天から降ってわいた話にクラクラした。
だが気持ちを現実に引っぱりなおし、鼻から息を吸い込む。
そして前のめりで聞いた。
「父上、どうして私が公方様の正室に望まれるのでしょうか?」
これでも、精一杯平静を保ち聞いたつもりだ。
誰もが聞きたい至極まっとうな質問でしょう?!
父上は目をつむり、言葉を選ぶように何度か口を開いては閉じるしぐさを繰り返す。
早く!といさむ気持ちをなだめ、膝でぐうを握る。
ようやく父が口を開いた。
「これまで公方様は、二度結婚しておられる。
習わし通り、いずれも京都の公家から嫁いでこられた御台所様だった。
しかし、お二人とも若くしてお亡くなりになられた。
また公方様ご自身のお身体も、お強くない。
二度も御台所様を亡くされ、公方様の心も身体も大層弱っておられるそうだ。
しかもまだお世継ぎもおられぬ。
そこで新しく御台所様を、ということになった。
が、公家からではなく健康な大名の娘を嫁がせてはいかがか、という話しになったのだ。
我が島津家は、第十一代将軍家斉様の時に茂姫様をご正室として徳川様にご縁をいただいておる。
そこからご縁ある島津家の姫を、という話が出てきたのじゃ。
ところが本家の島津斉彬様のところに、家定様に見合う年頃の姫がおらなんだ。
そこで島津ご一門の中でお前が最適じゃ、ということになった。
これからお前は、斉彬様のご養女として江戸に上がり江戸の薩摩藩邸で花嫁修業を経た後、家定様のご正室となるのじゃ」
「な、なんと!!」
思わず大きな声を口にした私は、ちょ、ちょ、ちょっと待った!と立ちあがりそうになる自分の膝を押さえた。
江戸におわす将軍家定様のご正室になる、ということは、あの悪名高い大奥に入ることではないか。
どこぞの殿方と結婚しても自由になれないのに、大奥なんぞに閉じ込められたら、囚人と変わらない。
膝を押さえた手が、わなわなと震えた。
「父上!もし私がそれは、嫌だ、と申すと?」
睨むように私の顔を厳しく見つめた父が、低い声で言った。
「於一、この婚姻に異議などない。
もうすでに決まったことだ。
これは命令だ。
この命を覆せるものは、日本国中誰もおらぬ。
従うしかない。
しかも、お前の行動いかんで、この今泉の家だけでなく島津家、ひいては薩摩藩の存続さえ左右されるのじゃ!!」
反対の余地など、紙一枚の余白もない事実。
私個人の意志よりも家や藩の命運がかかっている、という父上の言葉は、背負わされる重責の大きさを表していた。
気づかない間に、口も両目も見開いていたのだろう。
いきなり父上は畳に手をつき、頭を下げた。
「頼む!於一!!何も言わず従ってくれ。
わしだって、好きこのんでお前を江戸になどやりたくはない。
お前の自由闊達な性格を愛し、理解してくれる家に嫁がせたかった。
だからこそ、これまでいくつもの縁談を寄り好んでいた。
こんなことになるのであれば、どこぞに嫁に行かせた方がよかったのかもしれぬ。
が、江戸から遠く離れた薩摩の姫が、将軍のご正室になるなどありえるはずもない。
そのような強い運をお前は持っていた。
ならばその運を使ってみたらどうか、とわしは思ったのじゃ。
お前がその大いなる星の元に生まれたのなら、この薩摩はあまりにも小さい。
江戸に行き、広い世界で生きてはどうだろう?
お前なら大奥を改革できるかもしれぬ」
頭を下げ一気に話した父上は、なおも畳に手をつけたまま言い放った。
「今日からそなたは、わしの娘ではない。
主筋の島津斉彬様の娘じゃ」
呆然とした私の目の前に一瞬、あるビジョンがよぎった。
青い羽織を着た寂しそうな背中をした男性がいた。
私は彼の背中に手をかけ、抱きしめていた。
甘酸っぱいような切ない気持ちが胸の奥からこみ上げた時、ハッ、と夢から覚めた。
そして目の前で頭をついた父上を見た。
「父上、お止めください!」
その時、私はわかった。
天啓のように悟ったのだ。
私を待っている人がいる。
それは青い羽織を身に着け、さみしげな背中を持つ男性だ。
彼は私を待っている!
それが「公方様」なのか誰かは、わからない。
だが確かに私を待っている人がいる。
それはこの薩摩にいる人ではない。
江戸だ。
居住まいを直し、私は畳に頭をこすりつけるように下げた。
「わかりました父上。
私は島津斉彬様のところに参ります」
父はホッと安心したような悲しいような泣き笑いの顔で頭を上げた。
早速その日から私の荷造りが始まった。
斉彬様の父上と、私の父上は兄弟だ。
なので血筋から言えば、斉彬様は私の従兄になる。
でも年は二十七歳も離れている。
養父・養女の間柄になっても、何もおかしくない。
こうして私は島津斉彬様の養女とし、島津家へと移った。
父上と母上、兄上達は私に頭を下げ、見送ってくれた。
そして私は「於一」という名も手放した。
「篤子」
これが斉彬様の娘として私に新たにと与えられた名前だ。
私は率直な気持ちを口にした。
「お義父上、どうして私の名前は「篤子」になったのでしょう?
そのお心は?」
お義父上はゆったりした笑顔でこう言った。
「ふむ、お前のことを考えた時、お前の中にある燃えたぎるような熱いパワーを感じた。
そのパワーがお前を江戸に導いたのだと思った。
だからそれを名前に込めよう、と決めた。
名は体を表す、という。
名前は、お前自身だ。
篤子、という名はお前にふさわしい名前じゃ。
そしてこの名前にはもう一つ大事な意味がある」
「大事な意味でございますか?」
「そうじゃ。
篤には、とくと念を入れて、という意味がある」
そこでお義父上は穏やかな笑みの仮面を外し、ニヤリとした狡猾な笑みに変わった。
「篤よ、わしがお前を養女にした本当の意味を教えよう」
やはり私が養女に来たのは何かもっと深い理由があったんだ、と私はごくり、と唾を飲み込む。
歴史はちっぽけな私の思惑など関係なく龍のように大きくうねり、私を飲み込みそうだ。
だが私はしっかり足を踏ん張り、飲み込まれてたまるものか、と身構えた。
私は挑むように目に力を集中させ、義父上を見つめた。
さぁ、来い!
何でも聞いてやる。
受け取ってやる。
生来の負けん気が、むくむくと湧き上がった。
義父上がまだ何も話していないのに、腹は決まった。
「私は龍の背中に乗る」
私の様子を面白がるように見つめていた義父上は、驚くべきことを口にした。
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あなたは自分の名前にどんな意味が込められているか、知っていますか?
名前は、あなたの親からあなたへのファースト・プレゼント。
たくさんの思いが込められたのです。
あなたの名前・・・
そこにはたくさんの愛が込められています。
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