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今ここに生きる理由がきっとある

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久しぶりに日付が変わる時間までお仕事だったいっしーです。


長くなりそうな予感がする長州旅行2日目です。


下関を飛び出し、高速を飛ばす木戸さん号車


スタッドレスにしてもらったので、雪道でも安心。


峠で見つけました。


☆大田・絵堂の戦い 呑水峠激戦の地☆
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慶応元年1月14日8時頃、萩政府軍(俗論党)の大田攻撃が開始。

正義党も奇兵隊を軸に正午頃より合戦となる。

正義党はこの地に地雷を埋めたが、地形不利のため政府軍優勢の中で大激戦となった。

奇兵隊が政府軍の側面を攻撃。これに驚いた政府軍は退却。

その後、高杉・伊藤らの応援を受け勝利。

この戦いに勝利したことで、倒幕へと発展していった。


☆金麗社☆

こちらは、奇兵隊らの本陣でした。

高杉さん・俊輔・ガタが会議を行った場所でもあります。

帰りに寄ったのですが、ついでなので載せます。


ガタは、高杉さんが功山寺で挙兵したとき、今はその時期ではないと判断し、参加しなかったんです。


その後、高杉さんたちの挙兵がうまくいったので、仕方なくガタも参加することにw


出陣を決めたガタはここで髪を切り「呉竹の世にうきふしの杖の笠 おもひたつ身のうれしかりける」という歌を高杉さんに送ります。


意味:俊輔曰く『どういう意味なのかさっぱり分からないwww』 (←実際に、こんな風に言ってからかったようです)    


高杉さんから来たお返事が「わしとおまえは焼山かずら うらは切れても根は切れぬ」


意味:わし(高杉)とおまえ(ガタ)は葛のような間柄。ツルは切れても根っこは繋がってるのだ。


澄ました顔して『なんだ 狂介、来たのか。』とか、言ったんでしょうか。ホントはすっごい嬉しいくせにsei


こちらは、わたしが絶対見たいと思ってたシロモノ。

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慶応2年、第二次長州征伐。


幕府軍が小倉口(北九州小倉)・石州口(島根県浜田)・芸州口(広島県広島市)・大島口(山口県周防大島)の4カ所から攻めたため四境戦争とも。


小倉口を担当したのが高杉さん率いる奇兵隊。対する幕府軍総督は唐津藩小笠原長行。


幕府軍はもともとやる気がなく、さらに家茂将軍が亡くなったことで、逃亡。


残された小倉藩は小倉城に火を点け退却。


その時、小倉延明寺からぶんどった灯篭がこれです!!


この灯篭には元治四年と刻んであるのですが、この年は慶応三年にあたり、当時の徳川慶喜の慶応に応じないという、意味があるそうです。




ようこそ萩へ~


☆道の駅 萩往還☆

ここ、面白いですよー。

物産館らやレストランやら松陰記念館(←無料)など。


銅像シリーズ④ 

たくさんあったのでまとめちゃいます。後で個別にじっくりいじってみようと思います。



松下村塾でみなさんお勉強なう。

なんで真ん中がガラ空き!?


②へつづく・・・

☆高杉さん終焉の地☆
今ここに生きる理由がきっとある

慶応2年6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)では奇兵隊などを率い、幕府軍を小倉口で撃退。

けれどもこの時、すでに労咳に侵されていて慶応3年4月14日、庄屋林算九郎邸の離れでこの世を去りました。

27歳でした。


☆厳島神社☆
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☆萩藩新地会所跡☆
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厳島神社前にあります。

元治元年12月15日。功山寺で挙兵した高杉さんたちは、ここを襲撃しました。


この近くに、高杉さんの療養の地という碑もあるはずなんだけど、見つけられませんでした汗


その代りに、こんなお店があった。
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☆春帆楼☆


ここで日清講和条約が結ばれました。

この御仁たちです。暗闇に2人www(笑える)

右:陸奥宗光(坂本龍馬さんの海援隊出身) 左:伊藤博文(高杉さんと桂さんのパシリ)


内部も見学できます。これ、当時のまんまだそうですビックリマークテーブルの上の物とかも!!


ここに座ってたんですよー。 座りたい。(切実)



夕食は、春帆楼でふく会席です音譜 俊輔もここでふぐを食べたんですよ。
今ここに生きる理由がきっとある


今ここに生きる理由がきっとある
さすがに、みなとみらいやお台場みたいな夜景はないグッド!

会席だったので、ひとりずつのお皿でふくさしが出てきたんですけど、これでも食べごたえありました。


明治21年、伊藤博文が春帆楼でふぐ料理を食べたことで、ふぐ食が解禁され、春帆楼がふく料理公許第一号になりました。下関ではふぐを“福”に通じるということで「ふく」と呼びます。


幕末時代にも、実はこっそり食べられていたらしいんです。

ただ、高杉さんとガタだけは、みんながふぐを食べてるのに、鯛を食べていたようで、『鯛党』っていうらしいです。

と、一坂さんが幕末維新まつりの講演会でおっしゃっていました。


☆赤間神宮☆

8歳で亡くなった安徳天皇が祀られています。

他には、平家一門のお墓と耳なし芳一の木像がありました。

耳なし芳一ってここに住んでたんですね。


竜宮城みたいにライトアップされてました。


1日目終わり音譜 


写真の大きさが違うのはスマホで撮ったのとコンデジで撮ったのとが混在してるからです・・・

バラバラでカッコ悪いですよねーガーン

1日目の続きです。


下関☆みもすそ川公園☆

源平合戦の最後、壇ノ浦の戦いがあった場所ですが、幕末には下関戦争の時、この場所が長州藩の砲台場だったので長州砲が鎮座してます。

100円入れると、音と煙が出てくるらしんですが、やりませんでしたw

やってみればよかった。


大河ドラマ『義経』の時に造られた銅像もあります。

右:平知盛 左:源義経


☆亀山八幡宮☆

赤間神社に最初行きたかったんだけど、初詣の渋滞が酷かったので、先にこっちへ。


空いてました。ガラガラです。


☆亀山砲台跡☆ から海を見るとこんな感じ。

文久3年(1863)5月11日、午前2時久坂玄瑞の指揮によりアメリカ商船攻撃合図の砲弾が亀山砲台より発射され、米仏蘭三国相手に6回にわたる馬関攘夷戦の火ぶたがきられた。


☆お亀茶屋跡☆

伊藤俊輔と梅子ちゃんの出会いの場



俊輔が長府藩に追われているところを、ここの境内にあるお亀茶屋の店員(お茶子)だった梅子ちゃんが助け、その一年後・・・結婚!!

梅子ちゃんって祇園とかの芸者だと思ってた。

とりあえず、追われている男子は助けておいて損はないようです笑


☆日和山公園☆ 

銅像シリーズ③

えらい高台にあったなー。公園のくせに駐車場なかったので、相方と交代で見に行った汗

桜が咲いていたら、綺麗なんだろうな。 高杉さんなら梅も似合うよね。


③につづく