マイシカ☆
こんにちは。
鹿子デス

みなさん!
小説を読んでいて、
舞台となった地に行ってみたいなぁ
と思ったことはありませんか
私は
「鹿男あをによし」(万城目学/幻冬舎)
を読んで、行っちゃいましたよ~。
奈良県に ![]()
この小説、ドラマにもなりましたね。
ご存知の方も多いはず。
「あをによし」というだけあって、奈良満載デス
東大寺をはじめ、朱雀門、キトラ古墳に高松塚古墳。そして若草山
小説の通り訪ね歩くだけで立派な観光になりますね。
しかし!私が行きたくなった場所は春日大社と奈良公園です 
しかも!春日大社と奈良公園の鹿に会いたい![]()
そのワケは。。。
★ ★ ★
学校に遅刻した女子高生・堀田が、先生にこう言い訳します。
「駐禁を――とられたんです」
マイカーの?
「マイカーじゃありません。マイシカです」
「奈良の人間は鹿に乗るんです」
「今でも奈良公園や春日大社の近くに住んでいる人は、
近くのスーパーに行くときには鹿に乗ります」
冗談もいい加減にしろ、という先生に
昨日も母が駅前のビブレに鹿に乗って買い物に行った、なんて言う。
★ ★ ★
え
本当に
奈良の人は鹿に乗るんだ
って
ちょっと信じちゃいましたよー。
堀田さん曰く「ちょっとボケただけ」だそうデス。
いやぁ、でもホントだったら面白いなぁ。
奈良といえば遷都1300年祭で盛り上がってるし。
マイシカありかも
って事で見に行ってみました。
鹿に乗ってる人はいなかったケド(怒られる)
想像以上の鹿の多さにビックリしました。
鹿せんべいをあげる時、ホントにお辞儀するのか
しかと見届けようと思ったのに…
群れて襲ってきた鹿がこわくて
せんべいを握り潰してしまいました![]()


ビブレにも行ってみましたよ。
マイシカを駐車(?)しておく駐輪場だけを
じぃっーと眺めて帰りました。
妄想はふくらみますー
えんぴつ劇場(前編)
箱子です。
本日はえんぴつ劇場をお送りします。
えんぴつ劇場 (前編) ![]()
出演 : 某図書館員のえんぴつ
こんにちは。
ぼく、鯖江市図書館に勤めている 独楽子(こまこ)さん のえんぴつです。
ちょっぴり筆圧の高い独楽子(こまこ)さん。
とっても大切に使ってもらえたので、
こんなに小さくなりました。
でも最近、削るのも限界みたいです。
持つのも大変そうだし。
・・・。
ぼく、このまま捨てられてしまうのかな。
とぼとぼ・・・
ああ
いい人生だったなぁ・・・。
・・・。
・・・ん?
「おーい」
?? どこかで呼ぶ声が・・・。
きょろきょろ。
あっ・・・ あれは!?
(後編へつづく♪)
★今日のうんちく★
日本で初めてえんぴつを使ったのは、徳川家康 らしい
『世界が見えてくる身近なもののはじまり 4 (えんぴつ)』 PHP研究所
に載ってます♪
情熱的な万葉の人々
こんにちは、寿康です。
梅雨入りで、蒸し暑い日が続いています。
皆さんご苦労様です。
さて、私は井上靖さんの『北の海』という小説が
好きなのですが、その中で主人公 洪作の友人で
木部という、短歌が得意な青年が、万葉の歌を朗詠する
場面があります。
その歌は
君が行く 道のながてを
くりたたね 焼きほろぼさむ
天の火もがも
という歌です。
以前から気になっていたので少し、調べてみました。
作者は、狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)という
名の女官です。
それも男子禁制である、斎宮寮の女官であったといわれてぃます。
その茅上娘子が、禁じられた恋により
越前(福井県越前市の味真野)に流罪となった
恋人の中臣宅守(なかとみのやかもり)に
贈った歌です。
歌の意味は
「あなたが行く長い長い道を、たぐりよせたたんで
焼き尽くしてしまう 天の火が欲しい。」
(「ビギナーズ・クラッシクス 万葉集」 坂口由美子著 角川 より引用)
奈良の都から越前までの道を、手元にたぐりよせ、天の火が燃え盛り
道がなくなってしまえばいい。
そうなれば、あの人も遠くに行かなくてもすむのに。
という情熱的な歌です。
今であれば携帯電話や車があるので、福井と奈良の距離はさほど
遠くには感じませんが、万葉の人たちにとっては
どうする事もできない、遠さに感じられたと思います。
恋人が遠い越前の地に流されてしまえば、もう二度と会えないだろうという
別離の苦しみが、この歌に表されています。
仏教では、人生には八つの苦しみがあると言われています。
その一つが、「愛別離苦」 です。
愛する人と別れなければならない苦しみです。
その 「愛別離苦」 が
「焼きほろぼさむ 天の火もがも 」
の言葉に表現されています。
人間以上の存在に、祈らずにはいられない
悲痛な心情が、読み取れます。
現代に生きる私たちは、携帯電話や車などの
便利なものを手に入れましたが
その便利さゆえに、万葉の人々と比べて
生きることに、感動する機会が少なくなった
様に思えます。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます
合掌 
こんにちは。今日はシーレです。
こんにちは。白炎です。
今年の5月は涼しいと言うよりも、寒い日が多かったですね。
でも、寒い、寒いと言っていたら、
もう6月中旬で、
今度は連日夏日ばかり・・・
なかなか順調には行かないものです。
でも、晴れ渡った空に風が吹いて、
木々は日一日と緑を濃くしています。
生命の夏ですね。
さて、今日は、エゴン・シーレの自画像を
ちょっと描いてみました。
1890年、オーストリアの生まれです。
1890年と言うと、
ゴッホの死んだ年です。
「生まれ変わり」を信じていたわけではないのでしょうが、
シーレはゴッホの没年に誕生したことを喜んでいたとか。
画風はゴッホとまったく違いますが、
シーレが描く絵もまた
人間の抜き差しがたい孤独と悲惨を語っているようです。
このブログに載せるために僕は画集を開いて
印刷された絵をジーっと見つめて
鉛筆を動かしているのですが、
これまで見てきたはずの絵が
まるで違った絵に見えてくるのに驚かされています。
ゴッホやシーレがどのような思いで描いたのか、
そんなことはまるで分かりませんが、
それら天才たちの引く1本の線が
とてつもなく豊かと言うか、
的確にものの形を捉えて、断固たることに気づかされます。
これは当たり前のことですが、
200年僕が生きたとしても、
とても近づけるものではないようです。
近づこうと望むこと自体が間違っていると
言うべきなのかもしれませんが。
しかし、それにしても、
凄いものです。
シーレの画集を
一度ご覧になってみてください。
「エゴン・シーレ スケッチから作品へ」 クリスティアン・M・ネベハイ著 リブロポート出版
「(知の再発見双書) エゴン・シーレ」 ジャン=ルイ・ガイユマン著 創元社
「エゴン・シーレ」 水沢 勉 著 六耀社
「エゴンシーレ画集 1890-1918」 リブロポート出版



















