長州旅行☆1日目③ | 今ここに生きる理由がきっとある

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☆高杉さん終焉の地☆
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慶応2年6月に始まった四境戦争(第二次長州征伐)では奇兵隊などを率い、幕府軍を小倉口で撃退。

けれどもこの時、すでに労咳に侵されていて慶応3年4月14日、庄屋林算九郎邸の離れでこの世を去りました。

27歳でした。


☆厳島神社☆
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☆萩藩新地会所跡☆
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厳島神社前にあります。

元治元年12月15日。功山寺で挙兵した高杉さんたちは、ここを襲撃しました。


この近くに、高杉さんの療養の地という碑もあるはずなんだけど、見つけられませんでした汗


その代りに、こんなお店があった。
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☆春帆楼☆


ここで日清講和条約が結ばれました。

この御仁たちです。暗闇に2人www(笑える)

右:陸奥宗光(坂本龍馬さんの海援隊出身) 左:伊藤博文(高杉さんと桂さんのパシリ)


内部も見学できます。これ、当時のまんまだそうですビックリマークテーブルの上の物とかも!!


ここに座ってたんですよー。 座りたい。(切実)



夕食は、春帆楼でふく会席です音譜 俊輔もここでふぐを食べたんですよ。
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さすがに、みなとみらいやお台場みたいな夜景はないグッド!

会席だったので、ひとりずつのお皿でふくさしが出てきたんですけど、これでも食べごたえありました。


明治21年、伊藤博文が春帆楼でふぐ料理を食べたことで、ふぐ食が解禁され、春帆楼がふく料理公許第一号になりました。下関ではふぐを“福”に通じるということで「ふく」と呼びます。


幕末時代にも、実はこっそり食べられていたらしいんです。

ただ、高杉さんとガタだけは、みんながふぐを食べてるのに、鯛を食べていたようで、『鯛党』っていうらしいです。

と、一坂さんが幕末維新まつりの講演会でおっしゃっていました。


☆赤間神宮☆

8歳で亡くなった安徳天皇が祀られています。

他には、平家一門のお墓と耳なし芳一の木像がありました。

耳なし芳一ってここに住んでたんですね。


竜宮城みたいにライトアップされてました。


1日目終わり音譜 


写真の大きさが違うのはスマホで撮ったのとコンデジで撮ったのとが混在してるからです・・・

バラバラでカッコ悪いですよねーガーン