私は会社で勉強会に誘われると、よほどの社内政治的な圧力が無い限り、

 

「勉強は1人でやるものです」

 

と言って、断っています。

 

 

勉強会に出たり、他人から与えられた課題をやる暇があれば、その分独学をしたいからです。

 

独学と言っても、堅苦しいものではなく、自分が学びたいと思ったことに関する本を読んだり、最近ではこのブログ執筆も、「アウトプットの勉強」との位置づけで行っています。(ご参考→アウトプットをはじめる

 

社会人になってからの勉強は、「人から与えられるもの」ではないし、「何となく嫌なもの」でもありません。どちらかというと「趣味」であり、「楽しいもの」です。その手段は、誰かに習ったりするものではなく、基本的には「独学」だと思います。

 

 


 

最近、野口悠紀雄さんの著書「超」独学法を読んで、正に「我が意を得たり」だったので、今日はこの「独学」について、常々思っていたことを書こうかなと。

 

独学は、読んで字のごとくですが、他人の作ったカリキュラムに頼らず、自分でカリキュラムを立てて勉強することです。

 

日本では教育環境が整備されている関係もあってか、「勉強とは、学校または塾で先生の授業を聞くこと。」というイメージが根強いですが、私は学生の頃からこれに違和感を持っていました。

 

というのも、私には自覚症状として注意欠陥?の傾向があり、授業に集中できなくて、授業中にどうしても他のことを考えてしまう癖がありました。(いや、今でもそうです。会議で集中するのも一苦労です。)

 

なので、基本的に学校で習う内容は、教科書とワークブックを使って、自分で勉強していました。最初は、自分の欠点を補うつもりで独学をしていましたが、「そもそも学校のカリキュラムに沿って勉強するよりも、独学した方が自由度が高くて、効率的で良いなぁ。」と徐々に気が付いたのです。

 

他人の作ったカリキュラムは、あくまで他人が、自身の経験を元に構成しているので、個々人にとって最適なカリキュラムには、当然ながらなかなかなり得ません。

 

小・中・高・大学教育は、歴史が長く、サンプル数(そのカリキュラムの下で学んだ学生数)も多いので、比較的万人向けのカリキュラムが整備されていると言えますが(あくまで比較的)、それ以外のカリキュラム(民間の各種スクール、個人が行う勉強会などなど)が自分の学ぶべきことやそのレベルに合致する可能性は極めて低いと言わざるを得ないと思います。

 

それなのに、「〇〇を勉強しなければならないから、とりあえず塾に行こう」とか、「勉強会が開かれるから、ためになりそうだしとりあえず出席しよう」では、結局何も身につかず、無駄なお金を支払い、無駄な時間を過ごすことになってしまいます。

 

もちろん、自分で学ぶことを考える「独学」でも、何を学んだら良いかわからず、見当違いの方向に進んでしまい、それこそ時間の無駄になってしまう可能性はあります。

 

そんな時に、他人の作ったカリキュラムに触れることで、何かしらのヒントを得られるという側面もあるでしょうし、民間スクールを適宜使用するのも一手だと思います。

 

ただ、その場合も、他人の作ったカリキュラムはあくまでサブ的存在で、基本的に独学をするというスタンスが正しいと思います。割合的には独学9割(他人から学ぶ1割)くらいな感覚だと思います。

 

 

 

 

これからの時代で安定して飯を食い続けていくためには、「社会で求められている『勉強』は何か?」をビビッドに感じ取っていかないといけないと思います。科学技術の進展は目まぐるしく、「社会で求められる勉強」の変化速度は急速に高まっており、おそらく正解は誰も知らないのではないかと思います。いや、むしろ正解はそもそも無いのかもしれません。

 

ということは、学校の先生や、民間スクールの講師など、誰かが正解を教えてくれるわけではないので、自分で考えなければならないということです。

幸いなことに、今はインターネットが普及し、様々な情報を手軽に得ることができるようになりました。書籍もアマゾンで簡単に手に入ります。誰でもどこでも勉強できる環境が整っていると言えます。

 


むしろ逆に情報過多の中で、自分に合ったカリキュラムをいかに構成するかがポイントであり、数多ある情報の中から自分が必要なものを選別し、自主的に学ぶ。これは正に「独学」であり、飯を食い続けるためには「独学力」が必要なのではないかと思うのです。

 

 

以上は「大人」についての話ですが、「子ども」については少しだけ事情が違う点があるかと思っています。

(このブログは一応子どもと大人の「共育論」なので、子どもについても書いてみます。)

 

 

おそらく子どもは、今の大人以上に「独学力」が必要な時代を生きるのだと思います。

ただ、子どもに、「さぁ独学しなさい」と言っても、できないですよね。背景知識が圧倒的に足りないからです。そもそも「勉強って何?」という状態です。

 

なので、基本的には親が教えたりとか、習い事に通うこと自体は全く否定しません。私も、

 

5歳の息子→公文、プール、空手

3歳の娘→公文、ダンス

 

と、我が子らにいくつか習い事をさせています。(ご参考→習い事!!どう選ぶ?

自ら学びだすきっかけになれば良いなと思いながらやらせています。(ここでは、運動も「広義の勉強」と捉えています。)

 

この場合も、「勉強=他人から教えてもらうこと」という誤解が生じないようにすることが大切だと思います。

 

公文はそもそも「自学自習」がコンセプトなので、「他人から教えてもらう」場面は、一般的な塾に比べて非常に少ないです。

また、空手やダンスは、週に1回通うだけではほとんど上達しないので、息子と娘には、家での自主練習を促しています。

プールは設備が必要なので中々厳しいですが、区民プールで自主練することもあります。

 

我が子に能動的な学習の必要性を感じてもらうために、何かと工夫をしています。ゆくゆくは、「独学力」を身につけて、自分で正解を探して歩めるようになってくれればと思っています。