マルクスではない? 歴史は繰り返す | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

「歴史は繰り返す」と、国語辞典からの続きです。
前回、古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスによる書物が出ていましたので、何が書かれているのか、確認してみました。

今回は、岩波文庫から上・中・下巻の三冊組で出版されている邦訳を利用しています。
以下、上巻と中巻から、一部を抜粋します。強調は、こちらで付しました。

 

また、私の記録からは伝説的な要素が除かれているために、これを読んで面白いと思う人はすくないかもしれない。しかしながら、やがて今後展開する歴史も、人間性のみちびくところふたたびかつての如き、つまりそれと相似た過程を辿るのではないか、と思う人々がふりかえって過去の真相を見凝めようとするとき、私の歴史に価値をみとめてくれればそれで充分であろう。この記述は、今日の読者に媚びて賞を得るためではなく、世々の遺産たるべく綴られた。
  トゥーキュディデース 著/久保正彰 訳 『戦史〈上〉』 岩波文庫 p.74

【対応箇所の英訳文】
The absence of romance in my history will, I fear, detract somewhat from its interest; but if it be judged useful by those inquirers who desire an exact knowledge of the past as an aid to the interpretation of the future, which in the course of human things must resemble if it does not reflect it, I shall be content. In fine, I have written my work, not as an essay which is to win the applause of the moment, but as a possession for all time.
  Thucydides著、Richard Crawley訳 『The History of the Peloponnesian War

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このようにして内乱は残虐の度を増しつつ荒れ狂った。しかもこの事件は最初の実例であっただけに人々に一そう強烈な印象を与えた。(中略)内乱を契機として諸都市を襲った種々の災厄は数知れなかった。この時生じたごとき実例は、人間の性情が変らないかぎり、個々の事件の条件の違いに応じて多少の緩急の差や形態の差こそあれ、未来の歴史にも繰返されるであろう
  トゥーキュディデース 著/久保正彰 訳 『戦史〈中〉』 岩波文庫 p.100

【対応箇所の英訳文】
So bloody was the march of the revolution, and the impression which it made was the greater as it was one of the first to occur.(中略)The sufferings which revolution entailed upon the cities were many and terrible, such as have occurred and always will occur, as long as the nature of mankind remains the same; though in a severer or milder form, and varying in their symptoms, according to the variety of the particular cases. 
  Thucydides著、Richard Crawley訳 『The History of the Peloponnesian War
 


上巻から引用した部分に明記されているように、後世のために記録を残すことが執筆目的になっていることもあり、文章全体に「似たようなことが繰り返されるであろう」という思想のようなものが感じられます。

邦訳では、中巻の「未来の歴史にも繰り返されるであろう」がそれらしい表現になっているとはいえ、英訳と前回示した『Encyclopedia Americana』の「This is no mere statement that history repeats itself. The important element here is "human nature."」に照らすと、おそらくもとのギリシャ語は「歴史は繰り返す」そのものではないだろうと思います。
 

ここまでで、マルクス説とトゥキュディデス説は、どちらも決定打に欠けています。
一方、『大辞林』や『大辞泉』に名前のあったクルティウス=ルーフスは、いまのところ根拠不明です。
そこでちょっと視点を変えてみることにしました。

トゥーキュディデースからはいったん離れ、年代の点からマルクス説を検証します。

 

 

マルクスの『Der achtzehnte Brumaire des Louis Bonaparte (ルイ・ボナパルトのブリュメール18日)』が出版されたのは、1852年だとされています。

これに対して「歴史は繰り返す」のドイツ語表現「Die Geschichte wiederholt sich」をドイツ語文献で探すと、Franz von Heintl著 Bemerkungen auf einer Reise von Wien nach Paris』 67ページ(1833年) に「Die Geschichte wiederholt sich: Der osmanische Sultan...」とあるのが、確認できています。

一方、「history repeats itself」を英語文献で探すと、American Education SocietyによるAnnual Report』 21ページ (1839年)に、「History repeats itself, and so does College life.」が、確認できています。

フランス語にも、M. Joseph Delaroa著 Le Coup d'État c'est l'avenir』 14ページ(1851年)に、「L'histoire se répète, en se rapetissant」があります。

いずれも、マルクスの著書より「前」に出版されています。

「歴史は繰り返す」がマルクスの言葉だという説は、日本であれば『週刊東洋経済』2014年12月27日・2015年1月3日合併号118ページ、同2017年5月20日号109 ページをはじめ、単行本、雑誌などの印刷物にもちらほら書かれていますし、事情は欧米も同じです。

ただ、他の書物での使用例を見るかぎり、「History repeats itself, first as tragedy, second as farce.」については、マルクス以前から存在していた「History repeats itself」に、あとから「first as tragedy, second as farce」を足して生まれたと考えるほうが自然です。

「歴史は繰り返す」がマルクスの言葉だとする説に根拠があがっていれば、「例外なく」ブリュメール18日なのですが、実際にはどうやら後ろの半分だけ。
「歴史は繰り返す」そのものは、マルクスではないでしょう。

これで、ひとまずマルクス説が消えました。

次は、根拠がいまひとつはっきりしないクルティウス=ルーフス説の出どころを確認します。



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