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今ここに生きる理由がきっとある

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3日目、最終日です。


前日、野山獄と岩倉獄に行くのを忘れていたので、早朝お散歩ついでに行ってきました。


藩士岩倉さんは、お酒に酔って隣の藩士野山さんの家に切り込み、家族を殺傷えっしてしまいました。

この事件により岩倉さんは死刑、両家とも取りつぶしになり、屋敷は藩の獄となりました。

野山獄は上牢として士分の者を収容し、岩倉獄は下牢として庶民を収容しました。


☆野山獄☆

安政元年、吉田松陰は従者金子重之助と共に黒船に乗り込み密航を企てるが失敗。

松陰先生はここに幽囚されます。


ここで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに、同囚からも自ら唄や書を学び、獄吏でさえも廊下で松陰先生の講義に耳を傾けたといいます。


高杉さんも脱藩の罪でここに送られて3ヶ月過ごしています。


☆岩倉獄☆

こちらは金子重之助さんが収容。

野山獄より居住環境は悪く、金子さんはここで亡くなります。


☆萩博物館☆

ここの見どころは高杉さんの資料館。

明倫館在学中に使っていた道具や、雅ちゃんに送った伊呂波文庫、書など。

写真でしか見たことがなかったものを目の前にして、なかなか離れられませんでしたsei


こんなのもあったので顔出してみる。

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☆明倫館☆ 

(明倫小学校敷地内)駐車場なし。市役所の駐車場が無料なのでそこを利用。

木戸さんや高杉さんが学んだ藩校です。


水戸の弘道館・岡山の閑谷学校と並ぶ日本三大学府。


松陰先生はここで兵学を教えていて、木戸さんは松陰先生に兵学を習っています。


☆有備館☆

(明倫小学校敷地内)

藩士たちの練武や、修行者の試合場ともなっていて坂本龍馬さんもここで剣術試合をしたそうです。

内部は非公開です。


よく、こういうの残しておいたなぁ~と感心。


②へつづく・・・

2日目のお昼は、道の駅萩しーまーとへ行きました。

来萩スペシャルって名前の海鮮丼合格

美味しゅうございました。


ここから先は中央公園の駐車場に車を止めて徒歩で回りました。(1日300円)


☆木戸孝允旧宅☆
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西のイケメン代表 木戸孝允さん(幼名は桂小五郎)のお宅です。


木戸さんは萩藩の医者、和田昌景さんの長男としてここで生まれました。


8歳で桂家の養子になるのですが、養父母が亡くなり実家で暮らしていました。


長男なのに養子に出しちゃってますw 


ご両親は『養子先はお隣だから、いつでも会えるからいいか』って。そういう問題なんですか!?


ここにもたくさん写真があったんですが、1枚すごいのがありまして。


何かの集合写真だったんですけど、木戸さんがチェックのシャツにジャケット&刀。ってファッションだったんですよ。


軍人ではないので軍服は着ないから、そうなっちゃうのは分かりますけど。

なぜか同じチェックのシャツを何人かが着てるんですよ。お揃いなんですよ。


これみんなで着ましょうよ~とか、そんなノリだったんだろうか。・・・ どこかで何かを間違っちゃった修学旅行生みたいな。 


木戸さん、すみません爆笑でした。


☆円政寺☆

ウワサ通り、立て看板が多かった。


ここは小さいころ伊藤俊輔(この頃は利助)が預けられていたお寺であり、高杉さんちから近いこともあり、子供の頃の高杉さんと俊輔の遊び場でもありました。


ふたりはこの神馬の鼻を撫でて遊んでいたとか。
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やるでしょ。なでなでラブラブ 間接的に高杉さんと俊輔と触れたぜ!!  


ここの住職さん(多分)が話好きで、いろいろ面白いお話を聞かせていただきました。



☆晋作広場☆


銅像シリーズ⑤
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平成22年建立。20歳くらいの時の高杉さん。 萩市にはここにしかいません。

ちょうど渡英150周年だし、長州ファイブの銅像作ってくれませんかーはてなマーク 


長州ファイブ(参考)
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上段左から遠藤謹助・野村弥吉(井上勝)・伊藤俊輔(伊藤博文)

下段左から井上聞多(井上馨)・山尾庸三



☆高杉晋作誕生地☆


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高杉さんの全然似てない指名手配書、初めてみましたチョキ


写真を撮り忘れたのですが(撮り忘れ多い汗見てると撮るの忘れちゃうんですよね) 東行と名乗った時の歌の碑もありました。


『西へ行く人をしたひて東へ行く 心の底そ神や知るらむ』

西行を慕って頭を丸めたけれど、自分の心は逆に東へ行くのだ。その心は神だけが知っているだろう。



あとは、てくてく歩いて北の総門・周布政之助さんちまで。



夕食はMARU

見蘭牛(萩オリジナルうし)が美味しかったー音譜


あまだい食べたかったのに、無かった・・・あせる


3日目につづく

☆山縣有朋(狂介)生誕の地☆

駐車場なし。 

’12~’13版のるるぶの地図と、観光協会が出してる地図とでは位置が違っているので注意です。 観光協会のほうが合ってます。


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久坂玄瑞くんの紹介で松下村塾入門、その後奇兵隊入隊。

明治・大正時代の軍人・政治家

内務大臣(初・第二・第三代)・内閣総理大臣(第三、第九代)


やけに大きい(大きすぎる)碑が立ってるだけでした。


わたしのガタ好きは大河ドラマの花神(40年くらい前の大河)を観てからなんだけど、あのガタはカッコ良かった。

西田敏行さんのガタ。 ちなみに、高杉さんは中村雅俊さんでした。 

おススメなのでぜひどーぞ。ちなみに古すぎて総集編しか残ってないみたいです。

わたしも総集編しか観てないけど、それでも面白かったです。


あと、なんのドラマだったかなー。石原良純さんもやってた。

何故か、体格の良い方たちが熱いガタを演じてるんですよねー。


実際は細長くて、友達いなさそうな雰囲気なのに。



☆松陰神社☆


☆松下村塾☆


室内はこんな感じ。 リアル塾!! 想像していた通り、小さかった。

高杉さん、俊輔はどこに座ってたんだろ~ 


松陰神社内にある松陰食堂にあったおしながき・・・
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先生のめくっている本が、おしながきにしか見えなくなった・・・


写真撮るの忘れたんですけど(コンデジにも無かった汗)宝物殿『至誠館』も入ってきました。

松陰先生ファンにはたまらない所でしょう(←わたしは松陰先生推しではないので・・・) 

☆伊藤博文旧宅地&伊藤博文別邸☆

無料駐車場あり。


銅像シリーズ⑤


旧宅の横に立ってる俊輔(博文)。この銅像と向かい合うようにベンチが置いてあるんだけど、わたし以外の誰が座るのだろうか・・・。謎である。
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この日はみぞれが降ってて、ものすごい寒かったんですけどね。(というか3日間ずっと、ものすごい寒かったんですけどw)

俊輔も手がぎゅーってなってて、寒そうでしたよあせる←手がぎゅーってなってるのは寒いからではないのか。


高杉さんが功山寺で挙兵した時、力士隊を率いてやってきた俊輔。のちに、こう言ってます。


『私の人生において、唯一誇れることがあるとすれば、この時、一番に高杉さんの元に駆けつけたことだろう』


こちらの茅葺屋根のお宅に、14歳から28歳まで住んでいました。


残念ながら中には入れません。


こちらは伊藤博文別邸

明治40年、東京府下荏原郡大井村(現・東京都品川区)に建てたもの。


ここが面白かったんですよーw俊輔ファンにはツボ!!


松陰先生のお兄さんに宛てた入歯装着お祝いのお手紙・・・これ、見たかったんですよーwww

ホントにあった笑う


テーブルに、小僧時代からヒゲ爺までの俊輔の写真がアルバムになって置いてあり、自由にみられるようになってるのが面白かったです。


長崎に武器買いに行った時のかわいぃ~写真とか、兵庫県知事時代のかわいぃ~写真とか・・・

俊輔なんで裸足!? &凛々しい高杉さん&お子さま山田顕義くんとのかわいぃ~3ショットとか・・・


いかん。興奮してきた・・・(*´Д`)=з



☆玉木文之進旧宅☆

無料駐車場あり。

玉木文之進さんとは吉田松陰先生のお父さんの弟で、非常に頭が良かったので、近所の子供たちを集めて塾を開いていました。この塾が松下村塾です。

その後、吉田松陰先生が跡を継いだのです。


陸軍大将・乃木希典は玉木文之進と親戚で、ここに寄宿していたとのことです。


白洲次郎さん(何をした人か、よくわからない。吉田茂の傍にいるイケメンてイメージしかない。ゴメンナサイ)も玉木家の血が流れているらしく、彼のお孫さんも来られたそうです。やっぱりイケメンだったそうですw


☆吉田松陰誕生地&お墓&墓所☆

駐車場なし。でも駐車場っぽい広い敷地があるのでそこに止められます。

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この碑の文字はガタが書いてます。でも碑が出来上がる前に亡くなってしまったので、完成したこの碑を見ることは出来ませんでした。


銅像シリーズ⑥

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左:吉田松陰 右:金子重輔(松陰先生と一緒に黒船に乗り込んで、獄に入れられてしまい、獄中に病で亡くなりました)


産湯の跡



高杉さんの10年ニートの場所もあります。
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文久3年、10年の暇を請い剃髪して東行と名乗る。

が、奇兵隊結成の為2カ月でニート生活終了。


この時だけ、なぜか晴れ間が。草庵付近から萩市内を見るとこんな感じ。


墓地の写真はありませんが、ちゃんとお参りしてきました。


松陰先生のお墓には遺髪、高杉さんのお墓にはへその緒が入っています。


お線香があげられるか分からなかったので、持っていかなかったのですが、先生のお墓の前にお線香セットが用意されていたので、お賽銭を入れて使わせていただきました。


③へつづく・・・