遺作なのにエロいってどういうこと?~アイク・ケベックのたくましさ 一挙掲載 | 音楽でよろこびの風を

音楽でよろこびの風を

世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

よろこび製造所へようこそ!

相模の風THEめをとのダンナ

いしはらとしひろです。

 

先週4回にわたって掲載した、勝手に妄想ジャズストーリーの第3作目。

「遺作なのにエロいってどういうこと?アイク・ケベックのたくましさ」を ノンストップ一挙掲載です。

じっくりと楽しんでくださいませ。

 

 

遺作なのにエロいってどういうこと!?

アイク・ケベックのたくましさ

 

勝手に妄想ジャズストーリー③

 

 遺作というものがある。

 音楽の場合であれば、生前最後に残した作品、アルバム、となるだろうか。ただ、最後の作品を作って、実際に亡くなったのはその何十年も後、と言う場合は、最後の作品ではあるかもしれないけれど、遺作という感じはない。

 その人が現役で活動しているにもかかわらず、その作品を作ってちょっと後に亡くなった場合、と限定して良さそうだ。

 特に本人が、「自分は間もなく死ぬかもしれない」と自覚していて作り、そしてそれが遺作になってしまうような場合は、作る方も渾身だろうし、聴く方もそこに「死を覚悟して作ったのだ」ということだけで、涙腺をあらかじめ緩ませてしまったりする。

ウォーレン・ジヴォンの『ザ・ウィンド』やデビッド・ボウイの『ブラックスター』などは、そういう作品だったと思う。闘病しながら、自らの死を予見しつつも最後の力を振り絞って作った音楽。

 もちろん音楽として素晴らしいのだから、それだけで充分なのだが、どうしても聴く我々は「死が近いのを自覚していて、それを乗り越えて作るなんて……」という想いや物語を載せてしまう。

 

 しかし、そんな聴き手の過剰な想いを、笑い飛ばしてしまう「遺作」もある。

 

 今時、存在自体が珍しいジャズ喫茶で一人紅茶を飲んでいた。町で買い物をしていて、ちょっと歩き疲れたなぁと思っていたときに、たまたま「ジャズ喫茶 ブルー」という看板が目に入ったのだ。たばこのヤニで茶色く染まった壁。これも今時珍しい。店内喫煙可。

 どうやらマスターひとりでやっているこの店の、隅のテーブルでお茶を飲んでいる。僕の知っている曲がかかっていた。ジャズは好きだけれど詳しくはない僕にとっては珍しい。

 アイク・ケベックの『ロイエ』。カウンターを見るとアルバム『ボサノヴァ・ソウル・サンバ』のアナログ盤が立てかけてある。ってことは、アルバムのA面は聴けるってことだな。しかし、このジャケットの女の人、色っぽいな。

 

 アイク・ケベック(1918~1963年)

 アメリカのジャズテナーサックス奏者。1940年代から活動を開始し「中間派』と呼ばれるスタイルで人気を得る。この頃のヒット曲には『ブルーハーレム』がある。

 キャブ・キャロウェイ楽団での活動の後、ブルーノートレコードとミュージシャンとして以外にもA&R、タレントスカウト、運転手などとして深く関わる。セロニアス・モンクやバド・パウエルをブルーノート社長のアルフレッドライオンに紹介したのも、アイク・ケベックである。

 1961年から自身のリーダーアルバムの録音も始まり『ヘヴィソウル』『春のごとく』『ボサノヴァ・ソウル・サンバ』などの名作を残すが、1963年にガンにより亡くなる。

 

 『ロイエ』いいなぁ。アルバムの一曲目。サックスの音が、軽く吹いているのに野太いんだよね。音色自体が気持ちいい。

 それでさぁ、曲もいいんだけど、ジャケットも色っぽいんだけど、演奏も色っぽいんだよ。いや、はっきり言ってスケベな感じ。サックスパートが終わってギターソロになったら、絶対女のケツ撫でてるね、この演奏っぷりから察すると。

 なんてことを考えていたら。

「この席、座らせてもらうぞ」と声がした。

 なんだよ、他にも空いている席あるじゃない。というか、はっきり言ってガラガラです。顔を上げると中年の黒人。ハンティングをかぶってジャンパーを肩に引っかけている。

あ、このパターンはひょっとして。

「アイク・ケベックだ。お察しの通り」

 うわお。アイクさんのアルバムを聴いているところに、本人が現れるなんて。ハンク・モブレイさん、グラント・グリーンさんに続いて3人目だ。もちろんアイクさんもとっくに亡くなっている。アイクさんの霊がやってきたんだ。

「アイク霊、なんて言うなよ」と言いながらアイクさんは笑う。

 このところ立て続けに僕の前に現れるジャズメンの霊は、僕の脳内に直接話しかけてくる。

「わ、わかりました。あの、なんか、飲みますか?」

「そうか、ここはカフェだからな。今、オレの姿はお前にしか見えていないし、声もお前にしか聞こえていない。みんなに見えるようにしていいか?」

「いいと思います。これからあなたと色々と喋ることになるんですよね」

「ああ、そうだ」ってことは、アイクさんの姿が見えないと、僕だけが独り言をべらべら喋っているように聞こえてしまう。

「みんなにも姿を見せて上げてください。そうすれば珈琲も飲めますよ」

「おお。久しぶりの珈琲。じゃあ、皆さんにも姿をお見せしてっと」

 アイクさんの姿がより立体的に見えるようになった。声は相変わらず脳内に直接入ってくる。マスターを呼び、珈琲を一つ注文する。マスターは自分の気がつかないうちに、客が席に座っているのをいぶかしく思わなかったのかな。

「日本にはこんな店があるんだな。古いジャズを聴かせながら珈琲を飲ませる店が」

「ええ、さすがに最近は少ないですけど」

「アナログ盤ってのがまた懐かしいな。音もいい音だ」

 そうでしょう、日本が誇るべき文化ですよ、これは。

「グラントから話を聞いたんだ。で、オレもちょいと話をしたくなってな」

やっぱり。まぁ、アイクさんはグラントさんとも共演しているしな。

「あいつのソウルフルな音は大好きだったね、オレも」

「ええ、僕も大好きです。ところでアイクさん。今かかってる『ボサノヴァ・ソウル・サンバ』、これ亡くなる直前に吹き込んだアルバムですよね」

「ああ、そうだよ」

 マスターが珈琲を持ってやってくる。アイクさんを横目で見ながら「砂糖とミルクはこちらに」と言って、すぐにテーブルから立ち去る。目の前に座っているこの人が、今かかっているLPの主人公だって気がついていないみたいだ。

「そりゃ、今ここでオレの顔が誰か、すぐ分かる奴はいないだろうよ」アイクさんは苦笑いする。

「アイクさんのお話、聞かせてください」

 アイク・ケベックは目をつぶって少し考えこんだ。

 

  

 オレは快調に車を飛ばしていた。リムジンの後部座席にはハンク・モブレイ、ポール・チェンバース、いつも愉快なピアノ弾きウィントン・ケリー、そして最近ではジャズ・メッセンジャーズで忙しくて、滅多に自分のグループ以外のセッションに顔を見せなくなったアート・ブレイキー。そして大事な楽器たちも。

 今日は2月だけど暖かい。行く先はニュージャージーのイングルフッドクリフにあるルディのスタジオ。ハンクをリーダーにしたブルーノートレコードのセッションで、これからレコーディングって訳だ。

 オレも吹くんだろって?

 いやいや、今日は違う。今日のオレは運転手だからな。古くからの知り合いには時々意外な顔をされるけど、今、ブルーノートレコードで働いている。レコーディングスタジオまでの送迎も大事な仕事の一つって訳だ。

 後ろじゃ、ウィントンがまたバカなことばかり言っている。みんな大笑いだ。あまりにもおかしなことを言ったのでオレも笑ってしまって、あやうくハンドルを変な方向に切るところだった。

「おい、ウィントン。面白すぎるよ、お前の言うことは。面白すぎて今、危うくお前さんたち全員を道連れにしちまうところだったぜ」

「ははは、アイク、すまないね。でもこのメンバーで昇天しちまったら、天国で凄いバンド組めるぜ。アイクも吹いてくれるよな?」

「ははは、オレも入れてくれるのかい?ハンクがいいっていうならいいぞ」

 ハンクも少しはにかんだように「アイクさんと一緒に吹けるなんて光栄です」なんて言う。

 スタジオの駐車場に着いて、みんなの楽器をおろしている時、ウィントンにそっとささやいた。「ハンクをリラックスさせてくれて、ありがとうな」奴はちょっとだけ気が小さいところがある。

「なぁに言ってるんだよ、オレはいつものまんま」と言いながら、ウィントンは軽くウィンクした。

 1960年2月7日、ルディ・ヴァン・ゲルダースタジオ。このメンバーで録音された音楽は「ソウル・ステーション/ハンク・モブレイ」と題されて世に出た。ハンクの一世一代の傑作アルバムだ。この仕事を通じて、こんな場面にもたくさん立ち会ってきたんだ。オレは誇りに思うよ。

 

 オレとアルフレッドの話になるかな、ここからは。

 ドイツからやってきてジャズのレコード会社「ブルーノートレコード」を立ち上げた、アルフレッド・ライオンと知り合ったのは1944年だった。まだ戦争中だぜ。オレはまだバリバリの若手。ブイブイ言わせていたよ。

 やつはとってもジャズが好きだった。そしてミュージシャンのことを尊敬している奴だった。いいか、これは音楽ビジネスをしている奴では珍しいことなんだ。

 ジャズのレコード会社を作るくらいの奴なら、そりゃあ、そこそこはジャズのこと好きなんだろう。だが、ミュージシャンの立場に立ってものを考えられる奴とか、その音楽をより良くするには、なんてことを考えて、きちんとレコードを作る奴はまれだった。まぁ言っちゃなんだが、しょせん金儲けの手段だったんだろう。白人が黒人のミュージシャンを録音する場合は特にな。

「このレコードを売るために、みんなが知っているスタンダードを三曲以上入れろ」なんてこと、アルは一回も言わなかった。それだけで分かるだろ?

 

 アルとは最初から気が合った。

 レコーディングの打ち合わせなんかで飯でも食おうなんて時でも、白人向けのレストランなんかじゃなくて、ハーレムのソウルフードを出すようなディープなバーなんかにも、平気でついてきたからな。

 お陰様でちょっとはヒットと言える曲も録音できたし(『ブルーハーレム』はヒット曲になった)、ミュージシャンとしての気持ちも満足させてもらったが、それ以外のことでもウマがあった。アルにしてみれば何かと頼みやすかったのかもしれない。

 40年代の半ばから自分のレコーディングをする傍ら、ブルーノートのことも手伝い始めた。タレントスカウトというか、A&Rというか。レコーディングにまつわるいろんなことも手伝ったり。録音したいメインのミュージシャンが決まったら、そのバックを務めるミュージシャンはオレが決める、なんてこともあったし。

 当時ブルーノートのレコーディングアーティストは、シドニー・ベシェやニューオーリンズ系のジャズなんかのクラシカルなジャズが多かった。もちろん素晴らしい音楽だ。でも時代はビバップに向かおうとしている。その辺の状況にはアルもフランシスも詳しくなかった。いわばオレが水先案内をして、彼らを新しい流れに導いたたんだ。

 セロニアス・モンクやバド・パウエルなんかを、アルフレッドに紹介したのもオレだ。バップの輝けるヒーローたち。

アルはオレのミュージシャンを見る目を全面的に信頼してくれていた。オレも自分で飛び入り歓迎オープンマイクなんてのを主催してたから、ミュージシャンには顔が広かったんだ。

 

 50年代の始め頃、キャブ・キャロウェイのバンドをやめたあたりから、演奏の機会が減ってきた。ちょうど西海岸のクールジャズなんてのが流行り始めた頃で、そのあおりでニューヨークじゃジャズの店もつぶれたり、食いっぱぐれるミュージシャンも増えてきてたんだ。あのケニー・ドーハムでさえ、一時はエンジニアとして就職してたって言うんだからな。

 

 アルの会社は上り調子だったけど、自分の音楽活動もイマイチだったせいで、なんとなく足が遠のいちまって。ブルーノートに顔を出す機会も減ってきた。

 その上。

 ただでさえ仕事が減っているのに、そんな時に麻薬に手を出しちゃったんだな。それでダメになったやつ、山ほど見てるのに。アルフレッドは麻薬には厳しい人だったから、余計顔を出しづらくなった。

 時々入ってくる演奏仕事や、まあバイトみたいなちょい仕事をするくらいで金だってギリギリだ。いや正直に言えば借金だってしていた。はっきり言って、だいぶ落ちぶれちゃったわけだ。

 たまにジャズクラブに顔を出しても、知らないミュージシャンばかりになってたしな。オレもこの凄い音を出している奴が誰か知らないし、向こうも当然、アイク・ケベック?誰?ってことだ。結構キツかったね。

 

 4年くらい超低空飛行を続けた後。やっとの思いでヤク中からも抜け出したある日、町でばったりアルに出会った。1958年の春先のことだ。最近どうしてる?って聞かれて、あのうそのう、なんてモゾモゾしてたら、一発で見破ったんだろうな。お洒落で知られていたオレが、身なりもちゃんとしてなかったし。

「もしよかったら、また、レコーディングしないか?」

「いや、最近あんまり吹いていないし、一緒にやるやつもいない」

 金もないヤク中の中年がレギュラーバンドを維持できるほど、世の中甘くない。

 当時はブルーノートがバンバン伸びている頃で、とは言っても社員をどかどか入れるほどの儲けがあるわけでもなくて。

「じゃ、ブルーノートの仕事を手伝ってくれないか。やってほしいこと色々あるんだ」

「いいのかい?」別に前もケンカ別れしたわけじゃないけど、少し後ろめたい。

「だってアイクは、なんでも気持ちよくやってくれてたじゃないか」

 へえ、そんな風に見てくれてたんだ。

 雲間からパッと日が射した。嬉しいじゃないか。オレはまた、アルフレッドと一緒に仕事をすることにしたよ。

 

 自分の演奏もしたいけど、あいつの役に立ちたかったんだ。

 

   タレントスカウト、レコーディングに関する諸々の手伝いや管理。以前と違って新たに加わったのはレコーディングの時のミュージシャンの送り迎え。つまりは運転手だ。ちょっとした雑用だっていっぱいやったよ。一緒に出荷するLPの検品なんかだってしたしな。

 レコーディング中に演奏的なところでメンバーが壁にぶつかったりすると、ちょっとアドバイスしたりなんてこともあった。

 一般企業に勤めていた経験のあるケニー・ドーハムなんかには「総務部長」なんて呼ばれたこともあったな。まあなんでもやることで、少しは役に立ったんじゃないかな。

 

 ミュージシャンの送迎は意外に面白かった。車の運転も好きだし。

 マンハッタンのどこかのホテルなんかで待ち合わせて、ニュージャージーにあるルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオまで送り届けるんだ。なに、車で30分くらいだからね

運転手を始めた頃、オレの中では新しい仕事の一つで、別に違和感はなかったんだが、前から知っているミュージシャンの中には「なんでお前が運転手やってんだ」と聞いてくるやつもいたよ。

 そうそう、ルー・ドナルドソンとバンドの若い連中を乗せた時なんかは、若いのが最初からオレをただの運転手だと思って、オレにちょっとえらそうな口をきいたんだ。そしたらルーが若いのを、ギロッと睨んで「いいか、このアイクはお前がオシメをしてる頃からな、お前の100倍は素晴らしい音を出してるんだ。口を慎め」

 また、よしゃいいのに若いのが「じゃあなんで運転手なんかやってるのさ」なんて口答えするもんだから、ルーに思いっきり頭をこづかれてたよな。ははは。

 でも大事な仕事だろ。ミュージシャンのスケジュールをしっかり管理して、待ち合わせ場所を教えて、前の晩は飲み過ぎるなよ、なんてことも言い添えて。で、ルディのスタジオに送り届ける。レコーディング前のミュージシャンはナーバスになってるやつだっているから、冗談の一つも言って場を和ませる。

 これでもなかなか気を使うんだぜ。レコーディングの現場でも、さっき言ったようにやることはたくさんあるしな。楽器やアンプのセッティングなんかも手伝ったし。その日のレコーディングがいい出来だと、オレも嬉しかったよ。

 

 ところでちょいと話が飛ぶが、お前、アメリカの医療費のこと知ってるか?馬鹿高いんだよ。

 日本みたいな国でやってる保険もなくてな。いや、なくはないんだけど、その保険自体も結構高い。当時の金持ちでない普通の黒人で、そんな保険に入ってるやつなんて、ほぼいなかったよ。なんでそんな話をしたかって言うとなぁ。

 

 ブルーノートはジミー・スミスやホレス・シルバーやアート・ブレイキーが売れてたおかげで、順調に伸びていった。オレも忙しかったよ。

そんな忙しい中、1961年の夏の終わり頃。ちょっと胃の具合が変だったんで、医者に行った。胃は大したことなかったんだけど、肺にガンがあるのが見つかってな。

 でも、当時の大して金も持っていない黒人が、手術を受けるなんて結構大変なことだった。医療の技術だって今と比べたらアレだ。薬とかだって今よりはずっと少なかったろう。

 何度か通ううちに、こりゃダメかもな、と思うようになった。そんなの医者の口調とかを聞いてりゃわかるもんさ。ある日ガンの進行状況を詳しく教えろ、と迫ったら渋々教えてくれたよ。かなりまずい状況で、あと1年持つかどうかって言われちまって。

「でも希望を持っていきましょう」なんておためごかしの言葉は聞きたくなかった。なんだよ、せっかくいい感じになってきたのに。

 家に帰ってひとりで真っ暗になってたよ。まぁそりゃそうだよな、誰だって。

 

 で、アルフレッドに言ったんだ。

 ガンになっちまったから、あんたの役にはもう立てそうにない。仕事もやめさせてくれって。

 アルフレッドはさすがにびっくりしたみたいだった。だがオレの目をまっすぐ見つめて言うんだ。「アイク、君はブルーノートの、いや僕の大恩人だ。今、ここで君にいなくなって欲しくない。治療費を持たせてくれないか?」

「おいおいアルフレッド、気でも狂ったのか?もし手術3回とかになったらどうする?それだけでいくらになる?

そんな金があったら、いいミュージシャンをさがして、いいレコード作るために使え。いいか、これはブルーノートのA&R担当社員としての、切なる要請だ」

「アイク、いやそれはダメだ。君にもっと生きてもらわなきゃ」

「おい、アル。それ以上くっちゃべると、オレはあんたのことを嫌いにならなきゃいけない。死ぬのは怖くねえよ。それより、そんなことで施しを受けるのがイヤだ」

 アルはしょげかえってうつむいてしまった。

 

 次の日の朝、ポストを見たら封筒が入っていた。アイクへと走り書きしてあるが、住所も書いてない。ってことは郵便屋を通さずに、自分でここまで来てポストに入れたってことだ。しかしこの封筒といい筆跡といい、アルフレッドと言うのは丸わかりじゃないか。

 中を見ると300ドル入ってた。当時の300ドルだからな。結構でかいよ。偉そうなことを言いながら、そいつはありがたくいただいたよ。

 何日かたって、アルから呼び出された。ブルーノートのオフィスに行くと、かしこまった顔のフランシス・ウルフとアルが待っていた。

「アイク。君をこき使うことに決めたよ。ブルーノートは病人をこき使うひどい会社なんだ。いいかね」

 ニヤリと笑うアルフレッド。

 オレも思わず笑っちまったよ。

「ほう、そんなひどい会社は労働監督署に通報しなきゃな」

「ここから君の体調次第だが、どんどんレコーディングをしていく。もちろん偉大なるサックス奏者のアイク・ケベックのだ。アルバムを作ろう」

「偉大なる、ってどこのどいつだ?」

「僕の目の前にマヌケ顔して立っているよ」

「マヌケとは言いやがったな」

 アルを軽くこづいた後は、3人で大笑いだ。

 

 結局、オレの体が続く限り、今までの業務は続けることになった。おう、なんでもやるよ。

 アルはオレのレコーディングを最優先に考えてくれていたようで、レコーディングの前後は、それ以外の仕事を減らしてくれた。お陰でアルバムの構想を練る時間も取れたよ。

 アルに聞いたら、絶対そんなことないって否定するだろうけれど、レコーディングすれば、オレにギャラを払うって事で、名目の立つ金を余計に渡せるし、もしレコードが売れたら、印税ってやつも少しは入ってくるしな。医者代がかさみそうなのはわかってるから、気を遣ってくれたんだろうな。素直に嬉しかったよ。

 

 だからこそ、アルのためにも最高の音楽を作りたかった。もちろんオレ自身のためにも。

 考えてみたらオレがブルーノートに録音したのは、SPの頃が最初だから、あくまでも一曲単位の録音。2年前にシングル盤用のセッションをしたことはあるけれど、LPが主流になってからは当たり前になっている「アルバム」って言うスタイルで録音したことがなかった。

 と言っても力んだからっていい曲ができるわけでも、いい演奏ができるわけでもない。とりあえず自分にすぐできることとして、空いている時間には、たくさん練習したよ。あんなにやったのは、若い頃、ピアノからサックスに転向しようかなって決めた時以来かも。

 もちろん、かなりの確率で死が近い、って自覚するのは愉快なもんじゃない。でも、ジタバタしてもしょうがないだろ。やれることをやるしかねえ。

まだ、体は動く。できる限りのいい音楽を記録として残しておきたい。オレが死んだ後に誰か一人でも聞いてくれたら、それで良し、と思ったよ。あ、アルとフランシスとルース(アルフレッドの夫人)は除いてだ。あいつらはオレのアルバムを世に出す前に、誰よりも早く聴くはずだからな。

 ここから作るアルバム、何枚できるかわからないけど、さっきは一人でも聴いてくれたらなんてカッコつけちまったが、そうだな100人くらい、ちょっと真剣に耳を傾けてくれたら嬉しいね。これでもかつてはヒット曲なんてのも、出したことあるんだから。ちょっとやる気なんてやつも顔を出してきた。

 

 なんてことを思っていたら、アルフレッドのやつ、ホントにばんばんレコーディングを入れやがった。こんなに働いたら病気になっちまうって言いたいくらいな。

 自分のレコーディング以外にも、ソニー・クラークやグラント・グリーンのレコーディングなんかに、随分駆り出されたよ。

 まあ、どのセッションも楽しめたし、結構いい感じだったんじゃないか。音楽にはアルは厳しいから、どこまで発売になるかわからないけど。(実際この最後の一年半のレコーディングで記録されたうちのいくつかは、お蔵入りになる。アルフレッドはそういうところも、きちんとしている人だったのだ)

 

 オレのソウル。いや、自分で言うとなんだか照れ臭いが、やっぱりそういうものは音に出る。音で伝えたいことは、つまりはそいつだ。だからオレにとっては初めてのLPアルバムは『ヘヴィソウル』と名付けた。

 このセッションでは、オレがリラックスして吹ける楽器編成でやった。オルガン、そしてベースにドラムだ。フレディ・ローチのプレイが素晴らしかったせいもあるけれど、ああ、オレの音って、やっぱりオルガンってこんなに合うんだ、ってのは、あらためて思ったな。

 昔から知っているミルト・ヒントンのベースと一緒にやれたのもよかったよ。彼だけはオレからアルにリクエストした。オレのメロディがどこからやってきてるか、よくわかってくれてる。なんと言っても奴とは40年代の最初の吹き込みから一緒にやってるからな。安心して吹けるよ。そしてアル・ヘアウッドのツボを押さえた、ちょいとクールなドラム。良いメンバーで気持ちよく吹けたよ。

 まあ、誰だってそうだろうけれど、一緒にやるやつの気持ち、その楽器自体の音色、もちろん実際に吹くフレーズやリズム。全てがお互いに作用しあっていい音楽になるんだ。

 考えてみりゃ不思議だよな。

 

「アルフレッドさんは本当にあなたのことを信頼していて、しかも大好きだったんですよね」

「男同士なんだ、気持ち悪いこと言うな」笑いながらアイクさん。

「あなた自身の演奏や録音の話も、もう少し聞かせてくださいよ」

「音楽は語るもんじゃないだろ。CDでもレコードでもあるものを聴いてくれたら、それでいい。まあ、でもオレみたいに余命宣告みたいなものが出ちゃうとな。そりゃ一回一回のレコーディングには、それまで以上に真剣に向かい合ったよ」

「そうでしょうねえ」

「やっぱり気負いが出たのかねえ、『春の如く』の録音の時なんかは、最初の方は結構ガチガチだったり、カリカリしたりもしたもんだ。『ヘヴィソウル』の録音から2週間しかたっていないのにな」

「それは意外です」

「でもな」

「でも」

「何回目かのミスで演奏を中断した時、なんかわかったんだよ。明日死のうが死ぬまいが、今みんなで演奏する音楽の良し悪しとは関係ねえって。またベースのミルトが、いいタイミングで目配せしてくれるんだ、大丈夫だから、いい音楽できるからって」

 言葉じゃないところで通じ合ってるんだなぁ。

「オレが今、楽しく音と向かい合わなきゃ、一緒にやってるこいつらもいい音出せるはずないって」

 その状況でそう思えるアイクさんが凄い。

「そうしたらいつもの感じに戻った。まあ、チョチョイのチョイよ、そこからは。ははは」

 なるほど。

「しかし、ケベックさんのサックスの音って、ホント太くて良く鳴ってますよね」

「まぁそうだな。若い頃、コールマン・ホーキンスとか凄い人たちが周りにいたからな。そういう中でもまれていたら、自然とああなった」

「でもブロウしまくるんじゃなくて、ソフトに吹いている。そこが大人の魅力というか(笑)」

アイクさんの音色は、音楽の内容以前に、それだけで気持ちいい。悦楽的と言ってもいいな。

「最後の録音になった、『ボサノヴァ・ソウル・サンバ』の時はどうだったんでしょう?

 僕はあのアルバムでのアイクさんは、更に研ぎ澄まされていたように感じるんです。別にエッジが鋭いわけではない。雰囲気はソフト。でも、本当に言いたいことしか言っていないように感じるんです」

 このアルバムが録音されたのは、アイクさんが亡くなる二ヶ月前だ。

「本当に言いたいことか。そんなことは考えてもいなかったけど、でもお前にそう聞こえるんなら、それもありだな。

オレは楽に吹ききることしか考えてなかった。まぁ肺もやばくなってきたんで、少ない息で豊かに響かせるにはどうしよう、なんてこともあったけど」

「楽に吹ききるっていうのが、より音の芯をむき出しにしたのかもしれませんね」

 このアルバムはピアノレスで、ギターのケニー・バレルが伴奏にソロに活躍している。

「ああ、ケニーのギターにも助けられた。奴は相槌が上手いんだ」

「ええ、とってもいい感じで、ケベックさんを支えていますよね」

「この一つ前の『ブルー&センチメンタル』では、グラント・グリーンさんのギター伴奏でしたが、やっぱり味わいがだいぶ違いますよね」

「グラントはブルースフィーリングというところでは、素直だからな。既にたくさん一緒にやっているから、アルフレッドはもう一人のブルーノートの大物ギタリスト、テイストもちょっと洗練されてるケニーと組んだ音を、聞いてみたかったんじゃないかな」

「なるほど、アルフレッドさんの仕切りだったんですね」

「そうだな、レコード作りに関してはアルを信頼しているからな」

 なるほど、そこは大事ですよね。

「あとな、もう一つ」

「なんでしょう?」

「あのアルバムでは好きな女のことも、少し思い浮かべていたかな」

「誰ですか?好きな女って!」

思わず声のトーンが上がる。

「まあ、話せねえな。誰でもいいだろ。死ぬ寸前だからって、一人くらい気持ちを寄せる人がいたっていいじゃないか」

 はぐらかされてしまった。

「でもね、僕は幸せですよ」

「うん?」

「あなたがどんな状態で録音したにせよ、僕はブルーハーレムもヘヴィソウルもブルー&センチメンタルも、好きな時に聴くことができます。あなたが残したのは豊かな幸せの音。ほんの少しの屈託を含んだ男の音」

「なんだよ、くすぐったいぞ」

「で、一番すごいのは、亡くなる直前に録った音がエロいこと」

「なんだよ、せっかくなんかいい感じに持ち上げたと思ったら、締めはそれかよ。ははは。死ぬ間際に本当に言いたいことはエロいことだったんだ。フフ、やるなぁオレ」

「最高です」僕は真面目に言う。

「アイクさん、最高ですよ。死ぬかもってのがわかってて録った音楽が、こんなにエロかっこいいなんて」

「そうか。そうだな。はっはっは」

 

 大笑いしているところで、店でかかっていた「ボサノヴァ・ソウル・サンバ」のB面最後の曲「リンダ・フロール」も終わった。アイクさんの席からは、カウンターに飾ってあるジャケットもよく見えるはず。

 そういえばジャケットを飾る美女はアルフレッドの奥さん、いや、この時はまだ結婚はしていないが、近い将来奥さんになるルースだ。

「実はオレの最期を看取ってくれてのはルースだったんだ。アルとは家族同然の付き合いをしていた。彼女ともよく一緒に飯を食ったりしていたし。

オレは結婚ってやつをしていなかったからな。若い頃はそりゃモテたが、あの頃はしがないオッサンだ。まぁ、アルは偉大なるテナー奏者とかなんとか持ち上げてくれてたが。

 ニューアークの病院で、いよいよ危ないって時、二人とも遠いのにしょっちゅう見舞いに来てくれていた。最期だって時そばにいてくれてたのがルースだったんだ」

「あの」ふと僕に疑問が浮かんだ。

「さっきおっしゃってた、好きな人って、ひょっとして……」

問いかけたところで、アイクさんの姿が、ふっと消えた。あ、消えちゃった、と思ったけど、でもそうだろうなとも思った。

 アイクさんは伝えるべきことは伝えたのだ。好きな人の件はいつ会えるかわからないけど、次のお楽しみ。

 今度は僕が誰かに伝える番だ。伝票を持ってレジに行き、二人分のお茶代をマスターに払って店を出た。

 

 とはいえ、もう一つ気になったことがある。セコくて申し訳ないが、おみやげの件だ。

 ハンクさんもグラントさんも、僕に未発表の演奏音源をくれた。でも、アイクさんはそのことに何も触れずに消えてしまった。まあ、それ目当てで話を聞いたわけでもないし、あんないい話を聞けたんだから、それもいいかな。

 

 次の日の朝、ポストを見たら封筒が入っていた。住所も宛名も差出人も書いてない。ってことは郵便屋を通さずに、誰かがここまで来てポストに入れたってことだ。

 B5サイズのちょっと厚みのある封筒。差出人は書いていない。開けるとビニールで二重に梱包したアナログ盤が入っていた。45回転のシングル盤。

 なんと1959年に彼がブルーノートから出したシングル盤「ブルー・フライディ」だ。BNという輝かしいロゴも入っている。しかもサイン入り。

 いや、でもこれはもったいなくて聴けないよな。ひょっとしてジャズをメインに扱っている中古盤屋に、未開封のまま持って行ったら超プレミア価格なのでは?

 

 いやいや。

 いやいやいやいや。

 そうじゃないだろ?

 

 走り書きのメモも入っていた。

「珈琲をごちそうしてくれたお礼だ」

 

 僕はレコードプレイヤーに、慎重にシングル盤をセットして、針を下ろした……。

 

 

 

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

いかがでしたか。

 

アイク・ケベックさんのアルバムはどれもからっとしていて、でも豊かな音色と歌心に彩られていて。

ヘヴィ・ソウル以降の作品はみんな、病を得てからの作品だと思うのですが、妙に浪花節になるようなところもなく、遺作に至ってはからっとしつつもエロいという。とんでもなくカッコいい人だと思います。

男の中の男だなぁと感じ入る次第です。

 

過去の勝手に妄想ジャズストーリー

①優しさのテナーサックス ハンク・モブレイの物語

第一話はこちらから

第二話はこちらから

第三話はこちらから

 

②グルーヴの権化 グラント・グリーンの物語

「野生の緑」はこちらから読めます

 

 

【相模の風THEめをと情報】

相模の風THEめをとの映像はこちらから見られます


11月22日(日) いい夫婦の日
相模の風THEめをと結婚14周年記念ライブ!
久々のリアルライブ+有料配信ライブ

*リアルライブ
相模大野カフェツムリ
神奈川県相模原市南区相模大野6-15-30-2
地図アプリ~「相模大野 カフェツムリ」ですぐ検索できます。

 

この日はお客様の間隔や換気にも気を使いつつ開催
予約限定8名様
18時開場 18時30分開演
価格 3000円+飲食オーダー
ライブは二部制で、途中休憩&換気タイムを入れます。
リアルライブ観覧予約はこちらから
ご予約をいただいた場合は、一日以内に予約確認の返信を致します。

料金は当日精算で大丈夫です。

*有料配信
ツイキャスより配信します。
観覧方法は後日お知らせします。
18時30分より開演
映像はアーカイブとして当日より2週間保存しますので、
当日見られない方も後日鑑賞できます。

 

 

今年になってたくさんできた新曲の数々と、ライブができない間に練り上げたサウンドとネタ(笑)あなたの耳と体がよろこびます。

☆相模の風THEめをとのCDはこちらから購入できます