皆様、おはようございます
先日、お経Q&Aで長くなるので別日に……と記載いたしました
<勤行をする意味と意義>について書いてみたいと思います。
毎日やらない(お経をあげない)とバチが当たるのか?
これは……
勤行は何のためにするのか、という基本的なことを知識として
もっておられない場合、このようなご質問になるのかな?と思います。
<勤行は何のため?>
自分のためでしょうか?何かの願いをかなえるためでしょうか?
そもそも、なんで毎日勤行するのでしょうか?
あれこれヤマシイ気持ちが満載であった過去を持つワタクシ。
拝み始めの頃、願い事を叶えたいと必死でした
でも、叶いませんでした
そうです。
願いをかなえるためにお経を拝んでも叶いません。
これは私が特別音痴なお経をあげていたから
叶わなかったのではありませんデス。
そもそもお経は大方の場合
仏様がどこかでお説法された時の
ノンフィクション記事なのですよ。
どこそこで、観音様がこうおっしゃられました……的な入りから始まります。
(観音様だったりお釈迦様だったり、登場される方は
お経によって変更になります)
こんな内容ですから
必死のパッチで拝んでも叶う訳もありませんね
なので、ノンフィクション記事を読み上げなかったからといって
バチがあたるわけもないのです。
ご理解いただけたでしょうか?
そもそも
勤行は仏様と
近づくためのもの。
あ、スピ系の人が大好物のある日突然仏様が私の中に
入ってきて目覚めた!近づけた!
みたいな話ではありません
もっと現実的なお話です。
むか~しむか~しの仏様の語った
素晴らしいお説法を、腕のいい書き手(賢い弟子たち)がまとめた
ノンフィクション記事=お経(経典)。
訳も分からず読んでいるうちに、
何となくなぜか自分の生活の中で
「はっ!これは!もしかして、あの観音経に書いてあったあの功徳のパターンじゃないの??」
と体感することが起きます。
大体起きていても、気づかないのが実情ですが、
あるとき気づけるようなことになるのです。
で、気づくと、さらにどんどん気づくようになります。
生活の中に仏様からのお諭しを拾えるような着眼点を持てるようになるのです。
不思議ですが、これは<どんな人でも>なのです。
そうなってくると、仏様はこの世に遍満(へんまん)されていることを
体感するんですね~。
(遍満:様々なカタチでめっちゃたくさん存在する、という意味です)
お経には、時代を超えて
仏様のご意思やお諭しのパターンが書かれているのです。
漢字ばっかりが並んでいてよぅ分からんのぅ……という感じでもいいんですよ。
訳分かったら
悩んだり人間をやってないわけです。
「はうっ!分かっちゃったー」となっていたら菩薩なのです。
あ、でもね
「分かっちゃったー!菩薩だから、ワタシ(俺)」
などとブログに書いたりしてる人にはご用心。
至っておられる人は決して自分で自分を大きく見せようとは致しません。
そもそもそんなことを言うこと自体が至っていない証拠
誰かがどう……ではなく
自分がちゃんとした人生を歩めるよう
自分の軸をしっかり持つこと。
そのためにお経を読むことはとても役に立ちます。
なぜなら2千年もの長い間
言い(書き)伝えられている
仏様が教えて下さっているセオリーだから!
お経の本質が分かってくると、毎日読むようになります。
放っておいても毎日やります。
勤行って言うのはそういうものなのです。
無理してやるものではないのです。
バチ(罰)があたるとか云々がいかに見当違いの疑問であるのか
このブログ記事がご理解いただける一助になりましたら幸いです。