収束の気配すら感じない、コロナウィルス感染拡大。

今なお猛威を振るっているが、ワクチン接種も並行して進み始めている。

そんな中、2回のワクチン接種を終えた。

 

第一回目ワクチン接種

7月11日(日)

13:30 モデルナ接種

23:00 典型的な「モデルナアーム」で接種部位の疼痛

23:30 軽い副反応で睡魔に襲われ、不眠症の私には奏功し、快眠

 

第二回目ワクチン接種

8月8日(日)

14:15 モデルナ接種

接種後数時間は嵐の前の静けさか、余裕すら感じる。

しかし、噂通りその副反応はキッチリと訪れた。

 

それは就寝後、真夜中から襲ってきた。

8月9日(月)

4:00 37.8度

6:00 38.2度

8:30 38.5度

11:00 38度

 

39度までなら、解熱剤は飲まずにいこうと思っていたが(やせ我慢)、そうも言ってられなくなった。

というのも、解熱剤を飲むと、発熱のピークと減衰するポイントが分からなくなると思い、なるべくならと我慢しようとしたが・・・。

 

13:50 1回目解熱剤服用 (さすがに、38度台が続くのは、辛いものがあり諦めた)

19:30 38.5度 (解熱剤の効果が切れたか)

19:40 2回目解熱剤服用 (一度安らぎを覚えると、飲まずにはいられない)

 

解熱剤が効いてきたところで、早めの就寝。

 

8月10日(火)

4:10 37.2度

6:10 37.4度

統計では、発熱は丸一日との事だったので、しばらく様子をみることに。

9:30 36.9度

12:30 36.8度

 

~まとめ~

2回目の接種は、予想以上にキツかった。

やせ我慢せず、解熱剤を飲むべきだった(笑)

 

発熱中は何も食べる気がせず、無理に食べても味がしない。

味がしない→美味しくない→余計食べない。

なので甘い物や味の濃いものが欲しくなった。

 

用意しておいて、良かった物。

ポカリスエット

好みのアイスクリーム

味の濃い食べ物、甘めのパンなど

 

ここまでして、ワクチン接種を受けないといけないのかと考えたが、

この丸一日を乗り越えれば、「安心と安全」が得られると思うと、我慢した甲斐はあったと思う。

 

引き続き、感染症対策は気を緩めず努めたい。

 

好みの音楽ジャンルは人それぞれで、その好みは時に変化することもある。

私は、今ではクラシック音楽をよく聴く『偏食』な人間。

去年、生誕250周年を迎えたベートーヴェン。クラシック音楽史上、彼の手により大きく楽曲の可能性が広がった最も重要な作曲家であり、私の好きな作曲家の一人である。

 

最近お気に入りのベートーヴェン…

☆ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」作品106 全楽章

☆交響曲第5番 「運命」第4楽章

☆交響曲第9番 第1,2楽章

☆ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 第2番 作品50 ヘ長調

 

しかし、中学生の頃はよく洋楽を聴いていた。

ジョージ・ハリスン、アレサ・フランクリン、カルチャークラブ、エリック・クラプトン・・、などなどすぐに思い出すのはこの辺り。

ジョージ・ハリスンの 「Got My Mind Set On You」は、CDに穴があくほどリピートして聴いていた。立ち上がりのドラムが好きだった。

洋楽はノリ(特にドラムとベース)、邦楽はメロディで聴いていた。

そのせいか、高校時代はバンドでドラムを…。

 

傍らクラシック音楽も(ちゃんと)聴いていた。
我が家にはクラシック音楽のCDやレコードといった類のものは一枚もなかったので、その頃自ら初めて近所の “レコード屋” へ。

隅~っこに追いやられた、ジャズとクラシックコーナーの中から探した記憶がある。

その時買ったアシュケナージのショパンの舟歌もよく聴いた。

彼の舟歌を聴くと、当時の記憶や感情がすぐに蘇る。

 

今思い返せば、その頃から片鱗をうかがわせる事はあった。
クラシック音楽を聴きながら、よく指揮をしていた。
「これなら、ずっとしていたい」と思った。

「ピアニストや指揮者になる」という概念はなかったが、クラシック音楽に浸ることは好きだった。

(浸るというか、音楽の中に入り込んでいく)
その後も、ピアノを弾いている時が一番素になれ、唯一ニュートラルな自分を感じられた。
今レッスンでも、私は『楽譜は人生の縮図』とよく言っているが、まさに私にとって楽譜と向き合う事は、自分自身と向き合う事。

日常生活の全てが演奏に影響し、楽譜と向き合う姿勢も全て日常生活に反映する。

 

音楽は、「良い演奏」というのが確かに存在する。しかし、それは決して一つではない。

色んな良い演奏がある。逆も然り、聴き辛い演奏も存在する。

そして、良い演奏に向かう手段も一つではなく、色んな方法論がある。

 

「良いもの」とは、妥協せず思考錯誤し、その時点で納得できたもの。

誰かの真似をして、教わって出来たものは、良いものではなく、上手なもの。

教わって、真似して、自分で試行錯誤して、納得できたものが『本物』で良い物。

本物とは、「本人の物(自分だけの物)」。

その領域には、誰も立ち入ることはできず、もしその領域に入るなら、敬意を払うべきだろう。

私はいつも、生徒さんの演奏には暖簾をくぐるように入っていく。

「ごめんくださ~い」

 

そして、もし生徒さんが納得できたなら、それは彼ら自身のもの。

 

「理解と納得」だろうか。

情報を得て頭で理解し、自分で実践できて初めて納得する。

おそらく演奏の場合、理解した事が自身で再現(演奏)できなければ、納得できない。

 

 

最後に、

自分の好みというのもある。

これも自分(演奏)と向き合う上では重要で、この「好き嫌い」はしっかりと意識する必要がある。

これこそが、自分の物へと繋がっていく手がかりになる。

 

 

P.S.

今夜、16年ぶりに来日したバレンボイムのコンサートに行ってきた。

お疲れ気味だったのか…

貫禄というより、完熟された演奏だった。

遅ればせながら、今年も宜しくお願い申し上げます。

 

ウィズコロナでスタートした2021年。

このウィルスがもたらす日常生活への影響は計り知れない。

しかし、ピンチはチャンス、人間というのは考え方一つでどうにでもなる。

一人で過ごす機会が多くなったコロナ禍で、自分の事をたくさん考えるチャンスが訪れた。

そして、色んな欲やモノにまみれていた事にも気付いた。

 

自分にとって、本当に必要な物、大切な人、大事なことを取捨選択する感覚が湧いてきた。

『唯我独尊』、自分ほど尊いものはなく、自分の感覚ほど大切なものはない。

自分が尊いからこそ、他人も尊く思うことができる。

ピアノ演奏にも共通すること。

人も音楽も、正解や不正解はない。

しかしどちらも、自分の感覚を大事にはするが、傲慢であってはならない。

 

言葉や表記などもそうだが、利益・保身・打算・嘘といった見えない“魔物”も潜む玉石混交の中から、いかに自分の感覚で取捨選択するか。

自分の感覚は自分にしか分からず、自分で淘汰させるしかない。

 

 

余談

私がよく聴く音楽は、作曲家や演奏者、曲といったものではなく、演奏そのもので選ぶ事が多い。

自分の好きな“演奏”を見つけるのに一苦労するが、最近はそれを探す時間が増えた。

ベートーヴェンのピアノソナタ Op.106 「ハンマークラヴィーア」は、全楽章私の最も好きな曲の一つなのだが、ステイホームのお陰?で、やっと自分の感覚にスッポリおさまる演奏が見つかった。

それは、マウリツィオ・ポリーニ演奏のハンマークラヴィーア。

彼の他のベートーヴェンは聴いたことはあったが、私にはスッポリではなかったので、この曲は不覚にもノーマークだった。

 

 

 

しばらくはステイホームで、演奏探し(自分の感覚探し)の旅は続きそう。