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年内にも日本就航 大型旅客機を導入 ライオンエア


 日本を含む東アジアへの乗り入れを計画しているライオンエアのルスディ・キラナ社長は五日、今年年末までの日本、中国、豪州への就航を目指し、長距離飛行が可能なワイドボディ旅客機十機を第二・四半期までに導入する方針を明らかにした。
 現在、ボーイング777型機、エアバス330型機の二機種を候補に、選定を進めているという。
 ライオンエアはこれまでシンガポールやベトナムへの東南アジア諸国連合(ASEAN)域内に加え、昨年、サウジアラビアに就航。ルスディ社長は「国際線の拡充を進めていく」と意欲を示した。
 また、同社長は子会社のウィングス・エアで双発プロペラ機のATR72型機の運航を開始したと明らかにした。
 パプアやマルクなど東部インドネシアを中心に、最終的に三十機を運航する。


グスドゥルが死去 第4代大統領 穏健イスラムの指導者  多様性を説いた啓蒙家

 

 華人や少数民族の差別撤廃、国軍の文民統制、思想・言論・報道・出版の自由、政教分離、多様な価値観を尊重する社会を目指し、新生インドネシアの民主化に生涯をかけたアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領(愛称・グスドゥル、在任期間・一九九九-二〇〇一年)が十二月三十日夕、死去した。六十九歳だった。インドネシア最大のイスラム大衆団体・ナフダトゥール・ウラマ(NU)の議長を務め、民族覚醒党(PKB)を創設して大統領に就任。引退後も、爆弾テロや宗教対立について発言し、社会改革の前線で活動していた。目が不自由なため、交通事故で障害を持つ妻とともに車いすで世界各国を訪問し「インドネシアは宗教や民族に寛容な共生の国を目指す」と訴えた。経済政策に疎く、理念が先走った政治は、保守的な旧勢力に足下をすくわれ、知的な大統領らしくない金や女性のスキャンダルが暴かれて政権は短命だった。しかし、米国の世界戦略でイスラム諸国が混乱する中、民主化のために大胆に発言し、指導力を発揮したグスドゥルの業績は歴史に記憶されるだろう。三十一日、生まれ故郷の東ジャワ州ジョンバンで行われた国葬には葬儀委員長のユドヨノ大統領をはじめ約一万人が参列。メディアは「国民の英雄」と呼んでグスドゥルの死を惜しんだ。
 グスドゥル死去の知らせは三十日夕、テレビやインターネットのニュース速報で国民に知らされた。息を引き取ったジャカルタのチプト・マングンクスモ病院にはユドヨノ大統領や閣僚、イスラム指導者や政党の幹部が訪れ、棺が安置された南ジャカルタ・チガンジュールの自宅には数万人のジャカルタ市民が弔問に駆け付けた。
 大晦日の三十一日、グスドゥルの棺は空軍機で東ジャワ州スラバヤ近郊の空港に運ばれた後、グスドゥルが創立したジョンバンのプサントレン(イスラム寄宿学校)のモスクで国葬が行われ、近くの墓地に埋葬された。葬儀を主宰したユドヨノ大統領は「国家と国民のために尽くしたグスドゥルに最大の敬意を表したい。彼は文化の多様性を尊重した多元主義の父だった」と述べ、国民に半旗を掲げるよう呼び掛けた。
 グスドゥルは、一九四〇年、ジョンバン生まれ。祖父はナフダトゥール・ウラマの創始者。父はその後継者でスカルノ政権の宗教相を務めた。父親は十歳の時に死去したが、教育熱心な母親のおかげで中学、高校はジャカルタやジョクジャカルタで学んだ。
 西洋音楽や黒澤明などの日本映画にも興味を持ち、社会主義者との接点もあった。六二年にエジプトに留学。カイロの名門アル・アズハル大学やイラクのバクダッド大学で宗教や文学を学び、七一年に帰国するまでアルバイトをしながら欧州各国を旅するなど二十代はもっぱら海外文化を吸収した知識人だった。
 八〇年までの三十代は、新聞や雑誌に文明評論やサッカー評を書くジャーナリストだったが、八四年、NU議長に選ばれ、独裁政治を強めるスハルト政権下で政治活動にかかわり、九〇年「民主主義フォーラム」を結成し、反政府指導者として浮上した。
 スハルト政権が崩壊した九八年、民主化時代をリードする政党として民族覚醒党を結成。九九年十月、大統領に就任すると、国軍改革に抵抗する国軍司令官兼政治・治安担当調整相だったウィラント氏を解任し、国軍を一挙に文民統制下に置き、警察軍を市民警察として分離。中国正月や中国語の使用を認めるなど華人差別を撤廃。儒教の信仰自由化など矢継ぎ早の改革を実行した。
 スラウェシ、カリマンタン、アチェで宗教対立や民族紛争が広がり、インドネシアは国家分裂の危機にさらされたが、「政教分離」「多元主義」「差別撤廃」などを国民に繰り返し呼び掛け、穏健なイスラムと民主主義を説いた。しかし、旧勢力や利権政治家によってスキャンダルを暴かれ、二〇〇一年七月、国民協議会の罷免決議で退陣に追い込まれた。
 グスドゥルが心を割って話し合った日本の首相は一九九九年十一月にジャカルタを公式訪問した際に、互いに電話でやりとりする「ブッチホン」の開設を約束した故・小渕恵三首相だった。毎週金曜日、下町のモスクでお祈りし、庶民と車座になって、改革に抵抗する勢力を手厳しく批判する発言を繰り返す一方、官邸の絨毯の上をスリッパで歩いたり、国会を「幼稚園」と呼んだりする放言で人気を呼んだ。
 小渕さんも屋台で一杯やったり、親しい人物に突然、電話をかけてきたりする庶民宰相として知られ、グスドゥルと、黒澤明や徳川家康などについての会話がはずんだ。

人間の生き方学ぶ

 「異なる宗教や小数民族の文化を尊重し、寛容で多元主義にそった民主主義」を説いたグスドゥルの考えについてコラン・テンポ紙は、三十一日の社説で「イスラムはインドネシアの国を一つにまとめ、繁栄させる接着剤だと教えてくれた。彼は保守的で臆病なイスラム、形式的、イデオロギー的、原理に凝り固まったイスラムを拒否し、イスラムは、人々を文化的に発展させ、人々が互いに交流を深めるパワーを持っていると説いた。彼は、イスラムは異なる宗教を尊重しながら、それを通じて人間的な考えを取り入れようとする人間の生き方そのものであると考えた。彼のおかげで、この国の少数民族は安心し、若い世代は、イスラムには平和をもたらす力があると理解した。こうした思想を説きつつ、グスドゥルはユーモアのセンスを忘れず、いつも打ち解け、控えめだった。この国を賢くしてくれた彼の考えを、われわれは決して忘れない」と述べている。

建設労働者2人を逮捕 バリの島田さん殺害  「誘いで長屋訪れた」


 

 先月二十六日未明、バリ島クタで日本人長期滞在者の島田裕美さん(四一)が殺害された事件を捜査していたバリ州警察本部は三十一日、クタのホテル建設現場で働いていた東ロンボク出身の建設労働者、マワルディ容疑者(三一)と東ジャワ州出身のアブドゥラマン容疑者(二〇)の二人を殺人容疑で逮捕したと明らかにした。
 調べによると、二人は二十五日夕、作業を終えた後、同僚の家でアラック(バリ島の地酒)で酒盛りをした。
 飲み足りないため、アラックを買い足そうと近くの屋台を訪れた。同日午後九時ごろ、屋台で一人で酒を飲んでいた島田さんと会い、島田さんを交えて酒盛りを続けた。
 自供によると、島田さんが「うちに来ないか」と誘い、マワルディ容疑者とアブドゥラマン容疑者の二人は、近くの島田さんの長屋に上がり込み、さらに酒盛りを続けた。
 その後、島田さんはマンディ(水浴び)のため浴室に入った。酒に酔ったアブドゥラマン容疑者は、浴室のドアを開け、島田さんに性的関係を迫ったが、島田さんは激しく抵抗した。
 マワルディ容疑者と二人で島田さんを部屋に運び、顔を殴るなどの暴行を加え、布や電話コードで島田さんの両手足を縛り乱暴した。腕時計、ネックレス、ATMカード、現金九千ルピアを奪って逃走した。
 警察の調べに対し、アブドゥラマン容疑者は「浴室には鍵がかけられていなかった。島田さんの裸が見え性欲が抑えきれなくなった」と自供。マワルディ容疑者は、島田さんがつばを吐き掛けてきたので激怒して、持っていた果物ナイフで島田さんの腹部を刺したと自供した。
 二人は観光開発が進むクタ地区で建設中の中級ホテル「ウィスマ・ビマ」の建設現場で約半年間働いていた。