     7日後の8月1日(9月11日)

 御遺骸を朝倉橘広庭宮からこの地にお移しになり

  朝倉山上(御陵山)に御殯葬されました。

 

        そして

   陵下の山腹(現在の八幡宮境内)に

  木皮のついたままの丸木の柱を立て

      忌み殿を建て

   12日間、母君の喪に服された

      と伝えられています。

 

     そのことからこの地を

   「木の丸殿」「黒木の御所」

    と呼ぶようになりました。

 

  現在、陵上には石柵が巡らされ

      中央の塔石には

  「斉明帝藁葬地」と刻されています。

 

【斉明天皇御陵跡】  

 

 

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