★1100年前の富士山の大噴火の際に噴火鎮めで創建★
場所・ 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
電話・ 0555−76−7186
創建・ 865年
竣工・ 慶長12年(1607)
構造・ 木造平屋建て 一間社流造り 明神系鳥居
祭神・ 浅間大神(木花開耶姫命)
社務所・ あり 9〜16時 お祓い・七五三・授与所あり
境内社・ 出雲社 諏訪社 山宮社 山の神社 波多志神
母の白滝神社 産屋が崎神社
祭礼・ 1・2・4・7・11月
最終訪問・ 2023.10
*世界文化遺産 *国・史跡 *天然記念物(七本杉)
*国・重要無形民俗文化財 *町・有形文化財
山梨県南部の富士山の麓にある河口湖の湖畔にある富士山系の神社です
貞観6年(864)5月に始まった富士山の噴火のため、現青木ヶ原樹海・本栖湖も埋没し、付近の住民に甚大な災害を招きました
このため、噴火封じのために翌年の貞観7年(865)に浅間神を祀ったのが始まりだといいます
平安時代には明神大社として式内社になりました
論社としては笛吹市の甲州一之宮の浅間神社もあり
当社を中心とする地域は富士登拝が大衆化するとともに御師集落として栄えてきました
しかし、江戸時代になると富士講の流行化や吉田御師の発展により徐々に衰退して行き、19世紀には衰退の一途をたどりました
社頭
戦後の昭和24年には民族学者の柳田国男さんが訪問
彼は里宮と山宮の関係を研究していました
現在の社殿は慶長11年(1606)の焼失により、慶長12年(1607)の再建です
・境内地と森
境内地は天然記念物の7本杉をはじめとする大木(杉・檜・欅・松・栃等)が100本余りの荘厳な社叢をなしています
全国的には珍しく先年環境庁の調査も行われました
表参道には、約18mの大鳥居を供えます
根周り7m余りの杉並木の参道があり、参道中央に波多志神社と称え祀ります
本社の創祀社である伴直真公(名前からして平氏か)の霊を御祀りした、見るからに古社たる姿を整えています
また多くの末社を祀っており、幽玄な滝の傍らに祀られる母の白滝神社、富士を真向かいに河口湖に突き出る産屋が崎神社は悠久の歴史を感じさせます
七本杉
近年ではSNSで話題になっている富士山を遥拝できる「天空の鳥居」が有名です
・富士山牛玉(ごおう)
長生不老之明神・安産之大祖・五穀成就之守護
昔は、富士山は遥拝(遠くから神仏などを拝む)の山として信仰されていました
やがて平安密教の影響を受け、修験道の山として登拝(信仰登山)の山へと進化してきました
室町時代以降は、布教と登拝者の世話をする富士山御師(おし)が登場します
河口の御師 「梅谷家」の看板
「御師(おし)」とは、「御祈祷師(おきとうし)」を略したものです
そのひとつが、富士山牛玉です
「牛玉」(牛黄)とは牛の胆のうや胃の中でできたもので、早くから高貴久住呂として重用され、一切の病魔を排除するのに効能があると言われてきました
御師の家
護符の一種として、版木という木版画を墨で和紙に擦ったものです
この富士山の牛玉は登拝の道者が身にまとう行衣にも擦られました
社標
はじめは、阿弥陀三尊を背に背負って登りました
つまり、仏に導かれて極楽に往生することと同じ意味を持っていました
大鳥居
やがて、江戸後期から明治の初期には、神道の影響により富士の祭神・木花開耶姫命を中心として三神像が描かれるようになりました
参道 古木の大木がすごい
絵の上部にあるものは、右が日輪、左が月輪を描いています
そこに描かれた世界が現世的な時間を超越した世界=他界であることを表したものといえます
参道 波多志神社
また、合掌する猿(申)が描かれていますが、猿は古来から「山の神」ないし、その化身として礼拝されてきました
手水舎
この富士山牛玉の絵札は、河口浅間神社で約100年余り神官・御師として仕えた梅谷(本庄)から出て来たものです
河口浅間神社は貞観7年、西暦865年に建てられました
富士山世界文化遺産の構成資産の1つになっています
随神門
富士浅間神社は、木花開耶姫命を祭神として、「長生不老之明神・安産之大祖・五穀成就之守護」のご加護があると言われます
拝殿のある境内中心部へ
特に木花開耶姫命(このはなさくやひめ)は、安産・縁結び・夫婦円満の神として永く信仰されてきた神様です
河口湖 曇り気味
(この文は門前の御師住宅・梅谷さんの方に無料パンフとして護符があったので頂きました)
こちらが本宮の記事です
本宮の方の御師の家