【京都】

 

【安祥寺 御朱印】

 

【安祥寺 御朱印】

 

【安祥寺 御朱印】

 

【安祥寺 御朱印】

 

【安祥寺 御朱印】

 安祥寺さんは通常非公開寺院ですが

      下記の日程で

   春・初夏の特別拝観が開催されています。

【期 間】

4月29日・4月30日
5月3日 〜5月7日
6月3日(土) 〜6月4日(日)
6月10日(土)〜6月11日(日)
7月15日(土)〜7月17日(月)

【拝観時間】

   9:00~17:00

  (最終受付16:00)


十一面観音菩薩立像(重要文化財)が

  観音堂内間近で拝観でき

 

    その他、境内の
 国宝の五智如来坐像が祀られていた

     多宝塔跡

 

  昨年7月に完成した蘚苔蟠龍

地蔵堂天井画などが拝観できます。

 

 

 

 

【本堂(観音堂)】

【宗 派】高野山真言宗

【山 号】吉祥山

【院 号】宝塔院

【寺 号】安祥寺
【開 創】848年

【開 山】恵運僧都

【開 基】藤原順子

【御本尊】十一面観音菩薩立像

      (重要文化財)


      恵運僧都は

弘法大師が中国より伝来された真言密教の

 まだ日本に伝わっていないものを求め

    中国に渡り、我が国に移入された

     当時の屈指の高僧。

 

 861年の東大寺大仏修理落慶供養では

     職衆一千三口の中

   開眼導師を厳仕されました。

 

 藤原順子皇太后は仏法尊崇の念に富まれ

    深く恵運僧都に帰依せられ

  安祥寺の建立を発願されました。

 

    安祥寺は、875年頃には

  上・下両所の大伽藍をはじめ

   塔頭の坊舎700余宇が駢列し

天智天皇陵以東、山科一帯に広大な寺領を

   有したと伝えられています。

 

     寺格も高く定額寺

(官寺として官米が給与される限られた寺)

      に列し

   年分度者三人が派遣されるなど

      僧侶養成の

 国家的機関の役割も担っていました。


  しかし、藤原順子の死と共に

   当初の盛観は漸次失われ

 

14世紀中頃には上寺に常住する僧もなく

  主要な建物等は殆ど廃絶してしまい

 

 応仁、文明の乱には戦火の巷となり

    皇居御所・公卿邸宅

 その他大寺院等は殆ど焦土と化してしまい

 

 安祥寺も上・下両寺共殆ど灰燼に帰し

  寺宝の多くが散佚し寺領も失い

    興廃はその極に達しました。


 江戸初期から明治3年に至る200数十年間

    高野山宝性院の門主が

    当寺の座主を兼務され

      高野堂とも称され

  再興の道を歩むこととなりました。

 

      その後

観音堂・多宝塔・地蔵堂・大師堂

   青龍殿などが再建され

 

   上寺跡に残されていた

   仏像・什宝も移され

現在の伽藍となり今日に至っています。

 

【青龍殿 鳥居】

 

【青龍殿】

     安祥寺 発祥の原点

    聖域「鎮守 青龍殿」の修復と

  周辺整備を数年にわたり執り行ない

       2022年

    青龍殿の修復が完了。

 

    青龍殿に祀られていた

      蟠龍石柱には

  天に昇ろうとする龍が描かれ


     青龍殿の周囲には

 これから天に昇ろうとする伏した雌雄の龍

      蟠龍を配して

      

   苔を用いて雌雄の龍を見立て

      苔類を意味する

 蘚苔という言葉を使って「蘚苔蟠龍

      とされました。

 

 

 

 

【多宝塔跡】

  京都国立博物館に寄託されている

国宝・五知如来坐像が安置されていました。

 

 明治時代の焼失で礎石だけが残っています。

 

【地蔵堂】

1772年、建立。

 

内部の天井には極彩色の花卉の絵が

  描かれています。

 

【大師堂】

 

【弁天社】

 

【薬医門】

 本坊の表門として元禄年間に建立。

 

   疎水で境内が南北に二分され

      南側にあった

 本坊・鐘楼と共に昭和37年、現在地に移築。

 

 

 

参拝者専用駐車場はありません

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