本日の記事のタイトル「トラ トラ トラ」は

 「ワレ奇襲に成功セリ」ですが、内容はそうではありません。

また大東亜戦争がどうのこうのと書いてるのかとうんざり顔でユーターンしないでいただきたい。

できれば読んでいただきたい。

花鳥風月、家族の幸せ、人類皆兄弟、世界平和をよしとされている方も読んで損はないと思い

ますが、ナンノトクニモナラヌ人もイルカモシレマセン。  

 先の記事で、チャップリンの運転手虎市さんの話を書きました。

「トラ トラ トラ」・・・なんだかもう一人トラのつく人がいたぞ、ということで。

今日は同じ寅でも草団子屋のフーテンの寅さんと同じ寅の字の吉田寅彦先生の話を書きます。

吉田虎彦先生と先生をつけるのは、彼がかの夏目漱石が熊本六高で英語教師をしていた時の生徒で

でして、後に「我輩は猫である」の中の登場人物、科学者であり、文学者である『水島寒月先生』の

モデルになった人だからです。と言いたいところですが、そうではないんです。

 彼のことを呼び捨てにしてはいけないような気がするのです。

平気で、太宰だの夏目だの三島だのと呼び捨てにしているくせに・・・

尊敬は尊敬なんですが、ちょっとワタシの中で違うんです。どう違うかというと、三者に対しては

その名前がグッチだとか、エルメスだとか、シャネルだとか・・・ブランドなんです。

皆が知っているブランドなんです。

吉田虎彦先生は、皆と共有しないでいいんです。ワタシの先生でいてくださるんです。

もちろんワタシの好きな時代、明治の生まれです。

明治11年に誕生、昭和10年に58歳で亡くなりました。大正が短いですからね。

物理学、地球物理学を研究される傍らで、夏目漱石に教えを受け、文学的才能をも目覚めさせます。

俳諧、画などの才能もあり、多才な人物であったようです。

 とても古い本ですが、これは母の本棚から見つけた本でして、大事にしている一冊です。

母はそれはもう本に埋もれていないと眠れないというほどの本好きでしたが、亡くなる3年ほど前に

全てを図書館に寄付して、手元には数十冊の本しかありませんでした。その中の一冊です。

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実を言うと、しばらくはこの本はワタシの古いモノ好きの中の本部門の一冊でしかありませんでした

表紙の装飾が好きだったんです。この手の柄はこの時代よくあって、何冊か古本屋で求めて持って

いたので、一緒に並べていただけの本でした。

 ある日、退屈まぎれにページをめくると、そうですパンドラの箱を開けたような驚きが最後の

ページまで続いたんです。そんな本はそうたくさんあるものではありません。

寺田寅彦先生が書かれたたくさんの随筆の中からの選集編として弟子が出された本でした。

そして、調べてみると先生の本は、ワタシが知らなかっただけで、平成になっても再版を続ける

愛読者の多い本であったのです。

 素晴らしい光り輝く随筆が、次々と書かれてあり、その一つ一つに頭をつんつんと振りながら

笑ったと思ったら、泣いていた。もうそれは随筆の真骨頂というべきものでした。

そんな随筆は、他にもあるのですが、先生のそれは、格調高く、とても品のいいものでした。

あー、なんだか生意気すぎる言い方。こんなことは文学評論家が書いていることでしょが、ワタシの

ようなチンピラでもそう感じたのです。

読み進んで最後の最後、26編目の「科学者とあたま」と言う随筆に、大切なことを教わりました。


     「いわゆる頭のいい人は、いわば脚の早い旅人のようなものである。

      人より先に人のまだ行かない処へ行き着くこともできる代わりに、

      途中の道端或いはちょっとした脇道にある肝心なものを見落とす

      恐れがある。頭の悪い人、脚ののろい人が、ずっと後から遅れて

      来て、わけもなくその大事な宝物を拾っていく場合がある。」



 「あたま」という言葉、またよしあしの定義は曖昧不鮮明なので、どう読みとるかは読者の

判断、人それぞれでありますが、無駄に過ごしてはいけないが、先を急いでばかりもいけない

無駄であっても、後にその無駄に何かを教えられる場合もあることでしょう。


ソメイヨシノの並木の下での飲め歌えの宴会のために、とにかく人より先に場所をとるために

駆け足で出かける人は、その土手に咲いた精一杯のたんぽぽを踏みつけてしまう恐れがあると

そんな風に、思ったワタシでした。

急がなくても、たんぽぽをよけて茣蓙を敷き、日本人のソウルフードのおにぎりを食べる。

焼肉は好きですが、隣から漂ってくる匂いとカラオケのだみ声を聞きたくないので、春の遠足は

山櫻を見に出かけます。

櫻は日が当たらないと花が咲きません、里山の櫻は誰も殺虫剤などでケアしてくれないので

なんとか日の当たる方を向いて、一生懸命です。楓や紅葉や松などが邪魔をして、日が当たらない

ところは咲くことができませんが、それが風情というもの。

何かに対して慮る心。

それを大切にしながら、無常迅速な人の世ではありますが、急がなくても、急いでも、形あるものは

滅してしまうもの、なら自分の歩調で寄り道しながら歩けばよいかな。

物理学者であった寺田先生の俳諧

『哲学も科学も寒き嚔かな』

風流人であった一面が明治の男の勲章のようで好きです。

チャップリンの心の友であった虎市さん、昭和の山頭火、句は読まないけれど弱い人間の優しさが

本物の強さだと教えてくれたフーテンの寅さん、そして寺田寅彦先生、トラ トラ トラ。

三人三様ではありますが、日本男児、ワタシも含め先人達の心に触れなければと思うのであります。