野生の緑 グラント・グリーンの物語 全編一挙掲載 | 音楽でよろこびの風を

音楽でよろこびの風を

世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

よろこび製造所へようこそ!

相模の風THEめをとのダンナ

いしはらとしひろです。

 

今日は、先週4回に分けて連載した、骨太ジャズギタリスト

グラントグリーンの物語。

「野性の緑~グラント・グリーンの魅力」を全編一挙掲載します。

勝手に妄想ジャズストーリー。妄想しまくっています。

読んだあなたがグラント・グリーンのCDを聴きたくなったら嬉しいな。

 

では、ちょいと長いですが、どうぞ!

 

 

野生の緑~グラント・グリーンのしつこい魅力
勝手にジャズストーリー②

  いしはらとしひろ 作

 現代においては「しつこい」というのは、ひょっとすると嫌われる要因かもしれない。だけど、ある種の音楽においては、しつこいは許される。むしろ奨励される場合も、たまにだがある。グラント・グリーンの名において紡ぎ出される音楽の場合は特に。

 家の近所の森林公園のベンチで、のんびりくつろいでいた。
 目には初夏の緑がまぶしい。綺麗な緑の中に身を置いていたら、小学校の頃好きだったみどりちゃんを思い出した。
「みどりちゃん、元気かな?」ふと独りごちてしまう。
 すると。誰かが僕の肩を叩く。
「オレのこと呼んだか?」
 えっと思って振り向くと、バカでかいスーツ姿の黒人の男が僕の肩に手を置いている。
 うわっ、誰だあんた?
「オレの名前を呼んだろう、みどりって言ったろう?」
 はぁ??何言ってんの??しかも日本語で話しかけてる?あ、この脳内に直接聞こえてくるような感じはひょっとして。
「お前、オレのCD最近よく聴いてるじゃないか。いや、それどころかオレのギタープレイのことも好きだとかなんとか、友達に言っていたぢゃないか」
 ???
「グラント・グリーンだ」

えーーーーーー!

 そういえば2ヶ月ほど前に、ハンク・モブレイの霊(通称 モブ霊)と話をしたことがあった。モブレイさんが僕にプレゼントしてくれた音源が、グラント・グリーンとの共演の録音だった。そのつながりなのか?
 それにグラント・グリーンももうとっくに死んでいる。ということはモブ霊ならぬ、グリーン霊?

「まぁそうなんだけどさ、でもグリーン霊だと言いにくいだろ。だから日本語でみどり君でどうだ?」
「み、みどり君って」
 違う。どう考えても違う。みどり君って柄じゃないだろう。グリーンだから緑と言い張りたいんだろうが、そうじゃない。多分。
「いや、それはなんかこっ恥ずかしいですよ。グラントさんじゃダメですか?」
 だってあんたは、あのファンキーギターの王者グラント・グリーンなんだろ?

 グラント・グリーン(1935~1979年)
アメリカのジャズギタリスト。サックス奏者のルー・ドナルドソンに見いだされ1961年デビュー。ブルースやゴスペルに基盤を置きつつも、独特のタメと味のあるギターで人気を博した。60年代後半には強力なファンク曲を録音し、90年代以降、クラブシーンを中心に再評価が高まっている。
代表アルバムはブルーノートレコードに残された「アライブ」「アイドルモーメンツ」「サンデイモーニン」「フィーリン・ザ・スピリット」「ライブ・アット・ライトハウス」など。

「まぁいいか。ハンクから聞いたぜ。結構こいつはちゃんと話しを聞いてくれるって。どうせお前暇なんだろ?」
どうせ、とはなんだ、どうせとは。まぁ、どうせ暇ですけど。それにしてもミュージシャンの霊は話に飢えているのか?
「いいですよ、暇ですから。じゃあ、公園で散歩でもしながら話しましょうよ。天気もいいことだし。しかし、どうしてまたここに?」
「おうよ。だってハンクがお前に渡した音源、オレとハンクが共演したやつだって言うし。仲間の噂で、お前がオレのアルバムを好きだと言ってるのも聞いたし」
「凄いんですね、ミュージシャン霊の情報網は」
「ああ、特にこの世に思いを残して死んだやつはな。先週もお前、オレのCD買ってたろ、ディスクユニオンで」
「そんなことまで知ってんですか。おそろしい。おちおち買い物もできませんね」
「ああ、霊は凄いぞ。お前のご先祖さんの霊なんか、すべて見ているからな。エロ本とか買う時は気をつけろ」
気をつけろって言われても。

「オレも死んで40年以上経っちまったのに、まだこうしてオレの音楽を聴いてくれているなんて、嬉しいことだね。ありがとうな」
 グラントさんはモブ霊さんと違って(ハンク・モブレイさんのことを書いた「モブ霊」はこちらから読めます)ざっくばらんな話っぷりだ。まぁでもその方が、あの豪快ファンキーな音楽に合ってるかな。

「よう、お前、自分でも音楽やってんだってな」
「ええ、かみさんと相模の風THEめをとっていうグループをやっています」
「奥さんと一緒にか。いいなぁ。でもよく続くな。なかなか夫婦で音楽するのって大変じゃないか。アイク&ティナ・ターナーとかスタンリー・タレンタインのところとか、夫婦で音楽やってて、でも別れちまったやつらいっぱいいるからな。気をつけろ、お前も」
大丈夫です。うちはかみさんが神様で、僕はその支配下にありますから(笑)
「ところでグラントさんは、なんでギターを弾くようになったんですか?」
「オレがギターを弾き始めたのは、親父が家でギターを弾いていたからだ。別にプロではなかったけど、ブルースなんかをよく弾いていた。それでオレもまずは、親父に簡単な手ほどきを受けて、そのうち気がついたらギターの虜ってわけさ。それこそ、一晩中弾いてたよ」
「なるほど。僕もギターを弾くんで、なんとなくその感じ分かります。それにブルースを聴くのも弾くのも好きです」
「おお、いいね。ブルースでは誰が好きなんだ?」
「フレッド・マクダウェルとエルモア・ジェイムスです。他にも好きな人はたくさんいますけど」
「ふーん。ってことは、お前はブルースの中でもスライド弾きが好きなのかな?」
「ええ、そうですね。でもグラントさんはスライドはやりませんよね。シングルトーンでねちっこく、ねばく」
「こら、人を納豆かオクラみたいに言うな。まぁ、でもそうだな。チャーリー・クリスチャンとかギタリストももちろんコピーしたけど、バップのホーン奏者のフレーズのコピーなんかもよくしていたからな。マイルス・ディヴィスとかチャーリー・パーカーとか」
「なるほど、それでホーンライクな、と言われるあの感じができあがったんですね」
「そうかもな」
「でも、グラントさんも演奏スタイルが結構変わっていきますよね」
「まぁ、当時は音楽の流れの変化も結構早かったしな。オレがブルーノートで録音し始めた頃はハードバップからファンキージャズへ、なんて頃だったし」
 グラントさんは、ファンキージャズ以前も以後も、ずっとファンキーであり続けたルー・ドナルドソンに見いだされ、彼のアルバムのサイドメンとしてデビュー。
 フレーズの音使いなどは年を経るごとに変わっていくのだが、一貫して変わらないのは独特のブルージーさと繰り返しフレーズの多さ。この繰り返しの多さ、言い換えればしつこさが彼の大きな魅力の一つだ。

「ねえ、あなたのギター演奏ってなんで繰り返しが多いんですか?」
「違うフレーズ考えるのが面倒くさかったから」
「ええーーーー!そんなイージーな理由なんですか?」
「んなわけないだろ!」あんたは関西人か。ひとりボケ突っ込みをする霊って………。
「オレが繰り返しフレーズを入れているところをよく聴いてみな」
「はぁ。じゃあ、今、僕のアイフォンにグラントさんのアルバムがいくつか入っているから、聴いてみましょうか?オルガンのラリー・ヤングさん、それにボビハチさん(ボビー・ハッチャーソン=ヴィブラホン奏者。僕の中では通称ボビハチさん)なんかと一緒にやっている『ストリート・オブ・ドリームス』どうですか」
 まわりには人もいないので、アイフォンのスピーカーからそのまま音を出す。
「おお、いいね。オルガン奏者とは随分たくさん一緒にやったけれど、ラリーのアプローチは独特だったな」
「そうかもしれませんね。グラントさんが一緒によくやってた、ジョン・パットンさんやジャック・マクダフさんとかのオルガン演奏と比べると、ブルースくさくないというか。このアルバムはグラントさんのアルバムの中でも、涼しさでは格別のような気がします。あと『抱きしめたい』も清涼度数高いですねえ」
「おお、そうかい。まぁオレは暑苦しいと思われてるからな。でも、意外と芸の幅広いのよ、オレ」少しばかりドヤ顔で話す彼。はいはい、わかってますって。
「しかし最近はなんだな、こんなちっちゃい板で音楽聴けたり、手紙のやりとりができたり、映像なんかも見られたりするんだろ。すごいな」
「電話もできますよ」
「オレも生きてる時に、こんなの使いたかった」
「そうですね、こればっかりは時代の恩恵というか。重宝してますよ。だって、町を歩いていて、いいメロディが浮かんだ時なんかも、こいつに吹き込んでおけば一安心ですからね。そこから作った曲、何曲もありますし」今度は僕が少しドヤ顔だ。
「でだ、ほら、今のところ。繰り返しフレーズが出てきたろ。どう感じる?」
 さっきの曲の話に戻った。
「いや、カッコいいです。ここですよね、やっぱり盛り上がるのは」
「一番気持ちを入れたいところ、強く伝えたいところは自然と繰り返しちゃうんだ。もちろんその時によるんだが、オレの音楽の場合、隅から隅までアレンジしまくるようなことも、あんまりないからな。やっぱりジャズはその時その場の、一緒にいる奴らとオレの感情や気持ちのノリとかが、すぐに反映される音楽でもあるし」
 そうですよね。
「大事なことは何度でも言わないとな」とドヤ顔ではなくマジな顔で語るグラントさん。

 彼の音楽を語るのによく使われる「ブルージー」という言葉。僕も結構その場のノリで安易に使ってしまうが、これが結構正体不明のもので。とはいえ、この雰囲気、ブルージーだよねえ、と言えば大まかなところは通じるし、相手が感じ取っているものも僕と極端には違わないと思う。
 ブルースというと一般には哀しみ、ということになるのかな?でもブルージーな音に含まれるのは切なさとか憂鬱とか、そして時には、何かを解き放つ開放感もあれば、一気に突っ走る感覚なんかも、ブルース的な音の一つとして、受け取る時もある。一口にブルースと言っても、けっして一色ではないのだ。マーブル模様のらせん階段。
 あるいは感情面を抜きにして、音楽的・楽理的に言うこともできる。たとえば主音から3度とか7度の音がフラットしていたり、リズムの力点がやや後ろにあったり。そういうことでも説明はできるのだけれど、でもやはり。それだけではないなあ。
 グラント・グリーンの音楽には、初期も後期も一貫してブルース感覚がある。哀しみの、悲しみのというより、もっと野性的なもの。そして根源的なもの。
「あなたのブルースな感じ、僕はブルーノートでの初録音『グランツ・ファーストスタンド』が好きなんですよね」
「ああ、あれはもう、素のままのオレだよね。初めてだから勝手も分からなかったのもあるけど。それに一緒にやったベイビーフェイス・ウィレットのオルガンが、これまた」
「あの鶏の鳴き声みたいな切り込んでくるオルガン、たまらないですよね」
「子供の頃から教会で歌ったり演奏してたりしてたろ?あの頃のオレたちにとっては教会って特別な場所なんだ。多分白人の奴らよりも10倍くらい、生活の中に占める割合は大きかったんじゃないかな。信仰の場であり、また数少ない娯楽でもあった。そして楽しみつつも本気で音楽する場でもあった。教会での音楽のしみこみ方が深いんだよ、あの頃に育ったオレたちには」
「それがあのファーストアルバムの感じにつながっているんですか?」
「多分な。コール・アンド・レスポンス。そしてゴスペルと熱狂、高揚感。オレの、いやオレたちの根っこだからね。ファーストアルバムだからこそ、あれが生な形で出てきたのかもな。繰り返しが多いのは、オレのギターがプリーチャー(説教師)だからかもしれないぜ」
「なるほど。じゃあ、繰り返しは教会由来?」
「そうだな。あと、ジャズを仕事にする前はリズム&ブルースのバンドでドサ回りしてたのも大きいよ。土曜の夜に盛り上がりたくてウズウズしてる奴らを乗せるすべは、ああいうところで体にたたき込まれてるからな。しつこいくらいがちょうどいいんだ。リフの繰り返しでどんどん上り詰めるあの感じ、最高だよな」
 朴訥だけれど、説得力は深い。でも深刻な顔ではなく、踊れるビートをも持っている。そんな「しつこい繰り返し」 そしてその根っこに横たわるおおらかさと開放感。
 
グラント・グリーンのギターのフレージング、つっかかっているような、とか、たどたどしいとか言う人がいる。確かにメトロノーム的にきっちり揃った演奏ではないけれど、僕にはだからこそ、豊かに感じる。
その辺のことも聞いてみよう。
「グラントさんのリズム感覚についてなんですけど」
「リズム感?いいよ、オレは」もちろん超ドヤ顔。はいはい。
「すいません、失礼かもな質問で。でも、世間にはあなたの弾くフレーズを聴いて、ぎこちないとかギクシャクしたリズム感と感じる人がいるみたいなんです。僕はそんなことない、だからこそカッコいいと思うんですが」
「それでいいじゃん」
「一件落着?」
「お前、セロニアス・モンクのピアノ、聴いたことあるよな?」
「はい、もちろん。僕、モンクさんも大好きなんで、わりとCD持っています」
「それ聴いて、モンク大先生のリズム感悪いと思うか?」
「あの人も独特のリズムの持ち主ですよね。それこそ何かに引っかかったような、ビミョーなタメとか」
「あれはさ、モンクさんが自分の曲や演奏スタイルを研究し尽くした結果なのよ」
「はぁ、そうなんですか?」
「オレだって、モンクと直接話したわけじゃないぜ。ライブでもスタジオでも会うことはなかったし、オレの現役時代、すでに雲の上の人だったからな。
 でも、特に彼の素晴らしいオリジナル曲には、あのギクシャクしたリズムと彼一流の強いタッチは必要だ、と彼は判断した」
「はぁ」
「だから、彼はいわゆる上手に弾くこともできるんだが、そんな風に弾くことは、特に彼のオリジナル曲を弾くに当たっては、あまり意味のないことだったんだ」
「凄い分析ですね」
「いや、そういう風に言っている人は結構いるよ。マイルスなんかもそう言ってたらしいし」
 なるほど、マイルスに言われたら説得力100倍。
「ここまで言えば分かるよな」
 つまり、グラントさんのぎこちなく聞こえるようなフレーズの運びも、分かってやっていると。
 マジか?
「そう。なんといったらいいのかな。体の中でメトロノーム的な正確なリズム、鳴ってるのよ、ちゃんと。でも、それこそ体で分かっているというか、このフレーズは少し遅くとか、やや突っ込んで、というのが瞬間的に手でわかるの。考えているのか?と言われたら考えちゃいない。ただ、オレのこの素晴らしい手が感じるままに、命ずるままに弾くと、ああなるのよ」
「なぁるほど」
「だってあの方がカッコいいだろ?」
「ええ、間違いなく」
 さっき聴いたフレーズを脳内でジャストリズムにして、アクセントも平坦に変換してみる。うーん、今二つだ。
 さすが。

「そういえば、グラントさん、自分がメインのアルバムもたくさんあるけれど、人のサポートもいっぱいやってますよね」
「そうだな、あの頃はとにかくたくさん仕事があったしな。なんか、毎週のようにスタジオに入っていた気がするぞ」
「よお、売れっ子!」
 もちろんグラントさんドヤ顔。あはん、わかりやすいな、こういうところ。
「で、思うんですけど。グラントさんは人と共演する時でも、その人のブルージーさとか野生感覚を引き出してしまうのではないですか?」
「は?なんだそれ。いや、オレそんなことは全然意識してないけど」
「たとえばハービー・ハンコックさん。彼とも何度か共演していますよね」
「ああ、『フィーリン・ザ・スピリット』とかな」
「あれも名作ですよね。しかもグラントさんのしつこさも全開(笑)繰り返しフレーズの嵐!」
「そこが好きなくせに(笑)」
「ハービーさんにも元々そういうブルージーな側面はあると思います。彼の最初のヒット曲『ウォーターメロンマン』なんかもブルース感覚あふれてますし。でも、基本的には彼はブルースがメインの人ではなくて、もっと理知的なアプローチもしているじゃないですか。どっちかというとその方が売りというか。マイルスさんと一緒にやってる時なんてそうですよね」
「言われてみりゃそうかもな。でも、オレとやる時は楽しそうにブルースしてるぞ。子供みたいな顔してな」
「そこですよ、そこ」
「どこ?」
「だからぁ。ハービーさんさえも、子供の顔に引き戻しちゃうんですよ。で、根っこにあるブルース感を引き出しちゃうんです。ハービーさんの『ブラインドマン、ブラインドマン』なんか、もろそうじゃないですか。あなたと一緒に演奏するってそういうことなんですよ」
「へええ。そんな風に考えたことはなかったなぁ。ただ楽しく音楽してるだけなのになぁ」
「あなたと一緒に演奏することで、ハンコックさんのブルース回路が開いたというか、ちょっと壊れたというか(笑)」
「人をクラッシャーみたいに言うなぁ(笑)。なんでそうなったかは、オレにもよく分からん。まぁ、あのアルバムは元々スピリチュアルなテイストを持ったトラディショナルナンバーやゴスペルをやろう、ってアルバムだったからな」
「それも関係してそうですね」
「さっきも話したゴスペルの力かもしれない。ハービーの中にもそういうものはしみこんでいるだろうしな。でもあいつとのレコーディングは、いつだってファンキーで気持ちよかったよ。いい奴だし。
ただ、オレが気持ちいい音を出せば、一緒にやる奴も気持ちよくなってくれるんじゃないかな、とは常に思っていたよ」
「多分、その気持ちよさの桁が違う、レベルが違うんですよ。だって聴いているだけだってこんなに気持ちいいんですから、一緒に演奏していたら、クー、たまらんって感じるんじゃないですか?で、それが共演する人の回路を開くのかもしれない」 
「そうかぁ、快楽は偉大だ。それを引き出すオレも凄い」
「あ、ドヤ顔はもう分かりましたから。あと、これですよ、これ」
 僕はアイフォンを操作してジョージ・ブレイス(マルチサックス・プレイヤー)のアルバム『ラフィングソウル』を呼び出す。
「ほら、このジャケット」
「おおお。懐かしいな。ジョージ、元気かな」
「お元気ですよ。数年前には日本にも来て演奏しましたし」
「すげえな、ジョージ。オレも日本にも行って演奏したかったよ。スシとか食べたかった」
「食欲ですか。まぁ大事ですけど。で、このジョージさんと一緒にやっているラフィング・ソウル。あなたの大事なお仲間のジョン・パットンさん(オルガン)やベン・ディクソンさん(ドラム)も一緒に参加していますけど。なんですか、このバカ騒ぎ」
 バカ騒ぎ、とか言いながら笑いを抑えることができない。
「ははは。すでにお前も笑っているじゃないか。楽しいよな、あれ」
「いやもう、楽しすぎます。いったいなにがどうなってこんなことになっちゃったの?と思うくらい楽しいアルバムですよね。これもルディ・ヴァン・ゲルダースタジオでの録音でしたけど、シリアスなジャズがたくさん生み出された、同じスタジオでできたものとは思えませんよね」
「なんでだろうね。もう、あのアルバムは録音に入る前からものすごく楽しかったよ。凄くいい雰囲気でさぁ。ジョージはもう冗談ばっかり言ってるし」
「これはジョージさんの人柄や音楽性も大きいでしょうけど、グラントさんの『ブルース野生解放力』も、でかいんじゃないかと僕はにらんでいますが、いかがでしょう?」
「それは買いかぶりじゃないか。ジョージはとにかくああいうハッピーな音楽が好きなんだよ。でもあのアルバムはいいな。オレの息子も好きだって言ってたよ」
「Jr.もお目が高い」
「でもよぅ、誰かが楽しんでいたら、それをより大きくしたいし、長持ちさせたいじゃないか。それはあのアルバムに参加したみんなが、きっと思っていたんじゃないかな」
「いや、でもそれを演奏の力でストレートに引き出せる人は、そうたくさんはいないですよ。多分、録音の日はジョージさんもジョン・パットンさんも、ただでさえいい感じだったのを、あなたの演奏で更にあおられたんじゃないかと思います。体の奥の面白音楽回路、開いちゃったんですよ」
「そういうことだったのかなぁ。まぁ、あの日の演奏が終わった時、全員がいい顔してたのは確かだな」
「僕はあのアルバム、ピクニック・ミュージックって名付けてます。バーベキューミュージックでもいいかな。落ち込みそうになった時なんかに聴くと、てきめんですよね。絶対鬱になんかならない、と言うかなれない感じ。もう、最高っす」
「ならば良し。おーいえ~~」
「あと、このアルバムなんかでは、結構コードも弾いていますよね」
「そりゃ弾くよ、コードくらい」
「でも、あなたは一般にはコードを弾かないギタリストと思われていますよ」
「そんなの誤解だって。そりゃ確かにシングルトーンで弾く時の方が多いけれど。だが、コードを弾くか弾かないかは、その時の音楽次第だ。オレの恩人ルー・ドナルドソンのアルバムに参加した時だって、結構コードを弾いてるし。その時の音楽次第だよ。そんなこと分かりそうなもんだが」
「そうですよね」
「こいつがこのフレーズを弾いている時に、まずオレが音を出すべきかどうか。そして音を出すとしたらシングルトーンがいいのかコードがいいのか。そんなのその時の曲や演奏のの流れ次第だろ。もちろんその時の主役のミュージシャンやアレンジャーに事前に言われてたら、その通りにするし。オレの弾き方を決めるのは、その時流れている、動いている音楽次第なんだよ。そしてその音楽の黒さ次第なんだ」

素敵だ!やっぱり音楽の肝の一つですよね。
音楽はそれ自体が今、必要なものは何かをその場にいるミュージシャンに教えてくれる。逆に言うと、それが感じ取れないミュージシャンはちょいとつらい。
 
「ところで。アルバム『グリーン・イズ・ビューティフル』あたりから、急激にファンク寄りの演奏になりましたよね。特に『アライブ』と『ライブ・アット・ライトハウス』の二枚のライブ盤」
「ああ、そう言われるけど、そんなに弾いてること変わっているつもりはないんだけどねえ」
「そうですかねえ。なんというかフレーズの粘着度とか、あとバンド編成のせいもあるでしょうけどギターの音量も上がっていて、ひずみ気味だけど艶のあるギターの音色もカッコいいですし」
「そのちょっと前に、オレ一回捕まってるじゃない」
一応気を使って触れないでいたのだけれど、グラントさんの方から言い出した。彼は1968年頃に麻薬で実刑判決を受け、収監されている。
「あれ、お薬ですよね」
「まぁね。自業自得だから特に言い訳はしないけど、まぁ、いいもんじゃないね」
「そりゃそうですよね」
「で、そろそろ刑務所を出られるって時に考えたんだよ」
「それは音楽やギターのことですか?」
「もちろん。いや、ムショに入っちゃったから、出たって仕事自体もあるかどうか分からない。こういうことで、そのまま廃業しちまったミュージシャンだって結構いるからね。
 でも、まだ音楽を仕事としてやっていけるなら、もっと自分に忠実な音楽をやっていこうって思ったんだ。
あとジェームス・ブラウンの、音楽にも言っていることにも凄く共感した、ってのもあるかな。黒人であることにプライドを持てってカッコいい決めじゃないか(Say it loud,I’m black and I’m ploud)
 ムショの中であの曲を聴いて、ものすごく力づけられたんだよ」
「へええ。そんな風に思ったんですか。JB、僕も大好きですけど。だからその後はJBさんの曲のカバーも増えたんですね。
でも自分に忠実にって言いましたが、それまでのグラントさんの演奏だって素晴らしかったじゃないですか」
「おおお、ありがとう。でもな、たとえば一緒にやるプレイヤーや音楽の方向性なんかをある程度決められたセッションなんかもあるわけだ。もちろんオレは、そういうセッションだってその時の全力は尽くしたさ。でもね」
 でも。
 確かに出所後のグラントさんの演奏は、研ぎ澄まされつつそぎ落とされつつ、言うべきことは言うぞという気迫がある。野性味も増している。というか完全解き放たれ状態。
「ま、言いたいことをすっきりはっきり言い切る」
 そしてまた、以前より快楽的でもある。ストイックな快楽?いや、ストイックというのとは違うなぁ。よりファンクであることに貪欲というか。
「で、やりたいやつとしかやらん」
 え、なんかちょっとエッチっぽい。
「エッチは音楽の肝だ」
 はい、仰せの通りで。
「そしてとことん乗せまくる。しつこいくらいにな」
 出た!必殺のしつこい。
 その結果グラントさんの音楽は。歌心全壊、いや違った、まったく逆。歌心全開!
「オレが弾くこの音よ、どこまでも突き抜けていけ、って思いながら弾いてたよ」
 ファンク度をぐんぐん上げて、僕らの腰を揺さぶるようになったのだ。お得意の繰り返しのフレーズも、この頃にはもうものすごい濃度になっていて、それは体の芯からグルーヴを呼び起こすのだ。
 
 しつこいわね、あなた。でも好き。だから好き。状態なのであります。

「あと、ニール・クリーキーに会ったのも大きいね。ラテンソウルブラザーズにいた鍵盤弾きだ。奴に音の濃さとは何かってことを、今までとは違う角度から教わった気がするな」
「そうですね。アライブでも2曲ほど弾いていますね。ラテンソウルブラザーズもコテコテ。あと、太鼓の人も強力ファンク化に手を貸していると思うんです。イドリス・ムハンマドさんのドカドカドラム」
「ああ、あいつのオレたちをプッシュする力は強力だったね。全員があおられたよ、あのバスドラム一発で」
「アライブとライトハウスライブは、今もよく聴いてます。大好きです。超盛り上がります。
 特にアライブ収録の『スーキースーキー』は一時中毒のように毎日聴いていました。グラントさんの弾くリフと、ムハンマドさんのドカドカドラムのコンビネーションが気持ちよすぎて」
「ははは、中毒か。グラント・グリーン中毒ね。気をつけた方がいいぜ。あの頃は客も踊って聴いていたからな。お前も踊りながら聴け」
 音のエネルギーのが全開になって放たれる姿。でもそれに接するのは難しいことじゃない。『アライブ』か『ライブ・アット・ライトハウス』のCDを手に入れて、プレイヤーにセットすればいいだけ。簡単に出会えるんだよ。
 
 グラント・グリーンは1971年録音の『ライブ・アット・ザ・ライトハウス』を最後にブルーノートを去ることになる。
「まぁ、しょうがないよ。大恩人のアルフレッド・ライオンはもうその数年前にブルーノートの経営から手を引いてしまっていたし。会社自体もロスに移転することになってしまったし、録音で取り上げるミュージシャンの傾向も随分変わったしな」
 1976年にクリード・テイラー率いるCTIから『メインアトラクション』をリリース。それが最後の作品になってしまう。
 1979年1月31日、ライブに向かう途中で心臓発作を起こし死去。享年43歳。

「グラントさん、まだ、弾き足りなかったよね、ギター」
「そりゃそうだよ。まだ43歳だったからなぁ。やってみたいこともたくさんあったし、こいつと一緒にやれたら、なんてのもいたしな」
「でも、あなたの音楽、90年代半ば以降、クラブなんかを中心にものすごく評価が高まっていますよ」
「うん。それはありがたいよ。それに死んで40年経っても、お前みたいに聴いてくれる奴もいるし」
「誰と一緒にやりたかったですか?」
「そうだな、マイルスかな?」
「へええ、意外というか」
「でも、音の隙間感とかフレーズのデザインの仕方なんか、結構マイルスから学んだんだぜ。まぁ、そうは聞こえないだろうけど」
「そうなんですか」
「まぁ、今日はゆっくりとこの世界で、音楽話ができて楽しかったよ。それもオレのアルバムについて話すなんて、最高じゃないか」
 最高、といけしゃあしゃあと言い垂れるところが、「含羞の人・モブ霊」さんとは大違いだ(笑)

「くつろいでいるところ、邪魔したな。そろそろ帰るよ。ありがとうな」
彼は長い手を、バイバイという感じに振り上げて、背中を向ける。
ファンクギターの巨人、グラント・グリーンさん。
あなたの音楽、大好きです。これからもみんなに伝えていきますよ。あなたのブルースの野生力を。解放力を!
と、数歩歩き始めたグラントが振り返った。
「そう言えば、ハンクから言われてた。お礼というか、おみやげをやっとけって」
「おみやげ?」
 あ、前にハンクさんからもらった未発表の音源のことかな。グラント・グリーンの未発表音源なんて嬉しすぎるかも。
「今、お前の持っているその板に送り込んでおいたよ。家に帰ったら聴け。じゃあな」
板って?アイフォンのことか。
前を向いたグラントは、今度こそ振り向かずに歩いて行く。
「ありがとう、グラントさん!」と大声を出した僕に、右手を「わかったよ」というふうにあげた、その姿がふっと消えた。

 ハンクさんの時もそうだったけど、なんでこんなに淋しいのかな。

 家に帰るまで、アイフォンの中を確かめるのは我慢した。
 玄関の扉を開けるとメールの着信があった。

「話を聞いてくれたお礼に、そしてオレの音楽好きなお前に、とびきりの音源をプレゼントするよ。
 1969年、ムショから出たばかりのオレに、なんとあの帝王マイルス・デイヴィスから声がかかった。話があるからギターを持ってオレの家に来いって。今思い返せば、マイルスがジョン・マクラフリン(ギタリスト)と録音をする直前だったような気がする。
 多分ハービー・ハンコックが話をしてくれたんだろうな。やつとはいい録音を一緒にしたし、マイルスとは長く一緒にやっていたわけだし。ばかでかい家に着いたらハービーとマイルスが出迎えてくれた。
 マイルスはエレクトリックギターをバンドに入れるつもりで、いろいろな奴を試している、と言う話は聞いていた。今日はオレか。
 とは言っても正式なオーディションというわけでもなく、もちろんレコーディングでもなく。30分くらい3人で雑談してた。ハービーと一緒にレコーディングした時のエピソードなんかを話して、大笑いしたその後に。急にマイルスが『ちょっと軽く一緒に音を出さないか』と言い出したんだ。
 3人で一緒に地下のスタジオに行き。そこにはすでにアンプもセットしてあった。やっぱりオーディションだったのか。
 ドラム、ベースなし。ハービーのピアノとマイルスのトランペットとオレのギター。三人でスローなブルースと、ドリアンモードで簡単なテーマだけ設定した曲をジャムった。
 マイルスはそれを録音していたんで、帰る時にダビングしてくれ、と頼んだら、マスターごと持っていっていいよ、と言われた。まぁ、それでオーディションには落ちたって分かったんだけどな。手元に置いて聞き返すまでもない、ってことだからな。
 とはいえ、マイルスのことは尊敬していたから、これはいい記念だったよ。たまに聞き返してにんまりしていた。まぁ、大した演奏ではないけれど、希少価値はあるだろ?(笑)
なんてったってマイルスとオレとハービーだ。
 お前には『特別に!!!』聴かせてやるよ。お前の例の板の「アイチューンズ」とか言うところに入れておいた。感謝を込めて」

アイチューンズを開くと「GG&MD/Blues」というファイルを見つけた。ああ、ドキドキする。そのファイルを恐る恐るクリックすると………。
 

 

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

今週水曜からは、勝手に妄想ジャズストーリーの3編め。

アイク・ケベックというテナーサックス奏者を主人公にした物語をお届けします。

 

お楽しみに!