これは昔から私が言い続けていることなのだが、電車の混雑をなんとかしてほしい笑


満員電車で通勤することでどれだけ疲弊するか…テレワークの普及で人が減っているはずなのに全く変わらんではないか。まあ、それが嫌な人はテレワークメインの仕事を探しているのか。




鉄道とは関係ないだろうが、4楽章の「モーター」的疾走感がたまらない。


この曲は高校生の時に弾いたきりになってしまっている、また取り組みたいなあ。







「悲しげな鳥たち」


というタイトルの曲を思い浮かべる時、何の先入観もなかったらどのような音が鳴るのだろう。

私はラヴェルのこの曲を聞いた後でも、勝手に悲しみから寒さ、冷たさを連想し、冷えた世界が浮かんでいた。


しかし、この曲は「夏の灼熱の時刻、森の暗がりの中ぐったり喘いでいる」のだ。


そう知った後は確かにそう聞こえる。


そもそも、原語の持つ本当の意味やニュアンスは正確には訳せない。音楽がそもそも魂の言葉だとするならば、タイトルという言葉に訳すことも本当はできないのだろう。

「聞く人の深い場所に何かを届けようと願うなら、言葉を人に仕えさせるのではなく、人が言葉に仕えなくてはならない。」

 

昨日掲載、日経新聞の若松英輔さんの言葉だ。まさにこれは言葉を音楽に置き換えても言えることであると思う。

くどくどと僕なりの説明を書いてみようと試みたが、この言葉に無粋な付け加えはしない方が良さそうだ。

 

 

昨年、この連載で初めて若松英輔さんの文に触れ、その深い、ねじれのない、まことをおだやかに見つめるような文に心を動かされてきた。僕もそういうような音楽を奏でられたらいいな。

 

 

 

 

結局オイストラフに惹かれてしまうが、今日はシゲティに心を委ねよう…

超絶技巧があまりに明確に聞き手に届いてしまうピアニストはあまり好きではないのだが、僕にとって昔からアムラン(Marc-André Hamelin)は例外的な存在だ。





これは彼作曲の練習曲だが、なんとも面白い。

頭を空っぽにして、目を丸くしていただけたら笑

とんでもない始まり方となった2024年…

終わってみたら、ここが1番の底だったと思えるような1年になってくれると良いが…

 

と暗くばかりなっていても仕方ないので、陽気な曲を。

 

 

 

ベートーヴェンのこういう明るさ、好きだなあ。

 

ちなみにこの曲の3楽章のハーモニーの進行が、全く曲調の違う30番、op.109の出だしと全く同じ進行、そしてVivaceの指示も同じなのは興味深い。(30番はVivace, ma non troppoだけど)

そもそも Vivace  とはなんだという問いも非常に難しい。こういうところから考えを深めて、ベートーヴェンの思考や感覚に近づくことは意義があると思う。

とはいえ二つは独立した作品であり、ベートーヴェンが書き上げた時点でその手を離れているのだから、演奏する際に関連性を重視しすぎて、曲に初めて触れた時に感じたピュアな感覚から離れすぎるのもまた音楽の真の価値から遠ざかる可能性もある。

 

知ることが必ずしも良い音楽につながるとは限らない。ただ、可能性は広がる。