坂上明の気まぐれ日記 -3ページ目

教科書採択

長編にて失礼致します。




今、教育界最大の課題である教科書採択が、行われております。

西宮市議会では、先の3月議会もこの6月議会にもこの教科書採択について一般質問に取り上げられ、また今日の市民文教常任委員会でも審議致しました。




新教育基本法と新学習指導要領のもとで行う初めての教科書採択、今年は中学校の教科書採択であります。
我々問題視する者の主張するところ  歴史・公民の教科書について、日本人としての〝常識〟そして〝正確な歴史認識〟を教える為、充分な審議をし決定する様求めるものであります。



この採択に当たっては、まず文部科学省の検定を通った7つの教科書の中から選ばれます。
まず、学校長が推薦する各教科の教員が調査員として調査会を開催した後、その結果を採択地区協議会に報告、協議の後教育委員会の答申をして最終的に教育委員会が決定します。


新教育基本法では、新たにおかれた教育の目標の中で幅広い知識と教養・豊かな情操と道徳心・健やかな身体・伝統と文化・我が国の郷土を愛すると共に他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度・・・、この様な言葉が加わっております。これを基本として採択されなければいけません。





ここで皆様。

この度、我が会派「政新会」に七月1日付で加入された中川經夫先生(7期目)が、先の3月議会の一般質問で取り上げられました『教科書採択について』をご紹介致します。

その中で、今西宮市で使われている「歴史・公民」の教科書の問題点についてですが、掻い摘んで紹介致します。詳しくは、西宮市ホームページの会議録(H233月《第16回》定例会―225日―04)がございますので是非ご覧頂きたいと存じます。



  


以下、議事録より

「…また、生徒よりもむしろ先生が使いやすい教科書という観点に置いたのではないか、そのような気がする…。」「…私は、歴史は他の教科書と違うと思います。歴史は、意図的に教育しなければわかりません。だから、時間をかけて教えなければならないと思っています。ここでこの会議は、これ以上第1推薦された教科書の採択に反対はなく、議論が終わっています。この議論を見る限り、教えられる生徒のための教科書ではなく、先生の都合で選ぶ教科書を採択したと思われますが、いかがですか。…」

 



「…ここで、私なりに、採用されている東京書籍の内容はどのような内容なのか、少しお話しさせていただきたいと思います。
 まず最初におかしいのは、普通の日本人の読み方をあえて避け、耳なれない外国語読みのルビを優先しているということ。例えば孫文を「ソンエイ」、袁世凱を「ユアンシーカイ」、蒋介石を「チャンチェシー」、溥儀を「ブイ」というような奇妙な編集が行われています。菅原道真も二宮尊徳も東郷平八郎など代表的な日本人が出てこず、一般的とは考えにくい人物、例えばアテルイ、石井十次、岸田俊子、シャクシャイン、尚泰、李参平、李舜臣など、それも、図版入りや人物コラムで取り上げています。政治的に偏った人物を詳しく好意的に取り上げているのは、教科書としてのバランスを失っていると思います。
 

このように、人物だけではなく、教科書の内容をチェックしていきますと、まず、聖徳太子の対等外交が取り上げられていません。冠位十二階、憲法十七条など、10行程度の説明しかなく、中国に対して日本の独自性を打ち出した聖徳太子の対等外交の重要性について記されていません。さらに、学習指導要領では「元寇」と記すのに反し「襲来」と書く唯一の教科書です。日本側が受けた被害についても記されていません。なぜ中国からの侵略についてきちんととらえないのか。



また、秀吉の朝鮮出兵を朝鮮侵略と位置づける一方で、李舜臣については、写真を挙げながら、李舜臣は朝鮮を救った英雄として現在も韓国の各地に像が建てられていると、このように記して賞賛しています。日本の水軍を破った外国の英雄をたたえるなら、日露戦争で日本を救った東郷平八郎をなぜ取り上げないのか。全くバランスに欠けていると思います。


さらに、現教科書は、戦争が国家の存亡をかけて、また、アジア・アフリカ諸国の、北欧諸国の独立運動にも影響を与えて、世界史的な意義が極めて高いにもかかわらず、この日露戦争による犠牲の大きさに比べ、日本の得た権益が少なかったとして、国民は激しく政府を攻撃し、暴動まで発展したと。この日露戦争の戦後、増税に泣く国民と写真まで出してとらえています。これが今使用されている教科書の中身です。

議場の皆さん方も今どのように思われますか。




 少し話は後に戻りますが、近世の武士道についても取り上げていません。江戸時代の武士道や二宮尊徳の勤勉精神は、日本の道徳や公共精神を代表するものです。しかし、この教科書には、近代日本の発展に大きく影響した近世の道徳観念について取り上げてはいません。
 また、近世において、日中全面戦争という中で、南京事件について、「この事件は、南京大虐殺として国際的に避難されましたが、国民には知らされていませんでした」と記していますが、日本国民に隠されていたと記すのは誤りであります。中国国民党や中国共産党の当時の公式見解でも南京事件に触れたものはないという事実を踏まえていません。



 このように、紹介して取り上げた内容以外にも、神話の伝承や、日清戦争の背景にあるロシアの脅威や、歴史のまとめなど、新しい教育基本法や学習指導要領をきちっと踏まえた内容になっていない教科書、これが現在採用されている歴史教科書であります。
 

また、公民の教科書でも少し話をさせていただきますが、日本固有の領土である尖閣諸島の領有を中国が主張していることや、竹島を韓国が不法に占領していることについて記述していない教科書がほとんどです。日本の国家に根を張らない無国籍の教育、それが今使用されている公民の教科書の実態です。北方領土やこのこともあわせ、きちんと日本の領土と記した教科書、このことを採用する、これが常識というものではないでしょうか。




さらに、北朝鮮による日本人拉致問題については、「未解決で、日朝国交正常化に向けて交渉は進んでいません」とのみ記述していますが、我が国でも、1970年代を中心に、北朝鮮の工作員がしばしば国内に侵入し、多くの日本人を拉致するという事件が発生しており、2002年──平成14年の日朝首脳会談で北朝鮮もこれを認めた。このような深刻な人権侵害に対し、政府は、長い間、積極的な調査や交渉をしてこなかった。これに対し、拉致被害者の家族たちは、粘り強く解決に向けて努力を続け、今日では国民的課題として認識されるようになった。このように、人権をめぐる国際的な問題点としてわかりやすく記述しているのが正しい教科書だと思います。


国旗、国歌についても、たった1行だけ、「日本では、法律で、日章旗を国旗、君が代を国歌といいます」、これだけ記しているだけです。



国旗、国歌は、国家を象徴するものであり、その国の歴史や理想をあらわしたものであります。オリンピックの表彰式やサッカーのワールドカップの応援などで、国旗が掲げられたり、国歌が歌われたりする場面を見ることが多い。国を愛することは、国旗、国歌を尊重する態度につながる。また、自分の国を愛することで、初めてほかの国を理解することもできる。私たちは、まず、何よりも自国の国旗、国歌を尊重する態度が必要である。そして、基本的な国際儀礼として、ほかの国の国旗、国歌も尊重することが必要である。このように記されている教科書が今あるわけですが、バランスのとれた教科書だと私は思います。
等々…。




現在使われている教科書の一部分の紹介です。

皆様、どう思われますか。





そして、今日の市民文教常任委員会で出された陳情第3号「中学校教科書採択について」を審議致しました。結果、賛成が我々政新会の2(私は委員長ですので採択には加わりません)と、にしのみや未来の1名の計3名、そして反対7名で不採択となりました。なんとも不思議な事です。

陳情内容は次の通りです。

 ↓



陳情の趣旨

平成23年の中学校教科書採択では、教育基本法や学習指導要領改正の趣旨にふさわしい教科書を採択して頂く様、市議会から教育委員会に働きかけて下さい。




理由

教育基本法が60年ぶりに改正され、それに伴い学習指導要領も改正されました。平成23年は、新しい教育基本法や学習指導要領に基づく中学校の教科書採択が行われます。

教育基本法の改正は、戦後の教育が個人主義に偏りすぎたとの反省に立ち、「豊かな情操と道徳心を培う」「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する態度の育成」などを主な改正点として行われ、学習指導要領の総則にも明記されました。

 また、教育基本法第1(教育の目的)は『国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない』と定められており、教育基本法の主な改正点は、日本国民を育成するという我が国の教育の目的を達成する上でも極めて重要なものです。

 教育基本法や学習指導要領改正の趣旨が、適切に教育内容に反映される為に、教科書の果たす役割は死活的に重要です。

 つきましては、教育基本法や学習指導要領改正の趣旨に最もふさわしい教科書が採択されるよう、市議会から教育委員会に働きかけをして頂く様陳情いたします。



この陳情が常任委員会で不採択になるのが今の市議会です。


皆様どう思われますか。

上記の中川議員が紹介している今使われている教科書の内容。それが文科省の検定を無事通ってくること自体が問題ですが、改めて今の教育現場の問題点を浮き彫りにしました。


来年度以降西宮の中学校で使われる教科書は7月20日の教育委員会の会議に於いて、正式に決定されます。たった1回の会議で決めるのだそうです。


私は最近この教科書採択に関して、地元の皆様によく話させて頂きます。上記の中川議員の質問内容を若干紹介し、自分の思いを訴えております。皆様真剣に耳を傾けて頂き、私の意見に賛同を頂きます。



バカな大臣の軽率極まりない、それこそ日本人の心をもたないレベルの低い発言が世間を騒がせ、菅内閣が今窮地に立たされておりますが、これも戦後教育が影響していると思います。


皆様。

日本人が日本人として誇りが持てる、自国を愛し、他国を尊重する心。これは、ご家庭でしっかりと教えてあげて下さい。宜しくお願い致します。

















































































一般質問

6月とも思えないような暑さがいておりますが、皆、熱中症等充分におをつけ下さい。



西宮市議は、愈今日から一般質問が始まりました。



さて、この一般質問。

基本的には、「テマ」は自由です。

究テ政策などに沿って局に問いかけ、『良い答弁』を引き出す。謂わば、議員にとっての晴れ舞台といって良いと思います。




しかし、どんな質問を行うかで、その議員の質を問われ、また色な評を得るであります。

議場での言はそれほど重く、大事なものであります。



ところで皆、議を傍された事がございますか。

議場は最終最後の最高決議機であり、それに基づいて、市や町県、もちろんに至るまでが運されています。

まだの方は、一度是非ご頂きたいと存じます。



された方はもちろん、また国会でもこの質問光景、質問者も答弁者も必ず何やら原稿なるものを読んでいるでしょう。
この光景を観て、議場での「質問」は、あたかも〝やらせ〟だとおっしゃる方がおられますが、決してそうではありません。これについて少々ご説明を・・・。





本市の6月議会の日程を例にご説明しますと、620日に開会した議会は今日29日から74日まで一般質問が行われます。その為、14日に質問順序の抽選を行い(ちなみにくじ引きです)20日までに各自の質問項目を当局に対し、お知らせ(通告)します。それによって該当するであろう職員がその質問をする議員に対し、その質問内容を尋ねに参ります。





それからが大変 ! ! 

議場で、質問者と答弁者が“行き違い”の無い様に、当局が議員からその内容を聞き、答弁案を作り、その上で時間をかけて何度も互いの考えの〝意見交換〟をします。

その結果、本会議場では質問者が長い質問書を読み、答弁者もこれまた長い答弁書を読む為、「やらせ」の様に見えるのです。



この「やり方」の良し悪しはありますが、議員は質問を行う為にその項目に対して詳しく調査し、事細かく当局に問いかけ、答弁内容を吟味します。その為、質問内容を事前に通告し、当局は充分な内容把握のもと答弁書を作成し、その議員といわゆる「すり合わせ」を致します。質問を行う直前までかかる事もございます。




また当局は項目に応じて誰が答弁に立つか「答弁調整」を行います。

そして本会議場でのあの光景になる訳です。




つまりこの「やり方」は、議場での発言は極めて重いものであり、より正確な「質問」をする手段なのです。もし今言った「すり合わせ」や「答弁調整」を行わず、議場で“ぶっつけ本番”だった場合、答弁者が決まっていないとか、その質問内容に対する資料が無い為、「その件については、今お答出来ません。」と答弁するのが精一杯となった場合、議事録に何ら残す事無く〝意味の無い質問〟に終わってしまいます。更には、自身の思いを市政に反映する事も出来ず、上に記した様な『質』を問われる結果になるのであります。

従って、本会議場でのあの姿は、出来上がった姿ではありますが、そこにたどり着くまで議員も当局関係者も互いに研究し、検討し、作り上げていくのですから、決して「やらせ」ではないのです。


さて、私は今回質問は当たりません。我々、会派政新会は、各議員年2回の質問と考えています。4回の定例会のうち、各々2回の定例会で質問に立つのです。

私の場合、9月・3月議会です。宜しければ傍聴にお越し下さい。



























































政治家の器

「国会延長10月まで」

今日の新聞の見出しであります。

震災復興基本法は、発生後3ヶ月にしてやっと成立致しました。


皆様、今の国政をどう思われますか。


与野党問わず「菅降ろし」に終始し、当の本人は意地になっているのか「居座り」続け、それに対し、周りが誹謗中傷を繰り返すばかりの報道が、お茶の間を騒がすではなく〝あきれ果てさせる〟毎日であります。





政治の世界は本当に冷たいものであります。
誰が失脚しようが悲しむ者は居りません。

足を引っ張り合い、常に権力闘争を繰り返し、歴史は作られてきております。



しかしそれにしても、今の政界ほど情けなく、頼りなく、信頼できないものが過去にあったでしょうか。
政権担当能力の無い政党が、「政治主導」を掲げ、政権運営を始めたのですが、結果はご覧の通りであります。




話しは変わりますが、私が秘書に就いた頃は、謂わば『政治家の良き時代』の最後の頃ではなかったでしょうか。竹下・金丸支配の中、まだまだ金権政治が脈々と存在していた時代であります。

それが決して良いとは言いません。しかし、今の様な情けない総理が出るはずも無く、「玉座」を目指し、し烈な戦いが繰り広げられておりました。その全てを賛同する訳ではありませんが、しのぎを削って戦ってこそ、その価値が上がり、腕が磨かれ,大政治家が作られるものであります。




今の政治家は、重みも無ければ存在感もありません。

私は、河本敏夫先生をこの上なく尊敬しております。たった5年間だけでしたが秘書としてお仕え致しましたが、あの存在感とオーラはさすがでした。当時の派閥の領袖は、それほどの〝すごみ〟がありました。

普通、政治家の演説会等には、その時々の著名人や話題の政治家、いわゆる〝人寄せパンダ〟が付き物ですが、河本先生はご本人が〝人寄せパンダ〟でありました。会場は常に熱気で溢れ、「久しぶりに先生のお元気なお姿を拝見できた。」と合掌する支援者も大勢居られました。



「時代が違う」と言われればそれまでですが、一国を預かる政治家は「揺るぎない存在感」を身につけ、他を圧倒する〝威圧感〟があればこそであります。


そんな政治家の出現を心より念願致します。