よろこび製造所へようこそ!
相模の風THEめをとのダンナ
いしはらとしひろです。
先日連載していた、
勝手にジャズ妄想ストーリー④
「さあ デューク」今日は全編一挙掲載です。
音楽に魅入られた人の
ちょっと切ない物語をどうぞ。
ちょっと長いのでそのつもりで読んでね~。
勝手にジャズ妄想ストーリー④
さぁ、デューク! ~いつでも音楽し続けるデューク・ピアソン
いしはらとしひろ作
このところ、CD屋に行く回数が増えている。そう、勝手に妄想ジャズストーリーなんてのを書き始めてしまったから、いくらジャズは好きだけど大して聴いていませんよ、と書いていても最低限のところは抑えておきたいじゃないですか。
妄想だからテキトーなこと書いてもいいんですが、(実際テキトーなこと書いてますが)ここは間違っちゃいけねえ、みたいなこともありますからね。
ところで、今回の「さぁデューク」
もはやタイトルの意味も通じにくいかと思うので、最初に説明します。そこを説明しちゃうなんて超野暮だけど。むふふ。
スティービー・ワンダーの名曲で「サー・デューク」という曲があります。20世紀のジャズの巨人、ビッグバンドリーダーのデューク・エリントンに捧げた名曲です。Youtubeで検索すればすぐに出てくるはず。そこをもじったというか、ねじれたリスペクトというか。
まぁ、ジャズで「デューク」といえば、まずは誰よりもエリントンさん。当然でしょう。そして、オールドジャズファンなら次いで思い浮かべるのはデューク・ジョーダンかな。哀愁のピアニスト、なんて言われています。
しかし、僕にとってはデュークといったらピアソン!で決まり。ピアソンさんはクラブジャズなどで人気が盛り上がり再評価された人なので、そちらから入った人にはなじみ深いかもしれませんね。
繊細なのにグルーヴィという、いささか変わった人です。そしてピアニストとしても素晴らしいですが、その編曲・作曲の才がとてつもなく素晴らしい。グレート、というよりはチャーミング。そんなデューク・ピアソンの物語を。
僕がまだジャズを聴き始めた頃に買ったアルバムの中に、ブルーノートレコードのピアノメインのオムニバス盤がありました。バド・パウエルにホレス・シルバー、ソニー・クラークなど有名ピアニストの名演奏が詰まっているので、入門編としては良いアルバムです。
しかしこちとら、本当にジャズの初心者。ジャズを聴き始めて3枚目くらいのアルバムがこれです。そんな「ジャズ慣れしていない耳」にとても心地よく響いたのが、デューク・ピアソンの『スウィート・ハニー・ビー』とハービー・ハンコックの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』でした。
特に『スウィート・ハニー・ビー』のわかりやすくも心浮き立つようなテーマリフ。しかもなんとも昭和感溢れる?メロディ。一発で惹かれ、その曲が入ったオリジナルアルバムも買って聴きました。そこから少しずつ、デューク・ピアソンの魅力にはまっていくわけです。
デューク・ピアソン(1932年~1980年)
アメリカのジャズ・ピアニスト、作編曲家、プロデューサー。
ドナルド・バードに見いだされ、彼のアルバムで名盤の評価も高い『フィエゴ』でレコーディングデビュー。繊細なタッチのピアニストとして人気を得ると共に、作曲家、編曲家としても頭角を現す。後にビッグバンドも結成。
1960年代後半、アルフレッド・ライオンがブルーノートレコードを去った後は、同社にてプロデューサー、ディレクター的な役割も果たす。1990年代以降、クラブジャズシーンで「チリペッパー」や「ファントム」などに光が当たり、再評価される。
代表作は『テンダー・フィーリングス』『プレイリー・ドッグ』『スウィート・ハニー・ビー』『ライトタッチ』『ファントム』など。
僕は新宿のディスクユニオンジャズ館で、中古のCDを漁っていた。ジャズ・ピアノの棚のDの欄を眺めていて『イントロデューシング・デューク・ピアソンズ・ビッグバンド』を手に取った時に、後ろから黒い手がすっと伸びてきた。
えっ、と思って振り向くと、今手に取ったジャケットと同じ顔が。ひょろっとした顔のあの人がいる。ははぁ、もうこのパターン、慣れてきたぞ。ようこそ、デューク・ピアソンの霊。
アイク・ケベックさんの次はデューク・ピアソンさんかぁ。アイク・ケベックさんが1963年に亡くなって、その後をピアソンさんが引き継いでブルーノートレコードのA&Rの仕事をしていたというつながりからかな?ピアソンさんも1980年に亡くなっている。だからこそ霊として21世紀の僕とも、こうやって会えるわけだが。
ピアソンさんは僕の顔を見つめて、にやっとした。
「私がいちばんやりたかったプロジェクトだったんですよ、これ」例によって脳内に直接響く声。
「ビッグバンド!これはアレンジャーとしては冥利に尽きる音楽ですよね、きっと」
本人が一番力を入れていた、というのだから、これは聞くのが楽しみだ。
「お呼びするの、ピアソンさん、でいいですか?」
「ええ、もちろん。デュークだと、誰だって、エリントンの方を思い出すでしょう」
「そ、そんなことはないですよ。あなたのファンだって多いですよ」
「とってつけたように、無理しなくても良いですよ。私にはそこまでファンはいませんから」
うーん。確かにピアソンさんのアルバム、大ヒットしたとかはなさそうだしなぁ。結構そういうこと、気にしぃなのかもしれない。
「ねえ、ピアソンさん、今このビッグバンドのCDを買ってきますんで、どこかでお茶でも飲みながら、ゆっくりお話ししませんか?」
「ええ、お話はもちろん私もしたいです。でも、霊なので喉は渇かない。もしよければ、音が出せる場所が良いですねえ」
「音が出せる?」なんてこった!ピアソンさん音を出す気なのか?でも、どこで?カラオケか?『ボーン・イン・ザ・USA』でも歌うのか?いやいや、それは違うだろう。
音を出したいって言うのは………ピアノの音を出したいってことだよな、ピアソンさんはグレートなピアニストなんだから。ここは新宿だ。確か僕が会員になっているリハーサルスタジオの新宿店がこの辺にあったはずだ。
アイフォンを取り出してすぐに検索して、電話をかける。しかしこういう場合は2名で予約すべきだろうか?デュークさんの姿はきっと見えるだろうから、2名の方が無難だな。
「ピアソンさん、ご希望通り、スタジオをとりましたよ。2時間で良かったですか」
「2時間も音を出せるんですね。幸せだ」ホントににっこり顔。音、出したかったんだろうな。
「すいません、グランドピアノの部屋は空いていなかったんで、アップライトピアノでもいいですか?」
「ピアノなら何でもオッケーですよ」
CDの会計を済ませた僕は、ピアソンさんと一緒にスタジオへ向かって歩き出す。
「僕のこと、グラント・グリーンさんに聞いたんですか?」
「ええ、そうです。アイク・ケベックもとてもよろこんでいたし、もちろんハンク・モブレイも」
「ええ!じゃあ僕が会ったジャズマン霊全員じゃないですか」
「今、あなたはジャズマン霊の間では、結構話題ですよ。ちゃんと話を聞いてくれるいいやつだって。みんな寂しいんですよ」
「まぁ、いいやつかどうかはアレですけど、でも、ジャズファンにとって好きなミュージシャンと話ができるなんて最高じゃないですか。そりゃいくらでも話したいですよ」
しかしピアソンさんの話通りだとすると、これからもジャズマン霊が僕の元にやってくるってことか?まぁ、色々な話が聞けるし、こんな体験できる奴がそうそういるとは思えないからいいか。少なくとも迷惑なことはなにもない。
「でも、僕よりもピアソンさんやジャズ全体に詳しい人なんて、この世の中にたくさんいると思うんですけど、なんでまた皆さん僕なんかと?」
「さぁ、なんででしょうね。でも、私もあなたとお話がしたくて、こうして姿を現したんですから、それでいいじゃありませんか。それに詳しいからって、その人を好きかどうかはまた別の問題です」
ひょー嬉しいこと言ってくれるね。
「しかし、日本は町中でも自動販売機が多いですね」
「そうですね、缶ジュースとか色々なものを売っていますよ」
「アメリカでは大体店の中にしかないですよ。壊されて盗まれてしまうことが多いですからね」
「そういいますね。日本は割と治安はいいので」
ピアソンさんはひょろっとして背も高いので、歩くのも結構早い。
「待ってくださいよ、ピアソンさん、早いっす、歩くのが」
「ああ、すまないですねえ。久々に音が出せるかと思うとつい」
そりゃあそうだろうなぁ。分かります、その気持ち。早歩きにもなるでしょうとも。
いよいよ、スタジオに着いた。指定されたA3スタジオの扉を開け、僕が照明をつけるよりも早く、ピアソンさんはアップライトピアノに一直線。
しかし、ピアノの前に立ち尽くしている。
「すいません、大事なことを忘れていました。私は今、ピアノを直接弾くのはおろか、ピアノの蓋を開けることもできないんです」
「蓋くらい開けますって。あらよっと」
「ありがとうございます。しかし、せっかくピアノを前にしても弾けないんですよ」
「なんで?ひょっとして、それは霊だからですか?」
「ええ、もちろんそうです」
「でもハンクさんやアイクさんは、お茶とか珈琲とか飲んでましたけど」
「それはそんな風に見える映像を、あなたや周りの人の脳に送り込んでいただけです。あなたは気づかなかったかもしれませんが、カップの中の珈琲は減っていなかったはずです」
なんと!そうだったのかぁ!
「でも、私は本物のピアノを弾きたい。この手で弾きたい」
うつむいてしまうピアソンさん。
「そうかぁ、それはきびしいですね。僕もピアノはほとんど弾けないから、指示してもらって弾く、なんてこともできそうにないしな。代わってあげられたらいいのに」
うかつな一言ってのは、このことだった。顔を上げたピアソンさんの目がギラッと光った。
「今、代わって上げられたら、と、おっしゃいましたね」
なんだか食いつくような口調だ。ちょっと恐いぞ。ここまでは紳士的に話をしていたじゃないか。
「いしはらさん、あなたの体をお借りしても良いですか?」
「え、借りるって?どうやって」
何をする気だ、ピアソンさん。
「お借りします!」
えーー、まだ貸すとかいいですよとか、返事もしていないのに。
体の奥の方で、何かがぐるっとねじれるような感覚がした。それが上の方に来て、視界がぐるっと一回転した。そして脳みそを誰かに掴まれて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような。
「うわーーーーー!」と声を出したような気がして………
気がつくとピアソンさんは、僕の体の中に入っていた。いや、乗っ取られたと言った方がいいか。しかし紳士面して強引だなぁ。今までの3人はそこまでのことはしなかったぞ。
そして僕は、いやピアソンさんに乗っ取られた僕はピアノ椅子に腰掛けると、猛然とピアノを弾き始めた。凄い勢いで。端正なタッチが売りのピアソンさんとは思えない、ゴンゴンと弾きまくる………
30分は弾きっぱなしだったか。僕はギターは弾けるけれどピアノは弾けないから、たとえ体を乗っ取られたからとは言え、30分ピアノを弾き続けるのは初めてだ。疲れはしないけど、手の甲や手首がちょっと変な感じ。そりゃそうだよな、いきなりプロのピアニストの手になっちまったんだもの。ついて行けなくても無理はない。
「なかなか妙なものですね、自分の体が動いているのに、自分の意思とはまったく関係ないってのは」麻酔がかかったようにちょっとぼんやりした状態。そして少し上から自分を見下ろしているような感じ。ひょっとして今、幽体離脱ってやつなのか?
「本当に申し訳ない。私の勝手でこんなことをしてしまい」
いやぁ、今までで一番紳士な感じの人(いや霊だ)なのに、一番強引とは。
「すっきりしましたか?」
「ええ、とっても」
「そりゃあよかった。今弾いていたのは、即興ですか?」
「そうですね。スタンダードもちょこっと混ぜましたが、ほとんどアドリブで」
ジャズピアニストなのだから即興で長時間弾けて当たり前なんだけれど、30分アドリブしっぱなしとは相当たまっていたんですね、ピアソンさん。
「ははは。そうですね。なんと言っても死んで以来だから、ほぼ40年ぶりか。そりゃあ、弾きたいネタもたっぷりとありましたからね」
「ああ、今の演奏、僕はついて行くのが精一杯で、音の方をほとんど覚えていない。弾きまくったという印象しかないなんて」よく分かっていない楽器を人に操られて弾く、ってつまりはこういうことなんだろう。
「ところでピアソンさん、あなた、こんなにピアノを弾き倒すくせに、ピアノメインのアルバム、意外に少ないですよね。ファンのみんなも、もうちょっとあったらと思う人も結構いると思うんです。もう少しピアノトリオのアルバムとかも、作っても良かったんじゃないですか?」
「作曲やアレンジの方が好き、というのも大きいですけど」
「でも、それだけじゃないですよね」
「実は私、自分のピアノにそれほどの自信が持てなかったんです」
マジか?あんなに良いのに!
「ええ?デビューアルバム『プロフィール』のピアノトリオだって、素晴らしいじゃないですか。あれを好きという人も多いはずですけど」
「私は子供の頃からピアノも弾いていたし、トランペットも吹いていました。でも、プロの音楽家に、なんてことを考えて、本格的にピアノを弾き始めたのは実は20才近くなってからなんです」
「割と遅いですね」
「ええ、やっぱり子供の頃から本格的に弾いてきた人とは違いがある」
「そうかもしれませんけど、でも音楽の良さはテクニックだけじゃないでしょう。それにそういう意味でのテクニックも充分に持っていらっしゃるのでは?」
「そうなんですけどね。分かってはいるんですけど」
ピアソンさんの音楽的な基準は、おそらくものすごく高い。耳だっていいはずだ。そういう人だからこそ、素晴らしいアレンジや作曲ができるし、また自分の演奏に不満を持ってしまうのかもしれない。でも個性的な、ピアソンさんにしか弾けないピアノなのに。
「ピアノトリオという形では、最後に作った『メリー・オール・ソウル』は結構納得しています」
「ああ素敵ですよね、あれ。ドラムのミッキー・ローカーさん、ベースのボブ・クランショウさんと一緒にやった奴ですね。」
「彼らとはバンドだという意識を持っていましたからね。60年代半ばからずっと一緒でしたし。ホーンやリード楽器のメンバーが代わることはあっても、彼らと私は常に一体。だからこその私の音楽だったから」
「そうですよね。もうあうんの呼吸というか。曲はいわゆるクリスマスソング、スタンダード主体ですけど、三人の押し引き、からみ方。最高じゃないですか。バンドサウンドとしてすごいですよ」
「そうですか、嬉しいですね」
「ローカーさんの切れ味のいいドラムが、よりいっそうピアソンさんのピアノのかっこよさを引きだしていますよね」
お互いを熟知していて、でも予定調和には収まらない瞬発力もある演奏。スリルとリラックスが同居しているアルバムなんて、そうそうない。
この会話の間中、ピアソンさんの姿は見えず、脳内に声だけが聞こえる。なにせ体を乗っ取られているので。自分の声もどこか別なところから出ているみたいで、不自然なことおびただしい。でも、ピアソンさんに目の前で、というか同体で(?)ピアノを弾いてもらえるなんて普通だったらあり得ないことなのだから、もうちょっと弾いてもらおうかな。
「ねえ、ピアソンさん。リクエストしていいですか?」
「そうですね、せっかく体をお借りしているのだから、それくらいはもちろん」
「あ、録音もしていいですか?」
「いいですよ」
僕はアイフォンを録音モードにして、ミキサーの上に置いた。こりゃ宝物じゃないか。ふふふ。
「ピアソンさんの曲で好きなのたくさんあるんですけど、スウィート・ハニー・ビーが最初に好きになった曲なんです」
「おおお、懐かしいですね。あの曲の入ったアルバムジャケットは………」
照れたような声のピアソンさん。
「ええ、ピアソンさんと奥さんでしょ?」
「ふふふ」
「照れなくたっていいじゃないですか。可愛い方ですよね、ベティさん。あのジャケットはなんかピクニックにでも行って撮ったみたいで、とてもいい感じです」
照れくさいのを打ち消すかのように、急に弾き出すピアソンさん。ああ、本物が僕の体を乗っ取って弾く、「スウィート・ハニー・ビー」
また、この曲のテーマメロディが可愛いんだ。可憐というか。ジャケットのイメージ通り。幸せいっぱいの音。
アルバムのテイクではフレディ・ハバードさんを始め3本のホーンと、ピアノトリオという6人編成だけれど、ピアノだけで奏でられる、とってもシンプルな「スウィート・ハニー・ビー」音の隙間もまた気持ちいい。
1966年12月7日のルディ・ヴァン・ゲルダースタジオの中では。
彼女に振られたばかりのフレディ・ハバードが、ジョー・ヘンダーソンにぼやいていた。もちろん、デューク・ピアソンに聞こえないように。
「今のオレに、こんな甘いハッピーですっていうテーマを吹けって言うのかよ、チクショウめ」
「フレディ、まぁそう言うなって。甘いメロディだから、お前はちょいと辛いスパイスを振りかけてやればいいさ。隠し味ってもんだろ」と、ジョー・ヘンダーソンが返す。
「へえ、あんたはオトナだよな」
「さあ、本番だぜ」
フレディのトランペットが、ハードボイルドに響くのは、そんなナマな理由があったのだ。
「ねえ、ピアソンさん」弾き終わった彼に声をかける。
「この曲はきっと、奥さんのことを曲にしたんですよね。あるいは曲に託したラブレターとか」
「ま、まぁいいじゃないですか」弾き終わってもまだ照れているピアソンさん。図星だろうな。っていうか、ジャケットは笑顔の二人で、こんな甘い曲調だったらそりゃみんな思いますよ。このアルバムには夜の匂いも悲しみもない。幸せな午後の音。
「あの頃は幸せだったなぁ」
過去形か。まぁそうだよなぁ、既に死んでしまっているし。でも、こんな絶頂期があったのだから、それはそれで良かったのでは。
「ピアソンさん、この曲、と言うかアルバム全体がそうなんですけど、この頃のピアソンさんの曲やアレンジって、妙に昭和感があるというか、凄く日本っぽく感じることがあるんです。日本にはムード歌謡なんて言われる音楽もあるんですけど、そのムード歌謡にも通じるというか。あるいはルパン三世か。ピアソンさんって日本に来たことはありますか?」
「いや、今日が初めてですよ。生きている時は一度もない」
「じゃあ日本人の知り合いは?」
「あの頃はアメリカに来る日本人も多くはなかったですからねえ。知り合いはおろか、町で見かけたのだって数えるほどしかなかったと思いますよ」
「そう…ですよね」
ピアソンさんがマイナーなメロディを展開させる時に、折に触れて顔を出す昭和感。いわゆる歌謡曲などでは、マイナーペンタトニックという5つの音が多用されるのだけれど、ピアソンさんのチャーミングな曲にも、このペンタトニックの音は良く出てくる。
「でも、私は色々な国の音楽が好きだったし、結構ジャズ以外の音楽のレコードも聴いていましたからね。まぁ、仕事柄ちょっとは研究したというか」
しかしこの親しみやすいテーマメロディ。しかもちょっと和風。なんで当時の日本でヒットしなかったのか不思議だ。
「日本の音楽に影響を受けたか、ということで言えば、多分ないと思います」
「なんだ、残念」
「無意識のうちにどこかで聴いて影響を受けた、ということはあるかもしれません。でも日本のものと分かって知っていたのは『荒城の月』と『スキヤキ(上を向いて歩こう)』くらいですから」
1960年代と言うことを考えれば、まぁそういうものだろう。
「そろそろ、あなたの体の中から出ますね」
「ピアノ、もういいんですか?」
「ええ、たっぷり弾きましたし。それにあんまり長くあなたの体を借りていると、今度はあなたが戻れなくなりますから」
「え、どういうことですか?」
「生きた人間の体を3時間以上借りていると、人間の方が向こう側に行ってしまうのです」
「向こう側って、つまり………」
「ええ、ご想像の通り」
マジかぁ。今、体を貸して何分経った?
「安心してください。まだ1時間ですから」
ピアソンさんはすっと僕の体外に出た。CDジャケットでなじみ深いひょろっとした姿で。
「体の外へ出るときは、入る時ほどの変化はないんですね」
「そうみたいですね。いずれにしても堪能しました。ありがとうございます」
まだ、帰らないですよね?もう少し話しましょうよ。スタジオもまだ1時間くらいはいられますし。
「もちろんですよ。私も話し足りない気分です」
「ああ、よかった。しかし、ピアソンさんの作るメロディはどれも美メロですよね」
「私は覚えやすい、親しみやすいメロディが好きなんですよ」
「僕も同じです。でもジャズの場合、小難しいメロディやよく分からないアドリブなんかもありますよね」
「そうですね。だからこそ私は作曲や編曲が好きだったのです。バンド全体を一つにして美しい世界を表出させる」
ピアソンさんの曲は、ハイセンスだけれど、意味不明の小難しいメロディはない。
「こう見えても、美意識ってやつは高いポジションに設定していましたので」唇の端をあげて笑うピアソンさん。そこにはプライド持っていたのだろうなぁ。
「ねえねえ、ピアソンさん。音に対するこだわりは相当強かったですよね。オレが気持ちよく弾ければ後はよしなに、って言う風には絶対に聞こえませんし」
「それはそうですよね。後にずっと残るものですし、録音は」
でた!職人気質。いや、プロデューサー気質。
「そのメロディに対して、どのコードを当てるか、どの音をトップに持ってくるか。どの楽器にリードを吹いてもらうか、ちょっとの違いが大きな変化になって表れますからね」
ピアソンさんは、1967年にブルーノートレコードの創業社長アルフレッド・ライオンが引退した後は、プロデュースなどもライオンさんに代わって手がけていた。ブルーノートでA&Rをやっていたアイク・ケベックさんが亡くなった1963年頃から、手伝い的なことは既にやっていたようなのだが。
ライオンさんと共に創業メンバーであるフランシス・ウルフさんもプロデュースはしていたけれど、彼もミュージシャンではない。自ら現役バリバリのピアニストであり、作曲家、編曲家でもあるピアソンさんがプロデュースを手がけたものには独特の香りがある。
「それが良くなかったのかもしれませんね」
「えええ!なんでですか?僕もピアソンさんのアレンジやプロデュースを、全部聴いたわけではありません。でも、あなたのセンスで編曲されてより良くなったものは、たくさんあるはずです」
「そうだといいんですが。でも、現実問題としてアルフレッドがいなくなって、私がプロデュースを担当するようになってから、ブルーノート全体の売り上げがだんだんと落ちていったし、新しい才能の発掘もそれほどはできなかった…」
「いや、でも。60年代後半ってジャズ全体の人気が落ちていった時で、なにもピアソンさん一人のせいではないでしょう。それにあなたは、そんな中でも素晴らしい作品を作り続けていたわけですし」
「ふふふ」淋しげに笑うピアソンさん。
「たとえばハービー・ハンコックさんの『スピーク・ライク・ア・チャイルド』あのアルバムはピアソンさんのプロデュースですよね?」
「ああ、そうですよ」
「あの曲のホーンのアレンジ、あれもピアソンさんですよね?」
「よくわかりますね」
「そりゃ音の並びを聴けば分かりますよ。それにあの頃のハンコックさんは、あそこまでアレンジを決めることはあんまりしなさそうだし」
「それが良かったのかどうか」
「そんな過去の仕事を否定しないでくださいよ。あれは素晴らしいアレンジです。ハンコックさんの曲の良さとピアノのリリシズムみたいなものを、最大限に引き出しているじゃないですか。あの曲で好き勝手にホーンがアドリブしまくっていたら、少なくともあの静謐な素晴らしさは消し飛んでしまいますよ。過去のご自分の素晴らしい仕事を卑下しちゃダメですよ」
と言いつつ僕は、一枚のアルバムを思い出していた。
グラント・グリーンのアルバム『アイドル・モーメンツ』だ。このアルバムにはピアソンさんがピアニストとして参加している。曲も2曲提供している。全4曲のうちの2曲だから半分だ。
このアルバムは1963年の制作だからまだアルフレッド・ライオンがプロデュースをしているけれど、さっき言ったように手伝いは始めている頃だ。そしてこのアルバム、音楽的な部分で仕切っていたのは、リーダーのグラントさんではなくピアソンさんの可能性が高いのだ。
なぜなら。
ソロはもちろん、主役のグラントさんがたくさん弾いている。にもかかわらず、アルバムから、楽曲から漂ってくるのはピアソンさんの匂いなのだ。
言うまでもなく、このアルバムは素晴らしいアルバム。名盤として評価されている。ただ僕には、時にこのアルバムがデューク・ピアソンのアルバムでグラント・グリーンが客演、と思えてしまう時がある。別にピアソンさんは出しゃばっているわけではない。ピアノをガンガン弾くタイプでもない。にもかかわらず、その場を支配してしまう音楽力。ちなみにグラント・グリーンとデューク・ピアソンの共演はこのアルバムしかない。
この傾向はピアソンさんを見いだした人である、ドナルド・バード(ピアソンさんのレコーディングデビューは、ドナルド・バードの名作『フィエゴ』だ)のピアソンさん参加アルバムでも感じることがある。『バード・イン・フライト』とかね。これはドナルド・バードのというよりデューク・ピアソンのアルバムだな、って。
激しくは主張していないのに、存在感は強い音を生み出せる人なのだ。全体を染め上げる自分の色を持っている。
「アルフレッドはミュージシャンではないけれど、高い美意識と見識とジャズに対する深い深い愛情がありました。きっと私よりも全体を見ていたし、ミュージシャンではない分フラットに音楽そのものを聴いていたと思います。
私はミュージシャンだからこそ、アレンジャーだからこそ。自分なりの音使いや音作りのルールみたいなものがありました。それゆえに、そこから大幅にはみ出すような音楽は、善し悪し以前に許容できなかった。もちろんプロデューサーとして、アレンジャーとして、その幅が狭かったと思わない。でもアルフレッドにはかなわなかった。今にして思えば、ですがね」
そのピアソンさんの色が、抑えても出てしまうところが素敵なところでもあり、でも時と場合によっては、そのミュージシャン本来の持ち味を変えてしまった。そういう時もきっとあったのだろう。
でも、それはそれで良しとしませんか、ピアソンさん。だって僕はそんなピアソンさんが生み出す音が、大好きだから。
「ところでピアソンさん。僕、1968年のあなたのアルバム『ファントム』も大好きなんですが、特にあのタイトル曲、それまでのピアソンさんの曲の傾向と比べると、ちょっと異質ですよね。」
「あれはね」
「ええ」
「あの時一番やりたかったこと」
その答えを聞いてにやりとしてしまった僕。そうでしょうとも。
「あれ、サイケデリックをやりたかったんですよね?」
「私は好きな音楽、たくさんあるんですよ」
「ドアーズとか、グレイトフルデッドとか、それにリボルバーの頃のビートルズとか。匂いますよね」
「ばれましたか。そこにマーティン・デニーなんかのエキゾチックサウンドを混ぜて、ジャズで炒める」
「やっぱりそうでしたか。あれ、麻薬的な陶酔感ありますよね。結構演奏時間長いのに。あの空間に浸っているとあっという間に終わってしまいます。ああ、終わらないでって思います」
「ええ、私は麻薬はやらなかったけれど、あの浮遊感としか言いようがないサウンドが作れた時は、やった、と思いました。もちろんそれまでのジャズにだって、そういう要素のある曲や演奏はありました。でも、そこに焦点を当てて浮遊感や陶酔感そのものを曲にしたジャズは、あまりなかったんじゃないでしょうか」
「あなたの狙い通りに、僕はあの曲でたっぷり浮遊させてもらっています。最高のドラッグミュージックですね。しかも抑えめが魅力のピアソンさんにしては、アレは全開です。」
「ははは。全開とは。あれはあの1968年でなければ、出せない音楽だったかもしれませんね」いたずらっぽく笑うピアソンさん。
「あのアルバム、レコード番号で言うと『ファントム』の一つ前が、あなたの恩人ドナルド・バードさんの『スロウ・ドラッグ』ですけど、あれもわざとですよね?わざと連番にした」
「君もあの手の変な音楽が好きなんだね(笑)」
「ジャケットの雰囲気というかテイストが似ていますし、タイトル曲の妙にダルなループ感というか。音楽の傾向は似ているというほどではないけど、でも印象はなんとなく相通じるものがあります。あれは二枚で対になった作品ですね?それが制作時期はちょっと離れているのに、レコード番号をわざわざ連番にした意味かと」
「まぁ結果的にああなりました。狙って作ったわけではないけれど、でも、いざアルバムを出そう、って時に『ファントム』と『スロウ・ドラッグ』を対に見えるようにしてもいいかな、というのは仕掛けましたよ。まぁ、分かる人だけ分かればいいと思ったけれど、日本にもいたんですね。面白いですね」
ここはいしはら、ドヤ顔です。やったぁ。なんか嬉しいぞ。
ピアソンさんの音楽は全体に繊細だし、細かいところまでよく気を配られている。でもそのくせ、曲の奥底を支えるグルーヴは太い。そして黒っぽい。
1967年のアルバム『ライト・タッチ』に収められている「チリ・ペッパー」や「ロス・マホス・オンブレス」などを聴くとよくわかる。テーマリフがめちゃくちゃカッコいい。それを支えているのは、黒々としたブルージーな空気と、程よく整えられたアレンジメント。気持ちよくうねるグルーヴ感。程よい粗さもあるホーン奏者の勢いと対になっていて。
この程よく、が肝だ。そしてピアソンさんのセンスだ。決め決めにしすぎない。やりすぎない。まとめすぎない。繊細さと太いグルーヴの同居。仕掛けた音と その場の勢いの幸せな同居。
このバランス感覚こそがピアソンさんの凄さでもあると思う。なんにせよ、凄みの一つもなければビッグバンドなども運営できないし、そうそうたるクセ者ミュージシャン達もついてこない。
そして、そこはかとなく漂う「ルパン三世感」
もちろんルパン三世の方が、これよりも数年後だから、話が逆立ちしているのだけれど。昭和の日本にこそぴったりな、でも矛盾するようだけど、今聴いても古さを感じさせないエバーグリーンな音楽。日本でこそ、もっと受け入れられていいと思うのだけれど。
ピアソンさんはけっして、これ見よがしな演奏やアレンジはしないし、いつも空間を残してくれる。
速さには「小気味良さ」があるけれど、遅さや少なさには「優雅」が含まれる。
詰め込んだ音には満腹感はあるけれど、それが豊穣につながるかどうかはまた別の話。
いい感じのデコボコがある音楽。隅から隅までコントロールしきって消毒したような音楽はピアソンさんの趣味じゃない。
ところでピアソンさん、なんでブルーノートをやめちゃったんですか?
「なんでと言われても。私も辞めたくて辞めたわけではありません。
フランシス・ウルフが亡くなって、ブルーノートが本拠をロスアンゼルスへ移した時、経営陣も大幅に変わりました」
「なるほど、上が変わると色々影響出ることありますよね」
「そこまで、ブルーノートの売り上げは下降線を描いていたわけです。音の方を仕切っていたのは、ほぼ私でしたから、つまりはデューク・ピアソンが戦犯だ、と思われたのではないでしょうか。要するに辞めさせられたんです」
そうだったのか。でも、確かに素晴らしい音作りが、イコール売り上げにつながるとは限らない。ピアソンさんは素晴らしい音楽を作るけれど、商売人としての才覚はあんまりなさそうだ。
「そういう意味ではクインシー・ジョーンズは素晴らしいですね。良質な音楽と売り上げとをどちらもモノにしていたのですから。
まあ、彼は私の3倍くらい働いていましたからね。そこも大事なところ。私はちょっと体も弱かったので、仕事量自体もそこまではバリバリできなかったし」
「クインシーさんも素晴らしいですが、ピアソンさんの素晴らしさだって負けちゃいませんよ」
「まあまあ、音楽は勝ち負けではありませんから」
うーむ、クインシー・ジョーンズも僕は好きだけれど、彼の大成功ぶりを70年代以降のピアソンさんにも分けて上げたい。失礼かな、そんなこと思うの?
「やめる時、まあ、ここからは下り坂かもな、とは思いました。自分が流れから取り残されているかも、と自覚するのは結構怖いモノです。でもね」
「でも?」
「下り坂と分かっていても、その道を進んで行かなきゃいけない時もありますからね」
しかしブルーノートをやめる時点で、そんなことを思っていたのか。でも、まだ30台後半。老け込む歳ではないじゃないですか。
「時代もいわゆるクロスオーバー・フュージョンに向かっていて、それも今ひとつ私にはピンとこないスタイルでしたし。でも、一番大きいのは、ああ、何かが終わったんだな、と自分で思ってしまったことかもしれませんね。」
そんな、ピアソンさん。
ピアソンさんはその後、自分の故郷のアトランタにあるクラーク大学で音楽の教鞭を執る。音楽の現場の仕事としては、ジョー・ウィリアムスなど何人かのシンガーの歌伴をやっていたことくらい。
その時だってきっと幸せだったと信じたい。
でも1960年代に残したピアソンさんの、きらめくような音作りを知っている僕は「その先」にあったはずの音楽も聴いてみたかった。
「私は多発性硬化症を患って死に至りました」
「はい」
「この病気についてご存じですか?」
「いえ、名前だけしか」
「私も自分の症状でしか語れないのですが、私の場合、視覚障害、運動障害、という形で症状が現れました。つまりはピアノが弾けない。楽器が演奏できない状態がしばらく続いて、そのまま寝たきり」
僕は返す言葉もない。
「でも私はもっと音楽を作りたかった」
「そうですよね」
頷くだけしか、当たり障りのない返事しかできない自分が腹立たしい。
あ、そうだ。
「ピアソンさん、ちょっといいこと思いつきましたよ」
「なんでしょうか?」何を言い出すんだ、この男はという顔で僕を見る。
「さっき、3時間以内なら体を貸しても大丈夫、とおっしゃいましたよね?」
「ええ、でも絶対大丈夫かどうかはなんとも。でも、多分」
多分か。まぁいい。
「ピアソンさん、これから僕の家に行きましょう。そこであなたに体を貸します。今はコンピューターって便利なもので、一人でも音楽作れちゃうんですよ。
もちろん素晴らしいプレーヤーと一緒にやってたピアソンさんには、物足りないかもしれません。でも、一人でアンサンブルも作れちゃうんです。ちゃんと音源として残せるんです。やり方は僕がお教えします。そして体を貸します。そこから3時間以内にあなたの音楽を作ってください」
「いしはらさん………いいんですか?もし私が音楽に夢中になって3時間経つのに気がつかずにいたら、大変なことになるのですよ」
「えーっと。そこは気をつけていただくとして。すいません、僕のエゴなんです。ピアソンさんが今作る音楽をどうしても聴きたくて」
「いや、私の方こそエゴの塊です。もうとっくに死んだというのに、まだ音楽を作りたいだなんて」
「いいんですよ、ピアソンさん。だってあなたは天才ですから。世に天才は何人かいるかもしれませんが、僕が体を貸してでも続きを聴いてみたいのはあなただけですから」
「ははは」力なく笑うピアソンさん。
「私はそこまでの男じゃないって。買いかぶるのもいい加減にしてくれ。それに私のエゴで君の命を奪うことにもなりかねないんだ。まっぴらごめんだよ」
聞いているうちに何かが僕の中でムクムクと膨らんでいく。
「なんだよ!」思わず大きな声が出る。
ちょっとビクッとするピアソンさん。
「さっきは自分がピアノを弾きたいってだけで、オレに断りもせず勝手に体を乗っ取ったじゃないか」
「そ、それは」
「いいんだよ、あんたの音楽が聴きたいだけなんだ。デューク・ピアソンの音楽をもっと聴きたいだけなんだ。オレの勝手な都合なの」
「いしはらさん、落ち着いて」
「だからさ、つべこべ言わずにオレの家に来いよ。オレの体を貸すから、オレが向こう側に行く前に、3時間以内にあんたの素晴らしい音を形にするんだ。あんたなら簡単だろ?そんなこと」
唇をかんでうつむいてしまうピアソンさん。済まない、今のオレ変だ。でも止められないんだ。
「それで、少なくともあんたとオレはハッピーになる。オレとあんたのエゴは満たされるんだからいいじゃないか」
ピアソンさんは顔を上げた。
「やれやれ。わかりました。分からず屋の偏屈同士が顔を合わせていたって訳ですね。考えてみたらありがたい申し出だ。行きましょう、あなたの家へ。甘えますよ、あなたの気持ちに」
スタジオから僕の家まで30分。電車に乗っている間、ピアソンさんは音楽の構想を練っているようだった。彼の邪魔をしないよう、話しかけたりもしなかった。
家に帰るなり、音楽部屋に案内してDTMソフトを立ち上げ、コンピューターや機材の使い方を説明する。そして僕が向こう側に行ってしまわないように、2時間45分後の午後7時に目覚まし時計をセットする。
「さあ、どうぞ、ピアソンさん。僕の体をここからレンタル致しますので、どうぞご自由にお使いください」とエラそーに目の前の彼に告げる。
ピアソンさんは、にやっと笑ってうなづく。
体の奥の方で何かがぐるっとねじれるような感覚がした。それが上の方に来て、視界がぐるっと一回転した。そして脳みそを誰かに掴まれて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような。
「うわーーーーー!」と声を出したような気がして………僕は気が遠くなる寸前に思ったよ。ピアソンさん、頼むぜって。
目が覚めたら、室内は真っ暗だった。パソコンだけが皓々と光っている。机に突っ伏して寝ていた、というか気を失っていたようだ。僕は僕に戻っている。僕の体内にも、近くにもピアソンさんはいない。そして僕は生きている。
目覚まし時計を見ると、もう午後8時だ。あれ、目覚ましをセットしたはずなのに。目覚ましベルのスイッチを見ると切ってある。ははぁ、ピアソンさんが切ってくれたんだ。
パソコンの画面を見る。曲はちゃんと録音されているようだ。6つほどトラックを使ったようで波形が綺麗に並んでいる。曲の長さは3分18秒。この演奏時間で3時間の作業。6トラックなら、相当早い。
「やったね、ピアソンさん」
ちゃんと曲名も打ち込んである。もちろん日本語で。
「さあ、デューク」だってさ。おいおい、スティービー・ワンダーがデューク・エリントンに捧げた曲のもじりかよ。今時このネタの意味、分かる奴いないなぁ。
パサッと紙が落ちた。拾ってみると手書きの文字が書いてある。
「無理を言ってしまったね。2時間40分でできたよ。君を死なせたらシャレにならないからね。曲名はこれからも作り続けるぞ、って言う気持ちを込めてつけた。ここからだ」
ここからって、まだ来るつもりですか?ピアソンさん。あるいは僕みたいなおっちょこちょいを見つけて、体を乗っ取るつもり?まぁ、でも創作意欲に溢れる幽霊なんてのは、世のためになるのかもしれないな。大歓迎だ。
さあ、デューク。行きましょう、ここから。
僕はカーソルを曲の先頭に戻して、リスニングスタートのボタンを押した………
了
長い物語を、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
勝手にジャズ妄想ストーリー
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その2 「野生の緑~グラント・グリーンのしつこい魅力」は こちらから読めます。 最高のグルーヴを聴かせるギタリストの物語
その3 「遺作なのにエロいってどういうこと!?~アイク・ケベックのたくましさ」は こちらから読めます。 彼は『男』だ!骨太の音と山あり谷あり人生。