青森 番外編2 | (続)ワタシ、サビてます。

(続)ワタシ、サビてます。

個人の日々の”よしなしごと”を、ただ綴っています。

(青森旅行、予定外の3日目備忘録)

人生初のフライト欠航を経験した青森旅行。

 

名古屋空港出発時に「気象条件によっては引き返す」というアナウンスを聞き、「旅行取り止めになるくらいなら、帰りに青森で欠航になった方がいいじゃん」と、冗談を言った。

 

それが言霊になるとは・・・。
 

欠航日の天気は雪時々曇りだが、強風のせいもあり、名古屋発の昼、午後の2便が欠航し、青森から飛ぶ機体が無かったとみる。

 

旅行日が1日増えたので「棟方志功記念館」と「青森県美術館」へ行くことに。土産物で膨らんだ荷物は、チェックイン後に東横インに預かってもらい出発。

 


青森駅の観光案内所で各方面のバス時刻表をもらい(安定のアナログ)、バスを待っていた。

 

乗り場で御年輩の夫婦と、何かのきっかけで言葉を交わしたところ、同じくフライト欠航に遭った方達だった。しかも、ご夫婦の場合、午後2時のフライトが欠航になった後、振替えを期待したフライトも欠航になり、結局、昼~夕方まで空港にいた、私達より「お気の毒な」方々だった。

 

サンルートに空室が少なかったのは、欠航のツアー客で埋まっていたからなんだ。

 

 

(冬の展示 板極道(ばんごくどう))

 

(池泉式回遊式日本庭園)

 

(校倉(あぜくら)造りを模した建物)

 

記念館までご一緒したご夫婦は、空港へ行く前の短い時間で観覧され、「お先に」と去って行かれた。

 

記念館は、棟方志功氏の”文化勲章受章を称え、芸業を後世に伝えるため”、1970年に開館し、作品収蔵数も国内最多とのこと。残念ながら、今年3月末をもって閉館し、作品は青森県美術館に移管される予定らしい。

 

館内を2階に上がる途中の壁に、棟方氏の大きな写真が飾ってあるのだが、シャチホコばった印象が一つもない良い写真だった。

 

ロビーでは、38分のドキュメンタリー映像が繰り返し流されている。ちょっと長いんだけど、その生涯をざっと知るには良い。

 

1年4期で作品入替えがある展示室は「少な目の作品数でも1点1点じっくり見て欲しい」という、棟方氏の希望による広さらしい。記念館最後の期は「板極道」(棟方氏の自叙伝のタイトル)。閉館予定を知らずに青森に来て、予定外に「棟方の生涯の芸業を展観」を観られたことは、怪我(フライト欠航)の功名だ。

 

「大和し美し板画巻」をはじめ、50点あまりの展示。作品一つ一つが「**の柵」とされている。柵=”四国巡礼者が寺に納める札”のことらしいが、棟方氏が祈りを込めて彫った姿勢を表わすものである。

 

絵描きを目指すに影響を受けたのが、ねぷた絵師、棟方忠太郎氏(志功の親戚)とのこと。

ちょっと逸れるが、以下の画像は記念館のものではなく、弘前のねぷた村の展示コーナーで紹介されていた資料(実物は弘前市博物館にある)。

 

 

鏡絵(表)でアメノウズメが舞うと、見送り絵(裏)でアマテラスが岩戸から出てくる、志功次元の発想と表現による扇ねぷた!

 

また、岡山の児島で「二菩薩釈迦十大弟子」が彫られた寺院の壁を見たが(過去記事★)、まさか、記念館では実物を拝めるとは。ミュージアムショップで、二菩薩のゴム印が売ってて、思わず買いそうになったわ。

 

昔、母が、デパートの展示会か何かで棟方氏の画集のようなものを買ってきた記憶がある。日本の民藝運動の主唱者である柳宗悦らが、棟方志功に大いに影響を与えたというので、母の民藝趣向好きに、棟方作品もハマったのかもしれない。

 

色鮮やかな作品は、板画を摺った後、裏から着彩していると知る。なるほど。でも、私は、着彩のない板画作品が好き。

 

そして、棟方氏の大作を前に、無性に京都の”御池煎餅が食べたくなるのは、私だけだろうか・・・。

 

(つづく)