過去に、子どもの習い事について何回か書きました。
この習い事ラインナップの中に、なぜかあの、世間的に超人気の習い事を入れていません。
それは「英語」。
今回は、「なぜ英語を習わせないか?」について書きたいと思います。
端的に言うと、
①自分に英語力が無いから。
②まずは国語だから。
③英語教育産業が有象無象すぎるから。
です。
①自分に英語力が無い。
私は英語ができません。
TOEICのスコアで言うと420点です。
このスコアは正直「本当に大学受験したの?」と言われるレベルだと思います。
大学3年生のときのスコアで、しかもかなり特訓して受けてコレです。あれ以来意気消沈して、語学検定試験は一切受けていないので、現在の実力はもっと失われていることでしょう。
とは言っても、世はグローバル社会。
「英語力が必要である」こと自体は否定できない事実です。
私は、必要な知識は基本的に「独学」で身につけることにしており、(参考→独学力)「英語がいつかは必要になる」ことを肌で感じてはいるので、過去に何度か、いろいろな英語の勉強法を試してきました。
しかし、「これだ!!」と思える方法には、今現在でもたどり着けずにいます。
最近、私のブログを読んだ旧友に言われて気づいたのですが、私は「自分が自信を持って良いと思える習い事しか子どもにやらせていない」のだそうです。
確かにそのとおり。
子どもが自ら「〇〇やってみたい!!」と言ってくるなら別ですが、基本的には習い事って、親が選ぶことの方が多いと思います。
親が選ぶのであれば、私は出来る限り良質なものを選びたい。
「自分はできないけど、何となく必要そうだから」とか「みんなやってるから」くらいのノリで、子どもの時間を殊更に拘束する勇気は私には無いということです。
かと言って、この先、英語について何もしないというわけではなく、
引き続き、英語の勉強法の研究を続けていきたいと思っており、折に触れて英語教育論関係の書籍を読んでいます。
何冊か読んでいると、「英文法」「音読」の2つがキーワードになることが多いように思えてきており、気になった勉強法は、私自身の勉強として、実際に試してみていたりしています。(恥ずかしながら、SVOCのOとCの違いが、最近少しだけわかりました(笑))
やはり、ここも親と子の共育。
子育ての前に親育ちが必要だと認識し、日々の独学に勤しみたいと思っています。
②まずは国語
読書は、幸せで充実した人生を送る上で欠かせないものだと思います。
読書について語りだすと、今回のテーマから脱線してしまうので、やめておきますが、私自身が今現在を充実感を持って生きられているのは、読書に依るところが大きいと考えています。
この経験から、5歳の息子と3歳の娘にも、本を好きになってもらいたい、早く自分で読書をできるようになってもらいたい。
と思っていることから、家を本に囲まれた空間にしており、毎晩の絵本読み聞かせを欠かさず行っており、公文式で「国語」を習わせ、「自立して読書ができるための最低限の日本語」の早期習得を目指しているということです。
そもそも第一言語である日本語は「コミュニケーションのための道具」である以前に、「思考するための道具」です。
一方、英語をはじめとする第二言語は「コミュニケーションのための道具」に過ぎません。
「思考するための道具」は、1つあれば良く、2つ以上あってもさほどメリットは無いと思っています(むしろデメリットが大きいとの話もちらほら聞きます)。
日本人であるなら、「思考するための道具」は日本語であるべきではないでしょうか。
となると、「国語ができない⇒思考ができない」ということになってしまいます。思考力を磨くことは、すなわち国語力を磨くことと言っても過言ではないと思います。
そのための手段としては、読書が最適だと思っており、我が子らにはこの「思考力の訓練としての読書」を、早く自力で行えるようになってほしい、自分で思考力を伸ばせるようになってほしい、と思っています。
ただし、これは「英語を排除」しているということではなく、あくまで「国語を優先」しているだけのこと。
「コミュニケーションのための道具」としての英語の必要性は認めつつも、だからといって、単純に流行りに乗って英語学習に時間を取られ、「思考するための道具」としての国語の訓練の時間を減らすことになってしまっては、本末転倒だと思います。
我が子らが、読書について自走し始めた段階で、徐々に英語を導入し始めれば良いと思っています。
その頃までに、私(親側)の英語勉強法研究がひと段落していると良いのですが…(苦笑)
③英語教育産業は有象無象
巷には大人向けから子ども向けまで英語塾が乱立しています。
日本人は何故か欧米(≒英語ペラペラ)に強い憧れを持っていますが、日本語と英語の言語学的な距離が遠いこともあってか、(私を筆頭に)英語力は低いと言わざるを得ません。
「好きだけど、できない」
このギャップにビジネスチャンスを見出すこと自体は全くもって否定することではありません。
しかし、消費者の立場からすると、選択肢があり過ぎる現状においては、かなり注意深くならないと、ただ単に搾取されてしまう結果になる可能性が高いということです。
英語教育業界に経営者として身を置く旧友に言わせると、「まともな価値を提供できるキッズ英会話教室はほとんどない」とのこと。
確かに、外国人がたくさんいて、何とかメソッドとかうたっていたら、何となく「ここにぶち込めば我が子もペラペラに!?」と期待したくなっちゃうのも良くわかります。しかし、「外国人=英語教育のプロ」というわけではないですからね…。
「外国人が楽しく遊んでくれたけど、一向にしゃべれるようにならない」という家庭はかなり多いのではないでしょうか。
このような現状では、英語リテラシーの無い私のような親が、いくら無い知恵を絞ったところで、かなりの確率で金銭を搾り取られるのがオチでしょう。
結論
まずは何よりも、国語力養成のための時間を十分確保すること。
一方で、世の中が英語力重視の流れにある中で、その流れに意固地に逆らうのも得策ではありません。
「英語をいかにして学ぶのか。」について、親自身が、「苦手だから」と逃げないで、勉強すること。
そして、塾は慎重に活用すること。
「価値ある英語教室なんてごくごくわずか」という現状を十分に認識し、
・まずは家庭学習で何とかならないか?
・入塾するにしても、効果が無ければ即撤退。
・通塾する家庭(特に英語リテラシーがある家庭)の動向をよく観察し、学ぶ。
ということではないかなと思います。
「英語できないくせにどのクチが言うんだ??」という感じかもしれませんが、できない人なりの最適戦略を模索した結果をまとめてみたつもりです。
(タイトルが「英語教育論」ではなく「一考察」と若干腰が引けているのは、私が英語ができない親だからです。)
参考にしていただけたら嬉しいです。