坂上明の気まぐれ日記 -5ページ目

昭和の日

昨日は、「昭和の日」、そして大安でした。

各地で記念行事が色々開催され、私も早朝から終日各々の行事に出席させて頂きました。

英国では、王位継承順位2位のウィリアム王子が、一般家庭出身の女性とご結婚。国内外より100万人が詰めかけ記念すべき結婚式が行なわれ、世界中がお二人の門出を祝いました。




さて、この昭和の日。

言うまでもなく昭和天皇の誕生日であります。平成になり「みどりの日」となっていましたが、国民の強い要望もあり「昭和の日」に変わり、「みどりの日」は54日になりました。


まさに激動の時代を国民と共にお過ごしになられた昭和天皇。現人神から象徴へ…。国中が焼け野原になり、全てを失い荒廃しきった全国を巡幸され、国民を励まされ、戦犯として多くの軍人が裁かれようとした時も、自らの責任を問われるなど…、その様な昭和天皇のお姿を見て、日本国民はひたすら復興への道をひた走り、こんにちの繁栄をみたのであります。



この度の東北大震災でも、天皇皇后両陛下は宮城県を皮切りに、既に4回にわたり被災地に行かれ、被災者を見舞われました。膝をつき励まされるお姿は、どれだけ被災者は勇気付けられたか計り知れないところでありましょう。




今日の産経新聞朝刊に、

・平成7年の阪神淡路大震災のお見舞いで、皇后さまが、被災した少女を抱きしめられる場面があった。今回の訪問でも、天皇皇后両陛下が被災者の手を握ったり、異動のバスの中で立ったまま沿道の歓迎の列に手を振り続け…。

・「両陛下のご訪問は、被災者にとって何よりの薬。行政が(村民が避難生活を送った)45ヶ月一生懸命頑張っても、両陛下のお一言にはかなわない」。12年に島が噴火して被災した東京都三宅村の村長は、ご訪問が被災地に与える「効果」を、最大限の言葉で評価する。

・被災した小さい子供が皇后さまに「おばあちゃん、うちにも遊びにきてね」と話しかけた。皇后さまは翌朝、その子の住んでいるアパートの玄関先にいらっしゃったという…。

・阪神大震災時、避難所にいた男性は「励ましよりお金が欲しい」と避難所で大声で話していた別の被災男性に陛下が声をかけられると、その男性がせきを切ったように大声で泣き出した光景が忘れられないと話す。

・「政治家は体育館の壇上から『がんばれ』と一言いって帰るだけ。両陛下のなさりようは全然違う」。等々。



日本の皇室は世界に誇る〝皇室〟であります。

武家社会が栄華を極めていた時代でも絶える事無く、2600年もの間男系が維持され、明治維新で再び君主となりこんにちに至っております。武士が自身の力を誇示すべく築いた城は、敵の侵入を防ぐ為、外堀や内堀、要塞の如く天守閣がそびえ建ちますが、京都御所は、「普通の壁」と何らかわりありません。



すなわち日本人の心の奥底にあり、侵すことが出来ない〝聖域〟が「皇室」であります。



天皇制を認めず、国旗国歌を否定する団体が今尚はびこる現況ですが、私は日本人である事を誇りに思い、この国の繁栄の為、この愛する西宮の発展の為、些かでもお役に立てるよう今後も精進していきたい。

「教育は国家百年の計!」

まずはこの西宮の子供達に、「愛国心」をしっかりと教えていきたいと存じます。



追って

この度の選挙戦の中、事務所に置かせて頂いた、支援者であるMさん手製の義援金箱を開けさせて頂きました。



坂上明の気まぐれ日記


15140円入っていました。


本当にありがとうございました。

自民党本部を通じて、被災地へ送らせて頂きます。


感謝合掌

ご支援ありがとうございました

皆様 本当にありがとうございました。

お陰をもちまして、4,063票ものお心を頂き、二期目を飾らせて頂きました。偏えに、ご支援頂いた方々のご尽力の賜であり、衷心より感謝を申し上げる次第であります。



初日の出陣式には、なんと500人の方にお集まり頂きました。

〝イザ、出陣!〟に於いて、これほど心強い事はございませんでした。更めて、ご参集頂いた方、ありがとうございました。身に余る公栄であり、「一番厳しい」と言われる二期目の選挙戦を、最高の形でスタートする事が出来ました。


また雨に泣かされた選挙戦でしたが、選対には街宣車の運行や〝モモタロー〟など事細かくご計画頂き、ずぶ濡れになりながらも実行して頂きました。私の街宣車には窓がございません。もちろん窓があっても閉めません。ドシャ降りの中では、ウグイス嬢をはじめ、ドライバーやナビゲーターがどんな状態になるのか、ご想像がつくはずです。でも皆様、積極的にお手伝い頂き、士気を高めて頂きました。


本当にこの選挙戦は、他の陣営が羨ましがるほど、坂上事務所は熱気に溢れ、活気があり、常にご支援頂く方が大勢つめて頂き、緊張感の中にも〝笑顔〟が絶えず、7日間悔いなく戦わせて頂きました。


この上は、ご支援頂いた皆様のご期待に沿うべく、二期目の4年間、しっかりと働かせて頂きます。

皆様、誠にありがとうございました。

今後共、ご指導・ご叱正の程、宜しくお願い致します。


感謝合掌







イザ 出陣!!


お久しぶりです。

今朝は、同時刻に開催される3つの会合に参加して参りました。

どの会合も、やはり3月11日発生の東北大地震でお亡くなりになられた方へ哀悼の誠を捧げる為の黙祷から始まりました。

・あの未曾有の被害に対し、我々がいかなる支援が出来るのか?

・壊滅した街中であっても、被災された方々の秩序ある姿は、日本人として誇りを感じた。等、意見が述べられました。暴動など絶対に起きず、弱者を労わる被災地の方々の姿は、我々に感動を覚えさせて頂きます。

これぞ我々日本人が全世界に誇れる日本人の姿であります。

ガンバレ!! 日本!!

日本は必ず立ち上がります。

何もかも失い、アメリカの占領下の中懸命に這い上がり、戦後わずか19年でオリンピックを開催するに至り、「100年間ペンペン草も生えないだろう」と云われた広島・長崎ですがこんにちの繁栄をみ、一夜にして10万人の命を奪われた東京大空襲で消滅したかに見えた東京は、世界一の都市に蘇ったのであります。

これからも、自分に出来うる限りの支援を行なって参りたいと存じます。





さて、いよいよ明日から選挙戦が始まります。

私達が4年に1度、死力を尽くして戦う〝戦さ〟の始まりであります。

私は、331日の「気まぐれ日記」で、「宣伝カーの公費自粛」について書かせて頂きました。

もちろん宣伝カーは古くから日本では選挙に於ける一種の〝風物詩〟の様なもので、選挙運動には欠かす事の出来ないものですので、私は、『自費』で思う存分活用させて頂きますが…。
ここで皆様!


明日から、一週間の選挙戦が始まりますが、この宣伝カーを一度興味をもって見てあげて下さい。
市議選の選挙期間は7日間。
まず告示日は、立候補届け後出陣式を行い、「7日間の戦場に、いざ出陣!」と、宣伝カーで選挙区内を「立候補のご挨拶」でくまなく廻ります。
2
日目以降は、大半の候補者は朝立ちをします。
駅前やビジネス街で通勤客へのアピールです。
大体、6時半か7時頃から候補者を中心に、ポジティブキャンペーンの主役:ウグイス嬢と呼ばれる女性運動員らが列をつくり、行き交う人に「おはようございます」「〇〇です。宜しくお願いしま~す」と、挨拶をする姿を皆様よく目にする事がおありでしょう。
そして8時になると、我先に!とマイクを握り、熱弁をふるったり宣伝カーに乗り込み街中を駆け巡る(期間中は屋外で拡声器を使う事が出来るのは、朝8時から晩8時まで)

週末など休みの日は、繁華街や行楽地に出かける有権者を狙って、モモタロー作戦や街頭演説。

この様な街頭活動は、この貴重な選挙戦ですから、まず計画変更はありません。
いくら強い雨が降ろうが、風が吹こうが行われます。
そして運動員は、たとえ大雨の中でも傘はさしません。
また宣伝カーの窓は、どんな悪天候でも全開です。

ウグイス嬢は、ずぶ濡れになりながら、人通りの少ない所でも窓から身を乗り出し、笑顔で大きく手を振り、懸命に候補者の政策を訴え、投票のお願いを致します。

雨だからといって、傘をさした運動員がいたり、窓を開けず宣伝カーを走らせる様な候補者は、勝てません。まず落選するでしょう。

候補者も必死ならば、運動員も必死です。
選挙も終盤になると、いよいよ熱を帯び、マイクを握るウグイス嬢も益々ボルテージが上がって参ります。

初日・序盤~中盤~終盤、そして最終日と、ウグイス嬢の姿・口調やトーンが戦況に応じて変わって行く、この「熟練した技」に注視して頂くのも選挙戦を楽しむ為のひとつになると思いますよ。

ウグイス嬢が、候補者以上に涙ながらにお願いし、喉がつぶれ声なき声で悲壮感漂わせ、必死に訴える姿をどうかご覧頂き、皆様もどんどん選挙に興味を持って頂き、そして政治にご参加頂ます事を心よりお願い致します。

選挙は〝戦さ〟であります。

選挙はナマハンカな活動では絶対に勝てません。
みんな命を賭け、戦っております。
皆様、応援宜しくお願い致します。

私も明日から生死を懸けて戦います。

絶大なるご支援の程、宜しくお願い致します。