いつごろからかな、ズボンのことをパンツと言い出したのは。

下着のことをパンツと呼んでいた時代が長いので、ちょっと抵抗があったように記憶してる。

ちなみにパンツはショーツと変った。

夏の間、家の中で重宝する、短パンは昔ホットパンツと呼ばれてたこともある。

今は、ショートパンツと呼ぶのかな?そこのところどう呼ぶかなんて全く興味ない分野なんで

どうでもいいことなんだけど。

最近、ユニクロのCMでステテコと言う久しぶりに聞く昭和な単語に思わずにやりとしてしまった。

じつわもう一ヶ月くらい前に、990円を2枚購入、気に入って毎日履いてる。

ボーダーと小花柄。

ズボンがパンツ、スパッツがレギンス、これはスパッツの時期が短かったようなきがする。

Gパンはデニムと言う、ショップ店員が言ってる。



 歌手なんて言わない。アーティストと呼ぶ。

流行歌というジャンルがなくなったので、歌手と言う呼び名もなくなったのかな?

流行歌ってジャンルじゃないか?家族全員で朝から番まで口づさんでいたあの歌あの曲。

商店街では、いつも流行りの曲が、ずーとかかってた。

よしみちゃんやサブちゃんをアーティストとは呼ばない。

聖子やも百恵も歌手だし。でもアムロやミーシャはアーティストかな、やっぱり。

なんでもいいや、新しい言い方なんて関係ない。

かっこ悪いことはかっこ良い。

ステテコってかっこ良い。


 
 珈琲屋さん、喫茶店の娘だったから今でも珈琲にはうるさい。

かっこばかりのカフェで、まずい珈琲を出されたらがっかり。

インスタントのコーヒーの方がよっぽど美味しいこともある。

たいてい、珈琲豆は3箇所のをいつも常備しているけれど、ちゃんとインスタントも常備してる。

珈琲ゼリーや寒天なんか冷たいデザートを作る時は案外香りがよかったりするし、一人で

ふっとコーヒーを飲みたいときなんかはインスタントを入れる。


 「ちょっとごめん。即席でいいからコーヒー入れて」

この人、コーヒーもそうやけど、ラーメンも即席ラーメンと言います。


いろんなところにアンテナ張って、新しいこと、新しいものを追いかけることの虚しさ。

あっちこっち旅行して、色んな人と知り合って交友を深める・・・ワタシいとっては

気が遠くなるような話。

まあ、歳とったということにしときますが、若い時からそうです。

世間から、置いてきぼりにされる安堵感が好きです。

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この子もやっぱり、猫社会からはみ出した子。トニー・レオンです。

そして、この子は7匹の兄弟の中、幸運にも生き残った子で、ハミングといいます。

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里親会のデビューで、「かわいいー」と言われながらも、お迎えに行くと待っていました。

「あかんかったかぁー」

「もう、ええやんか、ウチの子にしようよ」

即席ラーメンのおっさん、妙に情が深いんです。


 斜め前はお米やさんです、近所なのにそこでお米を買いません。


お米は、ツレの姉が持ってきてくれるので買ったことありません。低農薬で、はぜ掛け米ですから


お米やさんで買う最高に美味しいお米の何倍も美味しいお米をいただいています。


贅沢させてもらってます。この場を借りて「初江ねーさん、いつもお米ありがとう」


初江ねーさんとこには、ゴールデンレッドリバーが2頭いて、以前ウチにも1頭いたときは


その子のドッグフードも、一緒にもらっていたので、人間も犬も初江ねーさんが食べさせて


くれていました。


「2頭も3頭も一緒やから」といって、ネットで買う高いドッグフードを10年間運んでくれました。


 斜め前のお米やさんではお米は買わないけれど、お店の前の自動販売機では常連です。


お茶の種類が沢山あるし、たいていはジンジャエールを買います。


さきほどは何ヶ月ぶりに、泳げたい焼き君に出会いました。


お米屋さんの奥さんです。店先に出たことがあまりないので出会うことがめったにないんです。


「泳げたい焼き君」と言うネーミングは、もちろんその歌を歌った歌手のヘアースタイルと


お米やさんの奥さんの頭が同じだからです。


でも、町内の人達はどう呼んでいるのかは? ・・・ どうも呼んでいないと思いますが。


その泳げたい焼き君が


「おかしな天気じゃねー、まあ人もおかしい人ばっかりやけど」


「はい」


たぶん、ワタシの事を言ってるんだと思います。


この会話は、いつも同じです。


そんな、おもしろい頭をしたお米やの奥さんと、頭の中がおもしろいワタシの住んでいる町内は


たいしたお金持ちが住んでいるような住宅街ではなく、まあ商店街から近い下町といったところ


です。


 隣の家は以前ブログに書いたかと思いますが、共産党員の一家でして、すでに空き家になって


20年以上になります。よってほとんど壊れかけています。


 裏にも1件空き家があり、ワタシが丹精込めて(?)いじくっているベー子ガーデンは2方が


壊れかけた家に囲まれでいます。


南方向のみ、元気のよい85歳のおじいさんとその息子の二人くらしの家があります。


キンチョウのCMの、岸部一徳と大滝秀治の父と息子のような家族です。


ブロックの塀越しに「奥さん、精がでますね、愛情1本」と言って冷えた1本を出してくれます。


気の利くおじいさんですが、車椅子の奥さんが在宅だったころ、若いヘルパーさんに無理やり


キスをしていたのをツレが窓から見て


「気色悪い」と言ってました。


草取りしていると、窓越しにじとーとした視線を感じます。


さすがに、キスは強要されたことはありませんが、空きあらば、エッチなことを言いそうです。


その塀の手前に、とうとう念願の温室を作ることにいたしました。


「愛情1本」をいただくことが出来なくなります。


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うまく撮れてませんが、ブロックの塀がありますね、そこに作ります。

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これは、藤の棚から見た庭です。少し前の写真ですが、この家も誰も住んでいません。


バカチョンカメラの中に、最新の写真が入っていて、PCに取り込んでないようです。


よって、温室準備中の写真は次回に載せます。


ちなみに、ワタシの普段のかっこうはこうです。




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すかっと伸びた足を久留米がすりのもんぺに包み、ジャンクガーデンに精を出しています。


右にちょこっと見える運動靴はツレの間抜けの小足です。


最近、ブログ記事のスイッチがなかなか入らなくて、トニー・レオンと言う名の新しい子猫のことや


7匹の中の生き残りのハミングことハミちゃんのことなど書きたいんですが、今現在、前頭葉の故障


です。


忙しく飛び回っている、ブログのお友達Toshyちゃんが、定期的に「元気?」と言ってくださる


ので、今夜はなんとかPCに向かいました。サラリーマンEROさんも最近更新が途絶えてるので


心配です、仕事が無茶苦茶忙しいと言っておられたので。


猫博士のがたちゃんも今名古屋かと思います。名古屋から帰ったらまーまどんが帰ってきてるかも


しれんよ。


とにかく、ベー子は雨季独特のどんより気分を払拭すべく、猫の額と格闘しながら体調を整えています。





 5月31日

「グランド・マスター」と「オブリビオン」が同日公開。


ハリウッド・アクション劇大好きなツレはトムの「アウトロー」を見逃していたので


「オブリビオン」を観るとはりきりまくり。


でも、ワタシ、トムじゃなくてトニーがええー


じゃあ、じゃあ、両方観るべぇー


同じ日には、体力的に無理なお年頃。


先に、トニー、次の日にトムにするということで、連日お天気もよくないし、満席であろうと予想


ちゃんと座席を指定しておこうよって言ってながらそうしない二人。


トニーは早くに行って、お茶をして余裕をもって、いつもの後方右端の座席を確保。


次の日のトムが最悪、出かけようとしたら、大工の金ちゃん、ツレの同級生、


ワタシの数少ないファンの一人。


久しぶりにやってきて話が長い。





駐車に時間がかかり、エスカレーター満員、嫌な予感的中


「まだ、予告編です。本編始まってませんけど二人並んだお席が・・・」


前から5番目の列、ちっと腰をずらして観ればなんとか我慢できる座席。


「ハートロッカー」は、前から2番目の列で、ツレは途中で気分が悪くなり出ちゃったし。


でも、今回は5番目やさかい。


 さあー始まったでぇー


ツレの理解を超える近未来・地球侵略モノ。


途中から寝息が聞こえなきゃいいけど。


エイリアンに侵略された汚染された地球を監視する、一組の人間の男女。


なのに最後まで、エイリアン最後の最後まで出てこない。


そんで、男女一組しか地球にいないはずなのに、モーガンフリーマン率いる生き残りの人間達


これ最初は、エイリアンなのかな?と思わせる演出です。


被り物なんだけど、どう見ても、プレデターの扮装。ワタシはこの時点で物語がわかってしまった


という、まあエイリアンモノ、地球侵略モノ、のプロとしてはモーガンが出てきた時点で


エンドもわかっちまったって感じです。


さて、映画の感想がマジでヘタクソなワタシなので、ネタバレも書いてしまいそうなので


どうしよう。


トムのファンの方、SF好きな方は、おもしろいと思います。是非かと言われるとうーんと


いう感じです。「猿の惑星」と「マトリックス」が基本にあるような。


最後、ツレとワタシが顔を見合わせた、たった一度の瞬間があったのですが。


よくぞ最後まで、寝息たてなかったな、偉いぞ。


汚染された地球、とりもどせないけれど、残された人類がなんとかやってこうやと言うときに


なぜか一枚の画が・・・


ツレとワタシの好きな画家ワイエスの画が大写しで出てきます。


国立図書館なんか、廃墟になっていたりして本が無茶無茶になってるんですが。画が無事だった。


遠く農機具小屋が小さく見える丘のこっちに横たわってそっちを見ているやせた女が一人。


ワイエスは、失くしてしまったものへの郷愁を思わせる画風。


妻ではない、特定のそんなに美しくない一人の女性を何枚も何枚も描いたり


地平線の向こうを描いてはいないけれど、画を見る者それぞれに心で見よ・・・みたいな画を描く


画家でして、これはワタシなりの解釈でしてそうではないかもしれないんですが。


物悲しい、切ない、ノスタルジック、傷口が開きかけるような、そんな画です。


アメリカン・リアリズムの代表的な作家です。


監督が好きな作家だったのでしょうか、最後のシーンにはふさわしい画だったかなと思います。


話は映画から離れるかもしれませんが、あーそうでもないかな?


「エッセンシャル・キリング」という戦争映画?なんですが、これ大好きブログの「のしん」さん


が好きな映画と言われていたので、見た映画なんですが、DVDを借りて。


この映画の感想もイメージとしてワイエスの画を思い浮かべましたことを思い出しました。


最後、どこまでも続く氷原に白い馬が遠くにいる画面なんですが、ワイエスの画そものもの


ような気がしました。


地球がどうにかなってしまった後、自然が壊れてしまった後に


絶望の中で生き残った人類が想うものとは、失くしてしまったものの大切さ、取り戻せないけど


なんとか、なんとか心細く、消えてなくなりそうだけど、生きる希望をどうにかして見つけたい


というような気にさせる画。


なんでしょうか・・・?


さて、トムの「OBLIVON]の感想になってないようなんですが、すみません。


エンドロールが始まってまだ館内が暗いうちにせっかちな二人はすぐに出てしまうんですが、


ふと後ろを振り向くと、なんとワタシたちよりもすこしばかりお歳をめされたご夫婦がてんこ盛り。


老人会かい?えーーー?


夫婦割引でお一人様1000円で観ることができます。


でも、どうかしら?トムはハリウッドきっての知名度はナンバー1の俳優ですが。


このSF物語、わかったご夫婦いらっしゃったかしら??


最後に残った主人公のトムは、本当のトムではなくクローン52号だったんですよ。


列の最後のご夫婦のお顔は、混沌としたお顔をしてらっしゃいましたけど・・・


お好み焼きを食べながら、ツレには説明を入れましたが、大きな誤解はなくなんとか


わかっていたようです。


ワイエスの画が使われていたことに感動しておられました、監督がすばらしいぃーと。


長い記事になったしまいました。


最初の日に観た「グランド・マスター」のトニーとトムはともに50歳。


トニーの4年がかりの武術習得の素晴らしさとトムの腕の筋肉にぽっかりと口があいたままの


同年代のワタシ、飼い猫弥太っぺの腹のぶくぶくと競争してる日々に恥じ入ったのでした。


「トニー・レオン、いつまでも男前やけど、あの団子鼻はあんたとええ勝負してるよ」


葉問(イップ・マン)の役柄の時には気にならないんですが、素顔のトニーの鼻は確かに


ワタシのそれと同じかっこ、同じ肉ずき。


相手役のチャン・ツッイニーの鼻の薄さに、思わず自分の鼻を触ってしまいました。


どちらか一方を見に行かれるのでしたら、「グランド・マスター」をお勧めいたします。


日中戦争時の時代なんですが、特に日本を悪く描いてはいませんでした。


ちっと歴史認識の違いもありますが、あの程度なら許せます。


ブルース・リーが好きな方なら絶対お勧めです。


以上映画2本の感想記事、お粗末。


トニーの皺は浅い、トムの目じりの皺は深い・・・











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    ポテトサラダならぬ南瓜サラダ

    マヨネーズ味だけど

    塩コショウがけっこう利いてる。




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   料理の本は、手にすると、どうしても買ってしまいますが、

  この本は、真夏に雪が降るんじゃないかってくらいの奇跡

  ツレの贈り物。真夏に雪ってしょうもないたとえ・・・?他にないの?

  「あんた、この人こんな本出してたの知ってた?」

  この人の本によると、この南瓜のサラダにトマトが入るんですが

  ちょっとウチ方は・・・きゅうりだけにしました。

  お料理もですが、それを盛った雑器の趣味が、ワタシの持っているそれと

  よく似た趣味で、ちょっと嬉しくなってきます。

  この人の小説は、早くから映画になってまして、原作より先に映画を見てしまう

  こともしょうっちゅうでした。

  なので、原作か映画かよく覚えていない。

  「雁の寺」や「五番町夕霧楼」など、自身の禅寺での経験を書いた本は、本も映画も

  ヒットしたように思います、映画の方は、たいていはテレビかDVDで見ています。

  エッチなお師匠さんが出てくるんですが、子どもの頃しか覚えてない祖父のことを

  思い出して、ちょっと嫌な感じでした。

  祖父は永平寺で何年も修行した住職でして、生涯を通じて精進しか口にしませんでした。

  でも、奥さんを2度かえています。最初の妻との一人っ子が母です。

  夫32歳、妻17歳・・・やっぱりおじいちゃんエッチやったんかな?

  17歳の妻は、18歳の時一大決心をして、乳飲み子の母を背負って実家へ帰り

  二度と、お寺へ帰らなかったといいます。何があったんやろか?

  母も父方の妹の大坂の叔母の処へ行くまでは、肉魚を口にしたことがなかったと聞きました。

  まあ、箍が切れたように、牛肉やお刺身が大好きな母でしたが。旨いもん喰いです。

  大坂の叔母夫婦には、子どもがいなかったので母は思いっきり甘えて大きくなったようでした。

  そんなこんなで、ワタシは母の奨めでフランス料理を習ったり、日本料理のおもてなしコース

  を勉強したりしたんですが、なんだか最後はマクロビオティックを勉強し、野菜や玄米の世界

  に首をつっこむことになりました、乳製品や魚肉を全く使わないお料理なんですが、今は

  食べたいものを食べたい時に食べています。

  でも、美味しい野菜が一番です。


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  この鰹節削りはワタシが小学校の頃から使っています。

  袋は弥生君6,5キロが引き裂きました、夜のうちに、彼は寝ずにいろんなことを

  やっていて、朝が楽しみです・・・




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 こうやって、椎茸も自分で干してお出汁に使います。

 椎茸がてんこもりになってますが、広げて干さなあきませんよ。

 ちょっとだけ干して、甘辛く煮付けたりしても重宝します。


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  欠けてしまったお皿などは、金接ぎして使います。

  真夏に雪のツレが、半年待ったらやってくれます。速攻で半年です。長いものは5年前の

  欠けたお茶碗がそのままです。



  
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 牛蒡のかき揚

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 おたふく豆のご飯


 こんなんをこしらえて、義母の裏庭の整理を3年かかってここでご飯食べれるようにしました。


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 弥生君、小さい時は女の子だと思ってつけた名前でしたが、キンタマ摘出手術も受けた

 りっぱな男。よって名前を変えることにしました。

 りっぱな男ですが、りっぱなのは体格だけ、精神面では幼稚園児

 スーパーの袋が大好きです。

 
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   弥生の弥はそのままに

   弥と言えば

   「関の弥太っぺ」

   錦ちゃんこと中村錦之助の股旅モノです。

   よって、股旅演歌が十八番のおばちゃんがゴットファーザーとなって

   これより、

    弥太っぺと呼ぶことにしました。

 
       『ごめんなすって・・・手前、関の弥太朗と申しやす

        おかみさん、しばらくの間この子を預かって貰う訳には

        いきやせんか。

        なあに、すぐに迎えに参りやす

        よろしゅうお頼の申します』


     ということで、無駄に長い今夜の記事をこの辺でお開きにいたしやす。

     

  ☆ 大坂市長や、韓国の売春婦いえ、慰安婦の方の話も書いてはみたいのですが

    なんせ、高校時代の在日の友人との友情物語があるので、韓国や朝鮮は嫌いですが

    「月はどっちに出てる」のタクシー運転手仲間のセリフ:

    「おらぁ、朝鮮人は嫌いだけど、忠男は好きなんだな」ということで

     ご存知のように、原作、監督両者在日コリアンです。

     今回の記事を日々これ料理物語としました。

  

 

 

 本日の記事のタイトル「トラ トラ トラ」は

 「ワレ奇襲に成功セリ」ですが、内容はそうではありません。

また大東亜戦争がどうのこうのと書いてるのかとうんざり顔でユーターンしないでいただきたい。

できれば読んでいただきたい。

花鳥風月、家族の幸せ、人類皆兄弟、世界平和をよしとされている方も読んで損はないと思い

ますが、ナンノトクニモナラヌ人もイルカモシレマセン。  

 先の記事で、チャップリンの運転手虎市さんの話を書きました。

「トラ トラ トラ」・・・なんだかもう一人トラのつく人がいたぞ、ということで。

今日は同じ寅でも草団子屋のフーテンの寅さんと同じ寅の字の吉田寅彦先生の話を書きます。

吉田虎彦先生と先生をつけるのは、彼がかの夏目漱石が熊本六高で英語教師をしていた時の生徒で

でして、後に「我輩は猫である」の中の登場人物、科学者であり、文学者である『水島寒月先生』の

モデルになった人だからです。と言いたいところですが、そうではないんです。

 彼のことを呼び捨てにしてはいけないような気がするのです。

平気で、太宰だの夏目だの三島だのと呼び捨てにしているくせに・・・

尊敬は尊敬なんですが、ちょっとワタシの中で違うんです。どう違うかというと、三者に対しては

その名前がグッチだとか、エルメスだとか、シャネルだとか・・・ブランドなんです。

皆が知っているブランドなんです。

吉田虎彦先生は、皆と共有しないでいいんです。ワタシの先生でいてくださるんです。

もちろんワタシの好きな時代、明治の生まれです。

明治11年に誕生、昭和10年に58歳で亡くなりました。大正が短いですからね。

物理学、地球物理学を研究される傍らで、夏目漱石に教えを受け、文学的才能をも目覚めさせます。

俳諧、画などの才能もあり、多才な人物であったようです。

 とても古い本ですが、これは母の本棚から見つけた本でして、大事にしている一冊です。

母はそれはもう本に埋もれていないと眠れないというほどの本好きでしたが、亡くなる3年ほど前に

全てを図書館に寄付して、手元には数十冊の本しかありませんでした。その中の一冊です。

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実を言うと、しばらくはこの本はワタシの古いモノ好きの中の本部門の一冊でしかありませんでした

表紙の装飾が好きだったんです。この手の柄はこの時代よくあって、何冊か古本屋で求めて持って

いたので、一緒に並べていただけの本でした。

 ある日、退屈まぎれにページをめくると、そうですパンドラの箱を開けたような驚きが最後の

ページまで続いたんです。そんな本はそうたくさんあるものではありません。

寺田寅彦先生が書かれたたくさんの随筆の中からの選集編として弟子が出された本でした。

そして、調べてみると先生の本は、ワタシが知らなかっただけで、平成になっても再版を続ける

愛読者の多い本であったのです。

 素晴らしい光り輝く随筆が、次々と書かれてあり、その一つ一つに頭をつんつんと振りながら

笑ったと思ったら、泣いていた。もうそれは随筆の真骨頂というべきものでした。

そんな随筆は、他にもあるのですが、先生のそれは、格調高く、とても品のいいものでした。

あー、なんだか生意気すぎる言い方。こんなことは文学評論家が書いていることでしょが、ワタシの

ようなチンピラでもそう感じたのです。

読み進んで最後の最後、26編目の「科学者とあたま」と言う随筆に、大切なことを教わりました。


     「いわゆる頭のいい人は、いわば脚の早い旅人のようなものである。

      人より先に人のまだ行かない処へ行き着くこともできる代わりに、

      途中の道端或いはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす

      恐れがある。頭の悪い人、脚ののろい人が、ずっと後から遅れて

      来て、わけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある。」



 「あたま」という言葉、またよしあしの定義は曖昧不鮮明なので、どう読みとるかは読者の

判断、人それぞれでありますが、無駄に過ごしてはいけないが、先を急いでばかりもいけない

無駄であっても、後にその無駄に何かを教えられる場合もあることでしょう。


ソメイヨシノの並木の下での飲め歌えの宴会のために、とにかく人より先に場所をとるために

駆け足で出かける人は、その土手に咲いた精一杯のたんぽぽを踏みつけてしまう恐れがあると

そんな風に、思ったワタシでした。

急がなくても、たんぽぽをよけて茣蓙を敷き、日本人のソウルフードのおにぎりを食べる。

焼肉は好きですが、隣から漂ってくる匂いとカラオケのだみ声を聞きたくないので、春の遠足は

山櫻を見に出かけます。

櫻は日が当たらないと花が咲きません、里山の櫻は誰も殺虫剤などでケアしてくれないので

なんとか日の当たる方を向いて、一生懸命です。楓や紅葉や松などが邪魔をして、日が当たらない

ところは咲くことができませんが、それが風情というもの。

何かに対して慮る心。

それを大切にしながら、無常迅速な人の世ではありますが、急がなくても、急いでも、形あるものは

滅してしまうもの、なら自分の歩調で寄り道しながら歩けばよいかな。

物理学者であった寺田先生の俳諧

『哲学も科学も寒き嚔かな』

風流人であった一面が明治の男の勲章のようで好きです。

チャップリンの心の友であった虎市さん、昭和の山頭火、句は読まないけれど弱い人間の優しさが

本物の強さだと教えてくれたフーテンの寅さん、そして寺田寅彦先生、トラ トラ トラ。

三人三様ではありますが、日本男児、ワタシも含め先人達の心に触れなければと思うのであります。