好みの音楽ジャンルは人それぞれで、その好みは時に変化することもある。

私は、今ではクラシック音楽をよく聴く『偏食』な人間。

去年、生誕250周年を迎えたベートーヴェン。クラシック音楽史上、彼の手により大きく楽曲の可能性が広がった最も重要な作曲家であり、私の好きな作曲家の一人である。

 

最近お気に入りのベートーヴェン…

☆ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」作品106 全楽章

☆交響曲第5番 「運命」第4楽章

☆交響曲第9番 第1,2楽章

☆ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 第2番 作品50 ヘ長調

 

しかし、中学生の頃はよく洋楽を聴いていた。

ジョージ・ハリスン、アレサ・フランクリン、カルチャークラブ、エリック・クラプトン・・、などなどすぐに思い出すのはこの辺り。

ジョージ・ハリスンの 「Got My Mind Set On You」は、CDに穴があくほどリピートして聴いていた。立ち上がりのドラムが好きだった。

洋楽はノリ(特にドラムとベース)、邦楽はメロディで聴いていた。

そのせいか、高校時代はバンドでドラムを…。

 

傍らクラシック音楽も(ちゃんと)聴いていた。
我が家にはクラシック音楽のCDやレコードといった類のものは一枚もなかったので、その頃自ら初めて近所の “レコード屋” へ。

隅~っこに追いやられた、ジャズとクラシックコーナーの中から探した記憶がある。

その時買ったアシュケナージのショパンの舟歌もよく聴いた。

彼の舟歌を聴くと、当時の記憶や感情がすぐに蘇る。

 

今思い返せば、その頃から片鱗をうかがわせる事はあった。
クラシック音楽を聴きながら、よく指揮をしていた。
「これなら、ずっとしていたい」と思った。

「ピアニストや指揮者になる」という概念はなかったが、クラシック音楽に浸ることは好きだった。

(浸るというか、音楽の中に入り込んでいく)
その後も、ピアノを弾いている時が一番素になれ、唯一ニュートラルな自分を感じられた。
今レッスンでも、私は『楽譜は人生の縮図』とよく言っているが、まさに私にとって楽譜と向き合う事は、自分自身と向き合う事。

日常生活の全てが演奏に影響し、楽譜と向き合う姿勢も全て日常生活に反映する。

 

音楽は、「良い演奏」というのが確かに存在する。しかし、それは決して一つではない。

色んな良い演奏がある。逆も然り、聴き辛い演奏も存在する。

そして、良い演奏に向かう手段も一つではなく、色んな方法論がある。

 

「良いもの」とは、妥協せず思考錯誤し、その時点で納得できたもの。

誰かの真似をして、教わって出来たものは、良いものではなく、上手なもの。

教わって、真似して、自分で試行錯誤して、納得できたものが『本物』で良い物。

本物とは、「本人の物(自分だけの物)」。

その領域には、誰も立ち入ることはできず、もしその領域に入るなら、敬意を払うべきだろう。

私はいつも、生徒さんの演奏には暖簾をくぐるように入っていく。

「ごめんくださ~い」

 

そして、もし生徒さんが納得できたなら、それは彼ら自身のもの。

 

「理解と納得」だろうか。

情報を得て頭で理解し、自分で実践できて初めて納得する。

おそらく演奏の場合、理解した事が自身で再現(演奏)できなければ、納得できない。

 

 

最後に、

自分の好みというのもある。

これも自分(演奏)と向き合う上では重要で、この「好き嫌い」はしっかりと意識する必要がある。

これこそが、自分の物へと繋がっていく手がかりになる。

 

 

P.S.

今夜、16年ぶりに来日したバレンボイムのコンサートに行ってきた。

お疲れ気味だったのか…

貫禄というより、完熟された演奏だった。